2017年07月22日16時00分掲載  無料記事
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労働問題

日韓の新たな連帯を作った解雇撤回闘争 〜韓国サンケン労組を支援する会事務局次長・尾沢孝司さんに聞く〜

「韓国サンケン労組の方々が、親会社に対して解雇撤回を求めるべく来日すると聞いた当初、正直言うと私は非常に気が重かったのですが、親会社の門前で訴える彼らの話を聞いて、私自身、本当に学ぶことがとても多くて、今は『この闘争をやって良かったな』と感謝しています。日韓の新たな連帯を作った闘いだったと思います」 
 
 サンケン電気株式会社(埼玉県新座市)の100%子会社で、LED照明を生産してきた「韓国サンケン株式会社」(慶尚南道昌原市)は2016年3月16日、経営上の理由から生産部門を廃止することを決定するとともに、同部門で働く韓国人労働者に対して半年後に解雇することを通告。その結果、韓国サンケン労組組合員34名が9月30日付けで整理解雇された。 
 これを受けて、韓国ナショナルセンターの民主労総に加盟する全国金属労働組合の慶南支部韓国サンケン分会(=韓国サンケン労組)日本遠征闘争先発隊は10月4日に来日。「勝利するまで帰国しない」という構えで闘争を開始した。 
 この闘争は、整理解雇から246日目に当たる今年6月2日、韓国サンケン株式会社と韓国サンケン労組の間で合意書が交わされ、組合側が、\依解雇の撤回、∪源塞門の廃止を撤回し、16人の整理解雇者全員を生産職に復職させる、O働組合の存在を認めて活動を保障する、い海譴泙任力働協約を維持する、という画期的な成果を上げて勝利を勝ち取り、一区切りを迎えた。 
 闘争の経過は、「レイバーネット日本」ウェブサイト(http://www.labornetjp.org/)上で詳細に報じているので参照されたい。 
 今回、冒頭で紹介した発言の主である韓国サンケン労組を支援する会事務局次長・尾沢孝司さんに、支援活動の苦労話などを伺った。(坂本正義) 
 
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――支援に乗り出した経緯をお聞かせください。 
(尾沢)日本側で支援が始まったのは、昨年5月中旬に行われた韓国サンケン労組第1次日本遠征闘争がきっかけで、このときは日本側から全日本金属産業労働組合協議会(金属労協/JCM)及び連帯団体が、不当整理解雇阻止日本遠征闘争団メンバーとの面談に臨みました。 
 それから約1か月後の6月下旬に行われた韓国サンケン労組第2次日本遠征闘争では、サンケン電気株式会社(埼玉県新座市)の株主総会に合わせて、会場となった本社の正門前で宣伝行動などを行い、日本の支援者も行動を共にしました。 
 第1次、第2次の日本遠征闘争団メンバーは、いずれも3泊4日くらいで韓国に戻られましたが、約3か月後の9月30日に韓国サンケン労組組合員34名が整理解雇されたことを受けて、直後の10月4日、韓国サンケン労組は第3次日本遠征闘争の先発隊3名を派遣しました。 
 そして不当整理解雇阻止日本遠征闘争団メンバー計5名は、「解決するまで帰国しない」という方針で闘争を開始しましたので、日本側でも支援活動が本格化し、昨年11月中旬には支援の輪を広げるための枠組みとして「韓国サンケン労働組合を支援する会」を結成しました。 
 共同代表は4名で、全労協議長の金澤壽さん、韓国良心囚を支援する会全国会議代表の渡辺一夫さん、元国労高崎地本委員長の中村宗一さん、全労協全国一般東京労組フジビグループ分会の中原純子さんに就任していただきました。 
 また事務局体制ですが、事務局長には中小労組政策ネットワークの鳥井一平さんに就任していただき、私が事務局次長を務めました。 
 
――韓国サンケン労組を支援する会は、どのような支援活動に取り組まれたのでしょうか? 
(尾沢)一番力を入れたのは、日本の労働組合や市民団体に働き掛けて支援の輪を広げていくことと、日本遠征闘争団メンバーが取り組む毎日の闘争を支援していくことの2点でした。 
 支援の輪を広げていくことが現場での闘争を強化することにつながりますので、何かの集会があると会場近くでチラシを配らせてもらったり、「集会の中で一言挨拶させてほしい」と頼んでみたり、個人的な人脈を使って支援を呼び掛けたりしました。 
 そうやって全労協に加盟している組合には問題を広く知らせることができたと思っています。また、各争議団の方々にもそれぞれの地域で協力していただきました。 
 そうした努力の結果、今年3月下旬にサンケン電気本社前で行った抗議デモには、都心から離れた埼玉県新座市という遠方に、しかも天候が悪かったにも関わらず、200名もの支援者が集まってくれました。 
 
――日韓の文化の違いが支援活動に取り組む上で障害になったことはありましたか? 
(尾沢)キム・ウニョンさん(韓国サンケン労組解職者復職闘争委員会共同議長)という一人の確立した指導者がいて、自分たちの闘争方式に固執せず、日本の支援方式を柔軟に受け入れて活動していたので、闘争上の対立はありませんでした。 
 滞日中の生活支援については、彼ら自身の努力もあったので、我々としては常に付き添う必要がなく、困ったときに助けるというスタンスでした。ただ、言葉の壁があるため、食事とか宿泊先で出るゴミの分別などで苦労する姿が見受けられました。宿泊先は、私を含めて支援者がいろいろと当たりまして、最終的に市民運動に日頃から取り組んでいる人が提供してくれたので助かりました。 
 
――6月中旬に都内で開催された解雇撤回闘争勝利報告会における閉会挨拶の中で、尾沢さんは「すごく勉強になった」と仰っていましたが、勉強になったという点を教えてください。 
(尾沢)いろいろありましたが、キム・ウニョンさんが仰っていた「海の水は何故腐らないのか。それは3%の塩分があるからです。自分たちも社会における3%の塩分になり、社会をより良い方向へと変えていきたい」旨の話は強く印象に残りましたね。 
 
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 最後に、解雇撤回闘争勝利報告会における韓国サンケン労組不当整理解雇阻止日本遠征闘争団メンバーの発言を紹介したい。 
 
「私たちは『資本が投げ出す慰労金という餌には食いつかない』と言いました。私たちは労働者の自尊心、尊厳をかけて闘っています。そして、そのような姿を日本の皆さんに見せたいと思いました。 
 雨が降ろうが、雪が降ろうが、私たちの元を片時も離れずに、そして宿舎や食べ物の問題など私たちの生活面でもいろいろと助けてくださった日本の仲間の皆さんがいらっしゃらなければ、私たちの勝利はあり得なかったと思います。 
 労働者は1つだということを、皆さんが身をもって示してくださいました。本当に家族のような時間を過ごせたと思います。日本にこんなに素晴らしい人たちがいる、こんなに温かい人たちがいるということを韓国で伝えたいと思います。 
 何も相手に望まず、見返りも考えずに、相手のために自分を投げ出せる、そのような人こそ同志だと思います。皆さん方を、私は同志として胸に刻みます。皆さんのことを忘れません」(韓国サンケン労組解職者復職闘争委員会共同議長・キム・ウニョンさん) 
 
「私を含む組合員34名は、2016年9月30日に解雇通知を受けて、『全員が原職復帰するまで、解雇撤回されるまで1人も欠けることなく最後まで闘い抜こう』と約束しました。その夢が本当に実現して感激していますが、34名全員が原職復帰するとの約束を果たすことはできませんでした。 
 最初は69人いました。それが53人になって、どんどん減っていきました。今は16人が原職復帰しましたけれども、喜びばかりに浸っていられません。去っていった仲間の背中を思い出して、少し胸が痛い感じです。 
 今後、会社側がどのように出てくるのか分かりません。今後、ひと山もふた山もありそうな感じです。でも、今残っている16人の仲間は今後、会社側がどのような攻撃を仕掛けてこようとも揺らぐことはないと思っています。ここにいる全ての皆様にお礼を申し上げます。私たち全組合員は、ここにいる皆様方の思いを胸に刻んで、これからも生きていきます。 
 今後は、工場を正常に稼働させて生産を開始させること、労使関係を正常化させること、このような課題が残っています。ある意味では、これまでの8か月よりも、もっと厳しい闘いが私たちの前に待っているかもしれません。 
 しかし、私たちは労働者として、堂々と胸を張って生きていきます。私たちは、皆様から“連帯”という大きなプレゼントをいただきました。この連帯を胸に抱いて今後も活動していきます」(全国金属労働組合慶南支部韓国サンケン支会支会長・ヤン・ソンモさん) 


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