2017年12月30日22時24分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201712302224136

反戦・平和

自衛隊を「サンダーバード」に   根本行雄

 安倍首相は2017年5月3日に「9条1項(戦争放棄)と2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」と表明した。安倍首相が提起した「自衛隊」を明記する憲法改正を巡り、自民党が検討する条文のたたき台が、6月21日、判明した。新設する「9条の2」で、自衛隊を「我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織」と定義したうえで、「前条(9条)の規定は自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない」としている。先の衆議院選挙において、自民党などの改憲勢力が勝利し、改憲論議はいまだにくすぶり続けている。だが、日本は一度でも、本気で、憲法9条を実現しようと努力や工夫をしてきただろうか。マッカーサーの敷いた政治路線の上を進んできただけではないのか。もう一度、原点に戻り、自衛隊を解散し、文字通りに、憲法9条を実現する道を模索してみよう。 
 
 安倍政権が衆議院議員の任期を1年以上も残して解散をし、選挙を実施した。 
 
 北朝鮮によるミサイル発射、核開発問題を利用してナショナリズムをあおり、政権浮揚、基盤固めを狙っていたとみるべきだろう。もちろん森友学園、加計学園をめぐる疑惑を国会で徹底的に追及され窮地に追い込まれる前に先手を打って選挙を実施する、という思惑があることも明らかだ。安倍首相は内閣支持率の回復傾向、民進党の混乱、野党の立ち遅れ、新党の準備不足などをにらみ、彼の計算では、今なら選挙に勝てそうだ、政権維持が可能だとソロバンをはじいたのだ。そして、思惑通り、政権を維持するための議席を十分以上に獲得した。安倍首相は、選挙に勝利した。 
 
 防衛省は2018年度予算の概算要求で、過去最大の5兆2551億円を計上する方針を固めた。安倍首相は、またしても、本音を見せてきた。あくまでも戦争ができる「普通の国」を目指し、明文改憲をし、憲法9条を形骸化し、自衛隊を合憲化し、有事の際には人権を容易に制限できる緊急事態条項の新設を目指している。 
 
□ 軍隊は「国民の生命、財産」を守らない 
 
 『日刊べリタ』の読者には、すでに紹介してあるように、ルドルフ・ラメルは『政府による死(DEATH BY GOVERNMENT)』において、「軍隊は国民を守らない。むしろ、国民を殺すものだ」ということを歴史的データをもとにして論証していた。そして、前田朗(東京造形大学教授)も、「軍隊では平和はつくれない。軍隊は国民を守らない。この言葉の意味は、軍隊は国民を守ろうとしても守れないということではありません。軍隊はそもそも国民を守らない。むしろ、まず国民を殺すものだということです。」と述べていることを紹介した。 
 
 アジア太平洋戦争の末期において、当時の日本政府の権力たちは 
 
「一九四五年六月、日本がひそかにソ連に仲介をたのんで終戦工作をはじめたとき、ソ連はその四カ月も前に米英ソ首脳のヤルタ会談で、ドイツ降伏後三カ月以内の対日参戦を約束していた。(略)七月二六日に連合国が日本に降伏をすすめるポツダム宣言を発表したとき、天皇は『三種の神器の護持』があぶない、降伏したら『皇室も国体を護持し得ざることとなるべし』と側近の内大臣木戸幸一に述べたという(『木戸幸一日記』)。鈴木貫太郎首相が七月二八日に記者団にたいしポツダム宣言を黙殺するとの発言をしたことが、八月六日の原爆投下と八月八日のソ連参戦をまねいた。その政策ミスの犠牲になったのは天皇や鈴木首相たちではなく、数十万人の国民であった。」色川大吉著『近代日本の戦争』(80〜81ページ) 岩波ジュニア新書 
 
「歴史に『もしも』という仮定は許されないが、『もしも』このレイテ戦の十月を以て最高戦争指導会議が戦争終結の決断を下していたら、少なくとも百万人の日本人の死者、数十万人のアジア人や連合軍の死者は死なななくてすんだであろう。(略)サイパン陥落のとき停戦していたら、少なくとも百五十万人の日本人の命は救われていたろう(フィリピンで五十万、ビルマで十万、沖縄や硫黄島で二十万、満州で二十万、本土空襲で二十万、原爆で三十万)。」色川大吉著『近代日本の戦争』(79〜80ページ) 岩波ジュニア新書 
 
□ 「国」が滅びるとはどういうことか 
 
 ドーデの『月曜物語』に、「最後の授業」という有名な作品がある。 
 
 ある日、フランス領アルザス地方に住む学校嫌いの少年フランツは、その日も村の小さな学校に遅刻をする。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていたが、意外なことに、先生は怒らず着席を穏やかに促した。気がつくと、今日は教室の後ろには、正装をした元村長はじめ村の老人たちが集まっている。 
 
 アメル先生は、生徒たちと集まった村人たちに向かって話しはじめる。 
 
「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」。これを聞いたフランツ少年は激しい衝撃を受け、今日はいっそ学校をさぼろうかと考えていた自分を深く恥じいってしまう。先生は「フランス語は世界でいちばん美しく、一番明晰な言葉です。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。やがて終業を告げる教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」を終えた。 
 
 戦争に負けるということは、どういうことか。家族や友人、知人や近隣の人々が生命を失い、心身に傷害を受け、財産を失い、国土が破壊される。もちろん、戦争にはそういう側面がある。しかし、忘れてはいけないことは、ドーデが「最後の授業」で描いているように、その国の文化が滅びるということにもつながっているということである。 
 
 その国の文化が滅びなければ、国土を失い、家族や友人、知人や近隣の人びととの絆を破壊され、ことばを失い、てんでんばらばらに命からがらに逃げ延びたとして、世界中に、日本の文化が伝わり、広がっていくのならば、「日本」は滅びないのである。 
 
□ 攻撃されたらどうするか 
 
 あらゆる外交上の手立てを尽くした挙句、それでもミサイルで攻撃されたり、軍事力をつかって侵略をしてきたら、わたしたちはどうするか。 
 
 わたしたちは憲法9条を順守し、非武装を決めており、軍隊もないのだから、私たちの戦いは非暴力直接行動となる。外国からの武力による侵略を阻止することはできない。それに対して、なかには武器をとる人びともいるかもしれないが、ネモトはそれは否定しない。しかし、あくまでも、非暴力直接行動でもって、ねばり強く戦っていく。インド独立戦争のときの、ガンディーが採用した方法に学び、ねばり強く不服従の抵抗運動を実施していく。そして、「日本」にある優れた文化や、優れた科学などによって非暴力直接行動による抵抗運動を継続していく。 
 
□ 自衛隊を「サンダーバード」に 
 
 改憲論議はいまだにくすぶり続けている。だが、日本は一度でも、本気で、憲法9条を実現しようと努力や工夫をしてきただろうか。マッカーサーの敷いた政治路線の上を進んできただけではないのか。もう一度、原点に戻り、自衛隊を解散し、文字通りに、憲法9条を実現する道を模索してみよう。 
 
 当然、自衛隊を解散することになる。 
 
 解散した自衛隊はどうするか。それは「サンダーバード」のように、活動の場を地球規模とする災害救援隊に全面的に改組することだ。 
 
 被災者の生命、財産を守るための機械・道具類は維持するが、殺人を目的にしたものはすべて破棄する。 
 
 陸、海、空軍は、災害救助部門、医療部門、教育部門、社会資本整備部門などに統廃合する。 
 
 災害救助部門は、地震、山火事などの大規模火災、津波、台風などの自然災害に対応した人命救助を主目的にする。医療部門は、医師や看護師や医療機器の専門家と、その養成をする。海軍の所有する大規模艦船は病院および医療専門学校として改造する。陸軍や空軍の所有する車両や飛行機やヘリコプターなどは被災者や救急患者を輸送のためのもととして改造する。社会資本整備部門は道路や橋や空港や港湾など、病院や学校などを修理をし、建設をする。 
 
憲法9条を文字通りに実現してみよう 
 たとえ、海外から、軍事的に侵略をしてくるものがあったとしても、このように憲法9条を文字通りに実現し、「日本」特有の文化を育てているのならば、「日本」は滅びるということはありません。 
 
 日本国憲法の前文を再度、読んでみましょう。 
 
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」 
 
 そして、『あたらしい憲法のはなし』を読み返してみましょう。 
 
「みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争がおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろと考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。 
 
 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。『放棄』とは、『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」『あたらしい憲法のはなし』16〜18ページ 
 
 ネモトは、「世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。」という、この力強いことばが気に入っています。先人たちは、アジア太平洋戦争の戦禍をくぐりつけたあとに、「戦争放棄」「平和主義」という思想を力強く宣言しました。この心構えを思い出し、そして、それを実現するための努力と工夫をしていきましょう。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。