2018年02月23日23時32分掲載  無料記事
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コラム

歩く見る聞く   田中洋一

  東北地方太平洋沖地震と東京電力福島第1原子力発電所の大事故が起きてから来月で7年になる。風評被害がなお残る一方、風化も心配されている。私は大震災の現地を訪ねたことがなく、被災者の声に耳を傾ける機会も少なかった。今を逃してはいけないと思い立ち、遅まきながら取材に取り組むことにした。 
  手始めに向かったのは、福島県飯舘村の住民と研究者らが福島市で先週開いたシンポジウム「原発事故から7年、不条理と闘い生きる思いを語る」。他県の参加者も多く、約200人が会場を埋めた。 
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  手間を惜しまず丁寧に、という意味の方言「までい」。これをキーワードに復興に取り組むのが飯舘村だ。村は県北部で、福島第1原発から北西に50km圏内だが、南部の長泥地区だけは30km圏に入る。2010年の国勢調査で村の人口は6209。阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた美しい村、とホームページにある。 
  しかし、原発事故で放射性物質に汚染され、全村避難を強いられた。避難指示は大部分の地区で昨年3月末に解かれたが、長泥地区だけはなお解除されていない。 
  突然の避難が7年も続くことへの困難さがいくつもの側面から訴えられた。農家の菅野哲(ひろし)さん(69歳)は「事故当時はすぐ村に帰れると思っていた」。被災2年後に村が作った復興プランでも「2年ぐらいで段階的に村に帰ることができる環境をつくる」となっていたからだ。それだけに、「この7年で何の成果が上がったのか、村はどう変わったのか」と気持ちを整理している。 
  名刺には飯舘村の住所と福島市の避難先が載っている。週に1回ぐらい村に帰って家の点検をすると共に、避難先にも家を建てて新生活の基盤を築いてきた。妻と92歳の母親と3人で暮らす。村の農地で試験栽培をしてきたが、「避難先で農業の継続が大切だ」と、市内の耕作放棄地を借りて仲間と野菜作りをしている。 
  だが7年の歳月は2地域に暮らす歪みを浮き彫りにしている。「元の(飯舘村の)コミュニティーは一瞬にして破壊され、避難先で新たなコミュニテイーが生まれた。ここで村に帰れば、新しいコミュニティーも壊れてしまう」と菅野さん。2地域居住を何とか支える国の交付金がいつまで続くのか。それが鍵だという。 
  飯舘村の立ち入り制限は、長泥地区以外は昨春に解除された。とはいえ、「村で農業をやって、作物が売れるだろうか。除染土などを詰めたフレコン(袋状の梱包材)が山のように積まれる中で暮らしていけるだろうか」と弱気になるのは無理もない。仕事や子どもの学校の事情で福島市や伊達市に移った若い世代が目立ち、彼らが村に帰るのは難しそうだ。「長泥地区だけ帰村が解除されないのに、他地区の村民が大喜びという訳にはいかない」との気持ちもある。原発の災害は厳然と続いている。 
  菅野さんは、東電に原発災害の責任と村民救済を求める申立団の副団長を務めている。手続きはADRと呼ばれ、原発事故による紛争解決を裁判外で進める公的機関(ADRセンター)で進行中だ。 
  ADRに話を移す前に、長年暮らした村から避難を強いられることの重大さを象徴する判決が今月20日に福島地裁で出たので、新聞報道を簡単に引用する。飯舘村の自宅で暮らしてきた102歳の男性が、原発事故から1カ月経ち、村全域が強制避難の対象に指定されることを報道で知った翌朝、部屋で自死した。 
  判決は100年余の村での生活を「人生そのものを形成」したと指摘し、避難指示により「極めて強いストレスを受けた」と認定する。その上で「原発事故により避難を余儀なくされたことが、最終的な自死の引き金となった」と認め、東電に慰謝料の支払いを命じた。原発事故と自死の因果関係を認めた判決は3件目で、避難前の自死については初めてだ。原発事故の重圧を裁判で訴えてきた原告ご遺族の辛労に心が痛む。 
  菅野さんたちが進めるADR手続きは、裁判の提訴にかかる印紙代が不要で、提出資料も裁判より大幅に簡素で済む利点はある。村民の半数近い3017人が2014年11月に申し立てた。各地に避難した当事者を、実働80人もの弁護士が後押ししている。 
  村民は初期被曝や避難、生活破壊に伴う慰謝料、田畑山林の賠償などを申し立て、東電は請求の一部に応じた。だが、放射線被曝についての重要な点について否定的だ。 
  申立団は京大原子炉実験所の今中哲二研究員(元助教)らの被曝調査に基づき慰謝料を求め、ADRセンターは2011年7月末までに9ミリシーベルト以上の被曝をした約200人に1人15万円の和解案をまとめた。だが先月、東電は和解案を蹴った。こんな東電の対応に、「ADRは現実的にらちがあかない」と長谷川健一・申立団長は声を荒げた。 
  東電の見解はこうだ。「国際的に合意された科学的知見によれば、年間100ミリシーベルトを下回る放射線被ばくによっては、健康リスクの上昇自体が確認されておらず、健康リスクは客観的に検出困難とされている」(昨年11月15日付け書面)。累積被曝9ミリシーベルトでの健康被害に基づく慰謝料を認めていない。 
  今中さんは子供のCT(コンピューター断層撮影)で「100ミリシーベルト以下の被曝でも腫瘍が増えたとの論文はいくつもある」と反論する。「被曝による健康被害はゼロかイチではなく、低レベルでもそれなりのリスクを伴う」との考え方を示し、「特に子供はリスクの小さい所で生活するのがよい。被曝をどこまで我慢するかは個人の判断で、行政が決めることではない」と主張する。 
  飯舘村でも国は除染モデル実証事業を進めてきた。だが、「家の周りで放射線量は半分ぐらいしか減っていない」と今中さん。家から離れた林や山には手が回らず線量は高いまま、と言いたげだ。 
  村民に帰村を促す避難指示解除に今中さんは反対していない。「帰りたい人は早く帰してあげたらいい」と思ってきたそうだ。その上で、汚染の低からぬ地域に、「帰りたくない人まで帰そうとする政策は問題だ」と強調する。 
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  駆け足の取材だったが、原発災害のまだまだ続くことがよく分かった。それほど大きな傷跡を残している原発を今後も様々な側面から見据えていこう。ご批判ご意見をお寄せ頂ければ幸いである。 
(2018年2月21日) 


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