2017年01月16日21時50分掲載  無料記事
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核・原子力

【たんぽぽ舎発】あくなき核兵器願望(上) 「東海原発」、「常陽」、「もんじゅ」、「福一4号」 、そして「日英共同開発」  槌田 敦

 戦後70年余、日本政府と技術者は国民に隠れてこっそり、核兵器開発を続けてきた。その全貌をここに示す。 
 
1.[東海原発] 
 
 アイゼンハウア大統領の「平和のための原子力」を受けて、日本原子力発電(株)が設立され、イギリスGEの黒鉛炉を購入した(1959)。この原子炉は周辺部の天然ウラン燃料で軍用プルト(濃縮度96%以上)を生産できる。 
 
 そのため、アメリカは日本での再処理を許さなかった。そこで、イギリスがこの軍用ブルトを日本から購入して再処理し、イギリスの核兵器を生産してきた。日本がイギリスの核兵器生産に協力したのである。 
 
 (注)、「プルト」とはプルトニウムのこと。ウラニウムを「ウラン」と 
するのと同じ 
 
2.[高速実験炉常陽] 
 
 この経過に不満を持った原子力研究所(原研)の技術者集団は、軍用プルトを生産するため、高速炉常陽の設計に着手した(1964)。彼らの目的は「人民政府ができたとき、核武装するため」であった。当時、原研にも研究の自由は保障されていた。 
 
 しかし、このような目的を持った研究開発を政府が許す筈がない。原研の概念設計が完成した段階(1967)で、政府はこの事業を動力炉開発事業団(動燃)に移させた。ところが、動燃には高速炉の技術者はいない。そこで、原研の職員が動燃に出向して建設作業を請け負うことになった。 
 
 この日本の核計画を知ったアメリカのカーター大統領は、常陽から軍用プルトを生産する外周の天然ウラン燃料(ブランケット)を外させ、中性子照射実験専用の原子炉に変更させた。 
 しかし、このブランケットですでに生産した軍用ブルト約30キロ(核兵器10発程度)の所有権は日本にあり、これを取り上げることはできない。この残された軍用プルトは国内保管の筈である。 
 
3.[高速増殖炉もんじゅ] 
 
 政府は、高速炉を使って発電する動力炉を、動燃に開発させることにした。この原子炉は、核分裂するプルトの数より生成するプルトの数が多いという理由で増殖炉と呼ばれている。 
 しかし、倍増するのに20年もかかり(三木良平『高速増殖炉』)、さらに再処理での目減りを考えると損失になる。それでも建設するのは、常陽と同じで、ブランケットで軍用ブルトが得られるからである。 
 しかし、世界中でこの高速増殖炉がブームとなっていたので、アメリカは日本の高速増殖炉を黙認する外なかった。 
 
 ところで、諸外国では、高速増殖炉のトラブルが続き、次々と撤退していくことになる。 
 日本でも同様であった。けれども、軍用ブルトを生産したい政府は、このもんじゅを手放さなかった。だが、気の緩みか、原子炉内で装置をぶつけて壊してしまった(2010年)。 
 液体金属ナトリウムの中では光が通らないので、破損状態を確認できず、対策の立てようガない。同様に、常陽も、装置をぶつけて壊し、やはり対策の立てようがなく、日本での高速炉による軍用プルトの生産計画は、常陽、もんじゅともに頓挫することになった。 
 
(元、理化学研究所研究員) 


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