2017年05月03日10時04分掲載  無料記事
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政治

政治の退廃か変革か 憲法記念日に寄せて 落合栄一郎

  戦後70年ほどの間に、政治が経済に従属させられてしまった。その経済は1970年代ごろから、いわゆる新自由主義の導入で、退廃が始まり、いわゆる少数1%が経済を牛耳り、それが政治を動かすようになってしまった。いや表面上は民主主義の形態を保っているのだが、それに「カネ」が関与して、行政も立法・司法も少数の利益を代表する形態になってしまった。結果は、上部1%と下部50%の経済格差は広がるばかりであり、中流40%もその経済力をどんどん低下させられつつある。 
 
 これは、新自由主義なる経済の追求の結果であるが、この思想には、経済がなんのために社会に存在するのか、という根本的な問題意識がなく、利益の一方的追求のみが根底にある(以前この欄に「利益という利己的遺伝子の放棄は可能か」なる文を投稿した(1))。 
 
 ともかく、この状態がアメリカを始めとする西欧諸国に蔓延している。その上、アメリカおよびそれに追従するNATO諸国の覇権指向が、彼等に楯突く国家・指導者のレジームチェンジを画策して、とくに北アフリカ・中東諸国を混乱に落とし入れている。その結果が、中東・北アフリカからの難民問題になって、今度は、その原因を作った西欧諸国に混乱を引き起こしている。 
 
 新自由主義は、人命その他の生命・環境などを無視した利益追求のみが目的であるため、最終的には、武力抗争を継続することに利を求める。これが顕著なのが、現在の米国である。軍事力は、覇権追求にも必要である。すなわち、経済の新自由主義が、現在の所得格差の増大と中東その他の地域におけるテロを含む抗争を支えている。そしてこれが、政治組織を握ってしまっている。 
 
 昨秋のアメリカの大統領選挙は、こうした政治・経済体制を代表するクリントン氏と、それを否定し市民に有利になるような経済の立て直しを主張するトランプ氏とで争われた。後者は、現在の新自由主義に乗っ取って不動産業などで「カネ」儲けをやってきたにも拘らず、経済の現体制に業を煮やした、特に労働者階級に強くアッピールし、大方の予想に反して、当選してしまった。それは、残念ながら、具体性のない、単純な「アメリカ第一」「雇用回復」などの絶叫に惑わされた人々が多くをしめたからである。その上、白人優越などの人種差別意識がある人たちにもアッピールした。 
 
 この例は、退廃した市場経済・新自由主義経済に苦労させられてきた人々の反抗の現れであるが、残念ながら口先だけで、本心からの政治革命の精神など少しも持たない人に幻惑された。それは、対抗する候補者が、あまりにも、現体制を維持する意識が明白であったためである。実は、クリントン側が、選挙前哨戦で対立候補(サンダース氏)を様々な不当なやり方で蹴落としてしまった結果である。サンダース氏が民主党の候補として残っていたら、アメリカの政治は、かなり変革への希望がもてたであろう。クリントン氏が、サンダース氏を蹴落とす操作も、おそらく新自由主義、米国覇権主義(ネオコンと呼ばれる)に巣くう人々の後ろ盾があったものと思われる。 
 
 アメリカには、数年前の選挙では、クーシニッチ氏という進歩的な政治家もいた(2)。いずれにしても、こういう人達の存在は、アメリカの将来に希望をいだかせるが、いかんせん、現在のアメリカ市民の半数ほどは、いまだにトランプ氏を支持し、先頃のシリアへのミサイル攻撃も支持するという、あまりにも独断的(アメリカ最良、軍事的手段の肯定)な考えをもっているという問題点がある。なお、シリア砲撃の支持は、こうした人々だけでなく、かなり左翼リベラルと考えられている人からもえられているようであり、アメリカは実に危険な雰囲気に包まれているようである。 
 
 さて、こうした問題、すなわち経済格差や難民問題に端を発する人種差別的意識の発揚が、アメリカのみならず、ヨーロッパの主要国に出来している。そして難民・移民排斥を主張し、自国第一を唱える政治家が台頭し、市民の支持を拡大している。これは、いわゆるグローバル化(ヨーロッパではユーロ圏が直接的な関心事ではあるが、主要国はもちろん、全世界の経済圏に関与している)の否定、すなわち新自由主義的経済体制の否定である。この典型例が、現在のフランスの大統領選のルペン氏(トランプ)対マクロン氏(クリントン)の構図である。 
 
 すなわち、新自由主義経済/退廃的資本主義が、社会に悪影響を及ぼし、一般市民を、1%のいわば奴隷的存在に押し下げてしまっていることに市民が気がついて反抗し始めている。残念ながら、現在は、その反抗心を、単なる下知的な発言・発想しか持ち得ていない政治家達に操られているだけである。それは、この経済システム、そしてそれがあらゆる人類文明の分野に染み渡ってしまっているという複雑な仕組みを、市民にとってより生き甲斐の感じられるまともな社会体制に変革する難しさに起因する。それは、単に「アメリカ第1」とか「雇用を増やす」とかのかけ声だけでは解決するような問題ではない。この問題を様々な観点から考え、政治・経済システムをどの方向に、どんな仕方で変革していくべきか、を多くの市民が真剣に取り組まなければ、人類は難局を乗り越えられないであろう。その手始めになるかと思い、本欄に投稿した論考のいくつかを本(3)にまとめてみた。ご参考になれば幸いである。 
 
 さて日本の現状はどうであろうか。こうした“先進国”の流れとは大分異なるようである。現政権は、明治維新から日本を帝国主義に引きずり込んだ思想、そして彼らが作り出した日本特有の「日本国体」(=天皇)への絶対服従(日本国という宗教(4))などへの回帰を、憲法改悪、「共謀罪」法、「特定秘密保護法」などなどを通して実現しようとしている。「教育勅語」を道徳教育に持ち込もうといった時代錯誤的考えをもっている政治家・教育者もかなりいるようである。また、アメリカ脱退後のTPP促進を通して、新自由主義的経済圏の拡大・獲得を目ざすという点では、欧米との共通点はあるが。こういう日本の現政権の、行き着く先を懸念する市民はいることはいるが、日本国民の多くは、こうした動きに鈍感なようであり、反抗する雰囲気はない。それは信頼に足る野党・人物がいないためでもあろうか。なお、安部政権は憲法改悪を絶対に押し進める手筈を整えつつある。憲法9条の保持は、今の世にこそ必要なのである。筆者の日刊ベリタ投稿の2つめは、この問題に関してであったー「そのまんま 変えるな憲法 9条を」(5)。 
 
(1)http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200704121502314 
(2)http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200801261502116 
(3)落合栄一郎「病む現代文明を超えて持続可能な文明へ」(本の泉社、2013) 
(4)http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200801101248104 
(5)http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200702231109485 


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