2017年02月08日01時08分掲載  無料記事
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コラム

メディア観戦記は一休み で、サンクトペテルブルクの旅   木村結

  木村結さんのメディア観戦記は現在、お休み中です。ロシアのサンクトペテルブルクを旅しているところです。仕事の終わったあと、毎晩、テレビの前にすわって、TV画面の写真を撮影し、報道内容をメモしツイートする、という生活も今、小休止ということになります。 
 
  以下はこれまでに木村さんが日刊ベリタに書いてきたコラムからの抜粋です。 
 
 
  「10年ほど前、実家からの帰りに長岡駅のお土産やさんを覗いていた私は、『安田の牛乳ホワイトカレー』を見つけた。牛乳を使ったミルクカレー。スパイシーで懐かしい味。そう、私の母が作ってくれていたカレーは白かった。シチューではなく、白いカレーだった。」(白いカレー) 
 
  「画廊で仕事をしていた頃は美術評論家を招いて会食する機会が多く、ある時、銀座の煉瓦亭で鴨のソテーとオレンジソース添えをいただいた。衝撃だった。これからは鴨南蛮や鴨鍋ではなく、鴨はソテーに限る、できれば柑橘系のソースと合わせようと思った。」(鴨) 
 
  「春。桜の季節が終わると私は浜辺に行きたくなる。生まれ育ったのは新潟県の海辺の町。家の裏には日本海が広がり、私は海とともに育った。幼い頃は、砂丘が豊かに広がり、夏は海に入る時は早くにサンダルを脱いでしまうと足裏が火傷してしまうかと思うほど。波打ち際の砂に足をくぐらせれば、我勝ちに逃げ出す磯めぐりの慌てふためいた姿。遠浅ではないので、足が届かず波に飲まれて溺れたことも。大きな魚に追われて波打ち際が真っ黒になるほどの鰯が集まり、それを老いも若きも総出でバケツを持って浜に行き、家に持ち帰った。」(浜防風) 
 
  「我が家の押し寿司は大阪寿司のような生ものの一段ではなく、フレーク状の鱒、鯛でんぶ、炒り卵、しいたけの甘煮、ひじき、人参、絹ざや、干瓢と、主に野菜の煮物と酢飯を8段重ねにしたもの。お米を一升五合炊き、茗荷の葉を丁寧に敷き詰めた大きな専用の箱の中に重ねていく。最後にはいりこ状の蓋をして上に子どもが載って固める。私はこの箱の上に載るのが大好きで、片足ずつに力を掛けてグイグイと押していく。出来上がりを楽しみにわくわくしながら手伝った。」(押し寿司) 
 
  「30年くらい前、有名なチェーン店のパン屋さんの閉店時、店員さんが何枚もの黒いゴミ袋を広げてトレーを傾げて残ったパンを全て入れていた。呆然とその様子を見ていたが、彼女たちは悪びれる様子もなく、幾つものパンパンに膨れたゴミ袋の口を縛りお店の裏に積み上げていた。それから街でよく見かけるそのパン屋さんでパンを買ったことはない」(捨てられるパンを見て) 
 
  「実は父は酒乱だった。物心ついた頃から父は暴力で家族を支配していた。町役場の職員だったが、写真が趣味で、様々な写真雑誌で賞をもらい、我が家の家電製品はほぼ父の副賞だった。学校の遠足や旅行、運動会全ての行事に父は同行し、写真を撮っていた。無声映画の弁士になるのが夢だったと言う父は、私の写真や8ミリを撮っては、他のアニメーションフィルムなどと近所の人を集めては見せていた。同級生は私の父親を慕い、私を羨ましがった。」(特攻隊の生き残りだった父を想う) 
 
  「ポーランドのツアーではアウシュビッツの場合は自由行動を希望する人もいるがそれは2割程度とのこと、ポーランドまで行って『見たくない』という人がいることに驚かされるが、実際ユダヤの男性たちが毎日手入れを欠かさないカールさせたもみあげの赤茶けた山やホウロウ食器の山、膨大な眼鏡、よそ行きの靴の数々、後で返すからと騙され日付と名前を白いペンで大きく書き込んだ大きな皮の鞄の山。そんな物を見ているといたたまれない気持ちになる。そして手が込んだかわいいベビー服の展示を見たときは涙を止められなくなってしまった。」(ポーランドの旅 アウシュビッツ強制収容所を訪ねる) 


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