2018年03月17日05時00分掲載  無料記事
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コラム

「日仏の翻訳者を囲んで」第二回 翻訳家・原正人氏 ( 司会 丸山有美 )

 東京・恵比寿にある日仏会館図書館が日仏間の翻訳に携わっている気鋭の翻訳家を毎回招いて話を聞くという催しを行っていて、二回目が今月14日に行われた。一回目はフランスの小説の翻訳をしている笠間直穂子氏だったが、今回はBD(バンドデシネ)と呼ばれるフランス漫画の翻訳家である原正人氏だ。前回同様、雑誌「ふらんす」前編集長でフリーライターの丸山有美氏が司会を務めた。原正人氏の最近の翻訳作品には「金正日の誕生日」や、「ヴァレリアン」、「星々の城」、「僕のママはアメリカにいるんだ」などがある。また、漫画だけでなく、ゴダール映画の主演女優だったアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説「彼女のひたむきな12カ月」などの翻訳なども行っている。 
 
  僕自身がBDに多少関心があって、実際に原正人氏が翻訳したメビウス作画、アレハンドロ・ホドロフスキー台本の「アンカル」(L’INCAL)とか、ブノワ・ペータース台本でフランソワ・スクイテン作画の「闇の国々」(Les Cites Obscures )などのBDを持っている。また時どき、六本木のABCブックストアの芸術書コーナーで最近のBDの紹介を行っている専門誌を何度か立ち読みしたこともあった。そこでは原氏の対談がやはり中心的な位置を占めているのである。原正人氏は日本で翻訳されるBDのかなりな作品を翻訳してきた大家と言ってよいと思うのだが、未だ40代はじめの若さでどのようにしてそれだけの仕事をこなしてきたのか、またどのようにして出版界で信用を得てきたのか、そんなところはまったく知らない。そのあたりを聞きたいと思っていた。 
 
  前回の笠間氏の時は笠間氏のリクエストもあって最初から丸山氏との対談形式で話が進んだが、今回は違って、まずは90分のうちの前半45分は原氏がざっとBDの歴史を解説したり、日本におけるBDの受容史を話したり、原氏がどのようにBDの翻訳への道に進んでいったかをまず一人で話した。漫画本の形とかサイズの違いなども話に出てきて興味深いものだった。 
 
  その後、丸山有美氏との対談となるのだが、原氏は学生時代の自分は前回話をした翻訳家の笠間氏とはまったく逆と言えるような環境だった、という話を最初にした。笠間氏の場合、スイスで少女時代を過ごし、幼いころから外国語と日本語を両方使う環境で過ごしてきた。しかし、原氏の場合はフランスの土を踏んだのも翻訳家になった後のことだし、大学は日本大学国際関係学部で、学科も仏文ではなくアメリカ文化コースだったという。バスケットボールが好きで、小説などさして読んだこともなかった学生だった。ところが、日大でよい仏文の先生に出会ったこともあり、フランス語のゼミに入ることになった。その後、学習院大学大学院進んで翻訳家・中条省平氏の指導を受け、BDで論文を書いたのだそうだ。大学と大学院で英語、文学、フランス語を懸命に学んだのだろう。 
 
  と言っても、翻訳家として生きていけるという風には当時は全然思っていなかったそうで、むしろBDの研究者としての方が将来像を描きやすかったのだと言う。ところが、その頃、盛んになってきたミクシーというソーシャルメディアのおかげでBDの同好の仲間に出会った。そのサークル「BD研究会」でBDのことを発信しているうちに出版社の編集者と出会い、次第に人脈が拡がってきたのだと言う。その間、予備校の事務の仕事をしたり、電話オペレーターの仕事をしたりしながら、その合間にBDの勝手訳をしたり、文章を書いたりしていたという。予備校の事務の仕事だとかなりの精神的・時間的なコミットメントが求められ、余暇にBDを翻訳するためのエネルギーや時間を持つことが難しいと思い、もっと仕事とBDの翻訳との切り替えがしやすい電話のオペレーターの仕事に転職したのだそうだ。とはいえ電話オペレーターをしているときは仕事の合間に翻訳をしていると睡眠時間が3時間になることもあり、電車の中で立って読んでいたBDをうとうとして座席に座っている人に落としてしまったこともあったという。 
 
  つまり、原氏には研究家として結構な長い助走期間があった。どういう風にキャリアを築いたらよいのか、悩みもあったようである。しかしこの助走期間中にフランスやベルギーのBD作家たちと出会い、その方面の人脈を作ったことが良かったのだろう。BDの作家や編集者たちが東京にやって来る時はその通訳などもボランティアに近い形で引き受けていたと言う。司会の丸山氏は「ふらんす」の編集長だった時に原氏にBDの紹介文を書いてもらったことがあったが、その時の経験から原氏はチャンスを逃さない人だという。仕事の段取りや中身も含めて相手に配慮できる人だからだ。その背後にはいろんな人知れぬ苦労もあったのではないか、と丸山氏は推察している。今回の対談で興味深く感じられたのは最初は誰も歩いていなかった道というものは、どう行けばよいのかわからなくて途方に暮れることもさぞ多かろうが、そこにこそ真の宝が眠っているということだ。 


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