2017年10月27日14時48分掲載  無料記事
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コラム

日本の民主主義の真価が問われるのは、ここから

 衆議院選挙は与党の圧勝に終わった。自民・公明両党で3分の2以上の議席を獲得し、安倍晋三総理大臣は今後も好きなように政策を実行することができるかに見える。しかし、政治は国会だけで動くわけではない。(Bark at Illusions) 
 
 選挙になると、「選挙でしか政治は変えられない」といった言葉をマスメディアでも耳にすることがある。例えば、いずれも投票を促すことが目的とはいえ、 
 
「1票しかこの世の中は変えられないというのが現実なんです」(コメンテーター・後藤謙次、報道ステーション17/10/19) 
「多くの人が投票し、さまざまな意思が反映された代表者を通じて、国を運営してゆく。それが近代民主主義の姿だ。……『しょせん選挙なんて』というニヒリズムが広がれば、堅固に見えた社会の土台も崩れる。……棄権という選択は、将来を白紙委任することに他ならない。……選挙の先にたち現れる政治は、日々の生活を規定し、支配する。……選ぶことの重さにたじろぐ人がいるだろう。『そんな必要はない。肩の力を抜いて』と、著書「世論」などで知られる米国の評論家リップマンなら助言するに違いない。仕事や家事で忙しいのに、複雑な政治課題への見聞を深め、合理的な判断を下すなんて教科書だけの世界だ。有権者にできるのは、政治家が世の中のルールと己の欲望のどちらに従っているかを判断することだ――。そんな趣旨の文章を、90年以上前に書き残している」(朝日17/10/22) 
 
 しかし選挙だけで社会を変えることはできない。また、選挙で誰かに思いを託すことが民主主義なのではない。 
 朝日新聞はウォルター・リップマンに言及しているけれども、彼が前提としているのはエリートによる民主主義だ。 
 著名な言語学者で体制批判者であるノーム・チョムスキー氏によると、リップマンは「公益を理解して実現できるのは、それだけの知性をもった『責任感』のある『特別な人間たち』だけだと考えていた」。リップマンが「とまどえる群れ」──安倍晋三なら「こんな人たち」だろうか──と称した大多数の一般庶民が「自分たちの問題の解決に参加しようとすれば、面倒を引き起こすだけ」であり、少数の「責任感」のあるエリートが、彼らを「飼いならさなければならない」。「民主主義社会における彼らの役割は、リップマンの言葉を借りれば『観客』になることであって、行動に参加することではない。しかし……何しろ、ここは民主主義社会なのだ。そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。……いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する。『とまどえる群れ』は参加者とはみなされていない」。(ノーム・チョムスキー著、鈴木主税訳『メディア・コントロール』集英社) 
 もちろん、このようなエリートによる民主主義は本来の民主主義の姿ではない。民主的な社会では、市民はデモや集会などで自由に異議申し立てを行うことができ、時にそれは大きな変化をもたらす。 
 1960年代、若者や女性など、それまで受け身で従順だと考えられてきた人々が自分たちの意見を表明し、行動するようになった。世界的な反戦運動も起こり、合衆国政府は侵略していたベトナムからの撤退を余儀なくされた。チョムスキー氏は、エリート層から「民主主義の危機」と呼ばれた1960年代の異議申し立ての文化が、70年代以降の環境運動やフェミニスト運動、反核運動などの大衆運動に発展したと指摘している(同)。 
 最近の異議申し立てが成功した例を挙げると、ポーランドでは昨年10月、国会で中絶を全面的に禁止する法案が審議されたが、これに抗議する約10万人の市民がデモを行い、法案は否決された。ルーマニアでは今年1月、政府が政治家らの汚職を減免する緊急法令を発令すると、数十万人の市民が抗議デモを行い、政府は法令の撤回を余儀なくされた。法令撤回後も抗議デモは続き、ソリン・グリンデアヌ首相は6月に退陣に追い込まれている。韓国でも、パク・クネ大統領の知人の国政介入疑惑に対する市民の大規模な抗議行動が、パク・クネを罷免に追い込んだ 
 日本でも、毎週金曜日に全国各地で原発反対デモが行われ、経済産業省前のデモには今でも500人を超える市民が参加している。その成果と断定することはできないが、安倍政権は電力供給の20〜22%を原発で賄うことを目標に定めているにもかかわらず、依然として数%(2016年度の原発の年間発電量は全体の1.7%)にとどまっている。安倍政権が強硬に新基地建設を進める沖縄では、これに反対する市民が連日、体を張った抗議行動を行っている。その結果、新基地建設は政府の思うようには進んでいない。「保育園落ちた日本死ね」という匿名のブログが最初に国会で取り上げられた時、安倍晋三は「本当に起こっているのか確認しようがない」と答弁していたけれども、その後多くの市民が「保育園落ちたの私だ」と匿名の女性への連帯を示すと、政府も緊急対策を取らざるを得なくなった。 そして待機児童問題を含む子育て支援策は、昨年の参議院選挙でも今回の衆議院選挙でも大きな争点のひとつになった。 
 現在、合衆国では人種差別的な発言を繰り返し、世界が連帯して取り組まなければならない地球温暖化対策に背を向け、弱者を切り捨てる政策を掲げる今年就任したばかりのドナルド・トランプ大統領に対して、スペインでは今月行われたカタルーニャの独立住民投票に対する中央政府の制裁的措置に対して、数多くの市民が抗議の声を上げている。 
 
 選挙が終わったからといって、それで市民の出番は終わりではない。選挙で与党が圧勝したからといって、安倍政権の思い通りにはならない。国会で野党がどんなに弱かろうとも、一般庶民は安倍政権の暴走を止めることができる。 
「力は、いつでも統治される側にある。……この原則は最も自由で民主的な政府から最も独裁的な軍事政権に至るまであてはまる」(デビッド・ヒューム) 
 圧倒的多数である一般庶民が「否」と言えば、そのシステムは成立しないのだから。 


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