2018年01月09日14時13分掲載  無料記事
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地域の人びととともに生きる 『生と性、女はたたかう 北山郁子著作集』 別所興一・編   西沢江美子

 北山郁子とは、新聞や雑誌、また短歌で何度も会っている。そのたびに、ぜひお会いしていろいろのことを聞きたい、と思ってきた。山村で育ち、農業関係の記者として半世紀余、全国の村を歩き、農民と語ってきた私にとって、渥美半島からの北山郁子のメッセージにこれまで何度も勇気づけられた。(ジャーナrスト) 
 
◆むらの女たちの言葉で 
 
 それは一九七〇年から八〇年にかけて。日本の農村にこれまでの女性運動とはまったく異質な運動の風が吹いていたころのこと。「女性学」「フェミニズム」そして「ジェンダー」「男女参画」等など。まぎれもなく女性という性で生きているむらの女たちを置き去りにして、彼女たちの頭の上をこれらの言葉がうずまいていた時代だった。 
 
 本当に農村女性をあらゆる差別から解放してくれるのが、いま吹き荒れているフェミニズム論なのだろうか。むらの人たちによりそって、そのくらしそのものを明らかにしていきたいと記者になったものからすると、むらの女たちの言葉で差別の実態を語り合わないかぎり、底からむらを変えることはできない。だが、女性解放を主張する世界では、「それが古いのよ」といわれっ放し。外来語に違和感を持ちながら、むらの女性解放は、むらの女たちが、自分の言葉で話し出したときからだ、そう自分なりにまとめてみても、村に入るとき、学習会によばれるとき、とても確信が持てない。 
 
 そんなとき、本書に収録されている東海日日新聞の北山郁子の文章に出会い、意を強くした。それは彼女が北欧から西欧をめぐって学んできた性教育についてのものだった。本書の一番はじめに、その文章は「苦悩する性教育〜北欧から西欧をめぐって学んできたこと」と題して入っている。九〇歳を超えて活動している彼女の遺言かもしれない。 
 
 本書は四つの章でまとまられている。書かれているテーマは、性教育、住民運動、村の女、高齢者、農村青年と多岐にわたる。さらに彼女の生きる舞台となっている渥美半島といえば杉浦民平さんを抜きに語れない、その民平さんのこと。一貫しているのは、地域の人びとと共に生きる女医の目。苦しみ、悲しみ、喜びを住民と共有し、発信して解放のへの糸口を探す暖かい体温が伝わってくる。 
 
◆開発に飲み込まれる村や海 
 
彼女が活動してきた時代は、渥美半島そのものがその後の日本のモデルになったように大変動していた。戦後いち早く「太平洋ベルト地帯」と位置付けられ、あっという間にこれまでの村や海が飲み込まれた。近代化、工業化が進み、地域は公害地帯へ変貌していった。人びとのくらしはまるごとかきまわされ、生命さえも危機にさらされた。 
 
 その「新しい嵐」のなかで、産む性を持つ彼女がむらの生命を守る仕事を選んだのだから、それはどんなに激しいたたかいであったか。しっかりとした目でむらの変化を読み取る本書は、どの章から読んでも胸が熱くなる。性の本質、生命の根源は何人も対等・平等でなければならない、と彼女はいう。そのことを自覚しあうことを強調しているからだ。 
 
◆医院内から地域へ 
 
 こうしている間にも、「五人の子どもを殺し、その骨をもって引越しを続けている三十代の母親」「一歳半の子どもを、子どもは嫌いとお湯につけて殺した二十代の母親」・・・・。今朝の新聞でも二件。それも三、四十行ほどの小さい記事。それほど珍しいことではないということか。生命がこんなにも粗末に扱われている時代を、政治を抜きにしては考えられない。 
 
 北山郁子は医院内にとどまらず、多くの住民運動を立ち上げてきている。その典型的だったたたかいが、一九七〇年の中部電力渥美火力発電所増設反対運動だった。むらの中に身を沈め、そこから課題を見つける。杉浦民平さんからの影響も大きい。本書の編者別所興一は次のように書いている。 
 
 「ボス勢力が強く、旧来の風習に縛られた農村部で久しくもの言わぬ生活をしていた郁子が、初めての主体的な政治アクションとして医師の立場から『公害研究会』を起ち上げた。(中略)数人の仲間と共に公害に苦しむ地域を訪問し、住民の聞き取り調査をするとともに目で見てきた公害地の現況をスライドに映して、村の小さな集会で見てもらい、話し合うことを何十回となく夢中で繰り返した」 
 
 なれないの農村に入って70年、女医として「あたりまえのことをあたりまえに言えない思いに内攻していた」北山郁子は「むらに女たちが心に受けたものがからだにきざみこまれ自分のからだにうけてきたものが心の悩みと一つになって、分けることのできない状態に置かれている」と分析する。そこには、私は違和感をもった「フェミニズム」や「ジェンダー」などの外来語はない。 
 
 最後の「潮風の村から」の一九九九年から二〇一六年までの短歌の数々も、「いま」を切り取り、優しくはげしい。 
 
 巻末の略年譜と編者の解説が本書をより深く理解するためにとても親切である。とにかく、書店にたくさん並ぶ女性論や運動論、社会分析などを読むより、どれだけ本書はものの本質をつかむ。生命を守るたたかい方など、読むものに何かを示してくれることはまちがいない。 
 
(風媒社 1600円+税) 


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