2017年01月21日03時12分掲載  無料記事
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沖縄/日米安保

本土の人々に何ができるか?〜東京弁護士会人権擁護委員会主催シンポジウム「沖縄の今を考える」

 日本政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とする名護市辺野古沿岸の埋立てをめぐり、沖縄県の仲井眞弘多前知事が出した埋立て承認(2013年12月)を、翁長雄志知事が取り消した(2015年10月)ことをきっかけに始まった国と沖縄県の係争は、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)が2016年12月20日、沖縄県の上告を棄却する判決を下し、「沖縄県による承認取り消しは違法」とした福岡高裁那覇支部の判決(2016年9月16日)が確定。国側の勝訴という形で一つの節目を迎えた。 
 しかし、翁長知事は「辺野古への新基地建設は、あらゆる手段を使って阻止する」と言明しており、国と沖縄県の対立が新たな局面に進むのは必至の状況だ。 
 
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 最高裁判決を受けて、東京弁護士会人権擁護委員会は1月11日、霞が関の弁護士会館で福岡高裁那覇支部判決と最高裁判決の問題点等を解説するシンポジウムを開催した。 
 各判決を解説したのは、行政法学者有志約100名が昨年10月に発表した声明「政府の行政不服審査制度の濫用を憂う」の取りまとめに当たったことをきっかけに、沖縄県の訴訟支援に関わり始めた早稲田大学大学院法務研究科教授の岡田正則さん。岡田さんは、分かり易い比喩を用いて次のように解説した。 
 
<辺野古埋立承認取消に関する行政訴訟の論点> 
 
「会場にいらっしゃる皆さんが土建業者だとしましょう。沖縄県知事が、皆さんに一旦与えた埋立事業の免許を取り消したとき、皆さんが『沖縄県知事、それはおかしい。免許取消しは止めてくれ』と言って訴訟を起こすのが普通の形です。 
 ところが今回の事件では、土建業者に当たる沖縄防衛局が訴訟を起こさず、国土交通大臣が訴訟を起こしたのです。免許を取り消された土建業者が争っていないのに、国務大臣がなぜ代理で訴訟を起こして土建業者を助けるのでしょうか。そういう訴訟の使い方は、大変おかしいのです。『裁判所が政治的目的のために使われる在り方はおかしい』という批判から“政治的司法”という言葉が使われますが、今回は正に政府が政治的に裁判を使っているのです。 
 国土交通大臣が、沖縄県知事に対して『おかしいことをやっているから、きちんとしなさい』と指摘して訴訟を起こせるのは、非常に限られた場合しかありません。本来は地方自治制度を守るために使われるべき手段です。だから、沖縄防衛局の代理人として国土交通大臣が地方自治法上の権限を行使するのは、本来はあってはならないもので、職権濫用だと言えます。 
 それなのに裁判所は、いわば目的外使用の訴訟の使い方について、国を全く諌めることなく、『どんな場合でも、国は地方に手を突っ込んでいいんだ』『地方のやり方に間違いがあったら、国務大臣が介入していいんだ』というふうに追認してしまっています。裁判所は、いわば思考停止状態に陥っているのです」 
 
「行政は、間違って行政処分を実施した後、その誤りに気付いて一旦処分を取り消し、やり直すことを日常茶飯に行なっています。 
 ところが今回の事件では、沖縄県知事が一回出した承認を『あの承認は基準を満たしていないから違法だった』といって取り消すことを、裁判所は『取り消してはいけない』と判断したのです。 
 つまり、『行政は、一回処分をやっちゃったら、絶対に止めては駄目だぞ』みたいな判決で、こういうことが原則としてまかり通るならば、国とか地方の行政なんてやってられません。自分がお手付きしたことに気付いたら、訂正するのは当たり前のことですが、それを最高裁が『訂正してはいけない』という判決を出しちゃったのです。 
 この国の行政や法制度が、今後どうなっていくのだろうかと大変心配しています」 
 
「福岡高裁那覇支部の判決では、沖縄防衛局の『米軍普天間飛行場の代替基地を作る場所は、辺野古しかない』という沖縄の地理的優位性に関する主張に対し、裁判所も『沖縄防衛局が言っていることは正しい。なぜなら、北朝鮮のミサイルが飛んでこない唯一の場所が沖縄だからだ』と応じ、沖縄防衛局の主張を認めてしまっています。 
 20年以上前に登場したノドンミサイルだとそうでしょうが、その後に登場したテポドンミサイルなんかは沖縄に届いてしまうのです。一体、裁判所は何を見て“辺野古が唯一”だと判断しているのでしょうか。 
 また、判決は『米海兵隊のために海面を埋め立てて基地を作るには、47都道府県のうち、どこかが引き受けなければいけないのだから、やはり沖縄県が引き受けろ』という判断であり、本当に“沖縄いじめ”の判決と言っても過言ではありません。極端に言えば『地方自治を守るために、沖縄県は犠牲になれ』という判決です」 
 
「一方、最高裁は、福岡高裁那覇支部の判決を訂正したのかというと、掻い摘んで言えば、高裁判決の赤裸々な政治判断や過剰な国益擁護の部分を削除し、穏当な言い回しに修正していますが、『現沖縄県知事による埋立承認取消処分は違法だ』とする結論を導く論理は高裁判決と同じです。 
 また、地方自治の問題をきちんと考えなければならない訴訟なのに、最高裁は、地方自治について全く考えていません。沖縄県知事が出した埋立承認取消処分について、国土交通大臣がその処分の取消しを指示したことから、沖縄県知事は、国地方係争処理委員会に対して審査の申し出を行ったのに、最高裁はその事実を全く無視し、『国土交通大臣の命令が出たら、沖縄県知事は1週間以内に命令に従わなければならなかった』と言うのです。最高裁判事をして地方自治に対する理解が全く無いのは本当に驚きです。 
 国も地方自治体も、同じ人間がやることだから間違うことはあります。大事なのは、間違いに気付いたら訂正することで、だから現沖縄県知事は処分を取り消したのに、最高裁は『裁判所が“違法でない”と見なしたもの(=仲井眞前知事による埋立承認)を取り消したのだから違法だ』と言っています。行政は、自分が行なった処分を見直すことができるはずなのに、最高裁は、沖縄県による見直しの評価を全くやらない。要するに、最高裁が『沖縄県知事の判断よりも、自分たちの判断に従え』と言っているわけです。 
 私たちは、こういう判決を出してしまう今の日本の裁判所に対して問題意識を持たなければなりません」 
 
<高江ヘリパッド建設強行問題> 
 
 岡田さんに続き、高江ヘリパッド建設に対する座り込み抗議行動が始まった2007年から同問題に取り組んでいる弁護士の伊志嶺公一さんが登壇した。 
 高江ヘリパッド建設問題とは、1996年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意に基づいて米海兵隊・北部訓練場(ジャングル戦闘訓練センター)の過半を返還する条件として、66世帯の住民約140名が生活する沖縄県国頭郡東村高江集落を取り囲む形で、新たに6つのヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設が強行されている問題である。 
 周辺住民33人が「現状よりも騒音が増加すれば、身体的・精神的被害がさらに深刻になる」と訴え、ヘリパッド建設の差し止めを求めた訴訟(高江オスプレイパッド建設差止訴訟)とその仮処分申請(2016年9月21日提訴)に、原告代理人として関わった伊志嶺さんは、那覇地裁が仮処分決定(12月6日)で住民の申立てを却下したことに怒りを露わにしていた。 
「2016年に新しいヘリパッドが2つできたことで、さらにオスプレイが飛来するようになったわけですが、今後、高江を取り囲むように計6つのヘリパッドが完成して運用されると、これまで以上の騒音被害の発生が予想されます。それなのに、我々が提出した証拠(騒音調査結果)は採用されず、また採用しなかった理由も示していません。完全に無視しています。裁判官がどういう心証で、どういう精神構造で、こういう判断を下したのか本当に分かりません」 
 
<日本の司法制度の問題点> 
 
 司法は本来、“行政に対するチェック機能”を有するはずであるが、辺野古や高江の問題を見ていて、今の日本の司法にその機能が働いていると言えるだろうか。この点について、岡田さんも伊志嶺さんも日本の司法に冷ややかな目を向けている。 
「日本の裁判所は、明治期以降、いろんなタブーがあります。明治期前半の薩長閥、明治期後半からの政府官僚・軍部の専横を取り締まろうとすると、裁判官自身がとんでもないことに遭ってきました。その結果、裁判官も役人ですから『自分の身の安全のため、危ないところには触れない』という行動原理が働いてきました。 
 戦後はそれが米軍になり、それに触れると思考停止してしまって法律の基準がどうなっていようが『そこには触れない』『政府の言うことを追認すれば良い』という思考が働くのでしょう」(岡田正則さん) 
 
「私は、司法研修所で裁判官を見てきた経験から、正直なところ、日本の司法をそこまで疑っていなかったのですが、今は100パーセント疑っています。 
 沖縄の問題に関しては、司法が果たすべき役割から逃げ出しているというか、裁判官が何かを怖がっているように見えます。行政の意向に沿わなければいけないような圧力があるのかと疑っています」(伊志嶺公一さん) 
 
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 沖縄県が抱える米軍基地問題で、沖縄の人々がいくら救済を求めても今の日本の司法に通じないことを不憫に思いつつ、シンポジウムの中で微かな光明を見出した。 
 それは、基地問題に対し、どこか“他人事”という感じの本土住民が多い中、200人を超える多くの市民がシンポジウムに集まったこと、そして岡田さんによる次の指摘だ。 
「正しい判断ができる人を裁判所に送り込むといった裁判官の選び方、行政に逆らうような判決を出した裁判官が、人事上、酷い扱いを受けない仕組みなど、本当の意味での司法改革が必要かなと思います」 
 この発言を聞いて、かつて埼玉弁護士会が、2012年10月に「最高裁大改造シンポジウム『これでいいのか!最高裁〜自由と人権の確立をめざして』」という集会を開催したことを思い出した。 
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 本土の人々が沖縄の人々を側面支援する方法として“日本の司法制度”に着目するのも良いかもしれない。(坂本正義) 


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