2018年04月17日12時51分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201804171251182

検証・メディア

「イラク日報」問題の深層,覆璽泪好灰澆蓮崟鐺」を報じなかったのか 問われる政府との犇θ鉢

  防衛省が開示した自衛隊のイラク日報に「戦闘」や「銃撃戦」などの文字があったことから、自衛隊派兵地域を「非戦闘地域」としてきた政府の説明との整合性が問われている。だが、この問題を報じるメディアに読者、視聴者は疑問を抱かないであろうか。政府が隠してきた現地の実態をなぜマスコミは報じてこなかったのか、である。答えは、新聞・テレビ各社の報道の任務放棄にある。各社は、非戦闘地域であるはずのサマワに危険がせまっているという政府の避難勧告を受け入れて、記者を国外に退去させてしまい、以後は防衛庁(当時)の東京での狢臻椡槌表瓩鮨發賣すだけだったのだ。(永井浩) 
 
 イラク派兵は、自衛隊が国連平和維持活動(PKO)や災害救援活動以外の目的をかかげて、外国の「戦地」で活動する初めてのケースであり、戦後日本の安全保障政策の根本的転換を意味する大ニュースだった。憲法上の問題点をあいまいにしたまま、巨額の税金をつぎこんで展開される「人道復興支援」活動の実態を明らかにすることは、国民の「知る権利」にこたえるメディアの責務だった。 
 2004年1月16日にサマワにむけて日本を出発した陸上自衛隊の先遣隊は、クウェート経由で20日に現地入りした。米国政府が要請した「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」(地上部隊の派遣)の第一歩である。約30人の隊員に対して、同行の日本マスコミ取材陣は延べ100人を超えた。 
 しかし、日本政府は自衛隊の取材にさまざまな規制をくわえようとした。陸自先遣隊の出発がせまった1月9日、石破茂防衛庁長官は、防衛庁の記者クラブ加盟の報道機関に対し、「現地での取材は可能なかぎり控える」よう要請した。理由は「部隊の安全確保のため」とされた。同庁は報道各社に配布した要請文で、具体的な自粛内容として、派遣日程の事前報道や緊急時の対応要領など部隊や隊員の安全にかかわる報道をあげた。報道により「円滑な業務遂行を阻害すると認められる場合」には、以後の取材は断るとしている。自衛隊のサマワ入りの到着日時、行き先は極秘にされた。 
 日本新聞協会と民放連は防衛庁に「適切な情報提供」を要請したが、政府は、自衛隊のサマワでの活動に関する情報提供は、東京の防衛庁でのブリーフィングと同庁のホームページでおこなうと突っぱねた。アジア太平洋戦争中の「大本営発表」の復活を思わせるような情報統制である。 
 陸自本隊の主力部隊第一陣が2月27日にサマワに到着してまもない3月11日、新聞協会と民放連は、自衛隊の現地取材について、防衛庁と具体的な取材ルールで合意したと発表した。「安全確保等に悪影響を与えるおそれのある情報については、防衛庁または現地部隊による公表または同意を得てから報道します(それまでの間は発信及び報道は行いません)」とし、安全確保に支障が出る情報として「部隊の勢力の減耗状況」「部隊の人的被害の正確な数」などがあげられた。 
 だが、このような報道協定を結ぶことは、メディアがみずから報道の自由に一定の枠をはめることを認めるだけでなく、政府の主張の矛盾に目をつぶることにならないだろうか。なぜなら、自衛隊のサマワ派遣を正当化する根拠は、サマワが「国や国に準ずる組織・人による国際性、計画性、継続性のある攻撃が続いている地域」即ち「戦闘地域」ではなく、安全な「非戦闘地帯」との判断だったはずだからである。そこでは、隊員の安全が軍事的に脅かされたり、部隊に人的被害が生じるような事態は起きずに、人道復興支援を進めることが可能であると想定されていた。事実、メディアのサマワからの報告も、この小さな地方都市がいかに安全地帯であるかを印象づけるものが多かった。 
 ちなみに、イラクに軍隊を派遣している他の国は、自国軍へのメディアの取材について認めることを基本原則にしている。米軍は電子メールによる取材申し込みに応じ各国記者に随時、部隊への同行取材を認めている。英軍もおなじである。サマワの治安維持にあたるオランダ軍も、原則として本国をつうじて取材申し込みに対応している。同行取材が「危険だ」として認められない場合でも、駐屯地の広報担当者が取材に応じ、部隊規模や今後の増派規模、現在の任務などについて答えている。米英軍につぐ三番目の規模の部隊を派遣した韓国も、政府が報道機関に対して現地での取材自粛を要請したことはない。 
 これらの国々は対テロ戦争のための戦闘部隊を送り込んでいるのにたいして、自衛隊は戦闘ではなく人道支援が任務とされているにもかかわらず、日本政府は参戦国にさえみられないほどのきびしい取材規制を設けたのである。 
 それでもマスコミ各社は、報道協定は現場から独自の情報を伝えるというメディアの責務を果たすためであると主張し、サマワに大取材陣を送り込んだ。自衛隊の宿営地の建設が終わり、本隊が本格活動を開始する3月以降、戦後日本の最大級のニュースをめぐって、新聞やテレビがいかに「大本営発表」の悪夢を繰り返さない果敢な取材合戦を展開するかが注目された。しかし、マスコミの取材は腰砕けとなってしまう。 
 4月8日にファルージャ近郊で日本人ボランティア、市民活動家ら3人が武装勢力によって人質にされたという大ニュースが流れると、これ事件を受けて、政府はサマワ周辺で取材活動をする日本人記者を速やかに宿営地に避難させるように防衛庁に指示した。人質が拘束されたファルージャ近郊の情勢とは何の関係もないにもかかわらず、サマワの日本人も危険だという判断である。それに、ボランティア活動の民間人と取材記者とは仕事の任務も異なる。紛争地からの報道の仕事にたずさわるジャーナリストを一般国民とおなじあつかいで「退避勧告」の対象とすることは、日本の政府がいかにジャーナリズムに無知であるかをさらけだすものである。マスコミ各社はみずからの職業的使命に対する非常識な措置に怒りを表明していいはずである。 
 だが、大手新聞とテレビは政府の要請を受け入れた。宿営地に退避した日本人記者17人と現地スタッフ4人は、陸自の車両と空自のC130でクウェートに輸送された。外務省は、自衛隊法にもとづく「在外邦人輸送」を初めて適用し、サマワだけでなく、米軍による制圧後にバグダッドに派遣されていた各社特派員にもイラク国外に退避させるための自衛隊機派遣の意向をあきらかにした。フジテレビ、読売新聞、共同通信などの記者らが航空自衛隊の輸送機でクウェートに退避した。 
 この時点で、「非戦闘地域」であるはずのサマワも日本のジャーナリストが撤退しなければならないほど治安が悪化していたのであろうか。もし特派員をいっせいに引き揚げざるをえないような「危険地帯」となったと認識するのなら、サマワを非戦闘地帯と強弁しつづける政府の主張は事実に反し、イラク特別措置法にもとづいて、戦闘地帯での自衛隊の活動はできないことになる。だが、サマワに特派員を送っていた大手新聞に、「なぜ特派員を引き揚げたのか」「サマワ周辺の深刻な治安状態」について現地取材をふまえた詳細な記事は見当たらない。この点を社論としての問題提起しようとする新聞もなかった。 
 大手メディアが引き揚げたあとも、日本電波ニュースの記者とフリー記者だけがサマワに残留したが、自衛隊に関する報道は激減した。 
 以後、06年9月の陸上自衛隊撤収まで、少数のフリージャーナリスト以外はサマワ取材に訪れるマスコミはなかった。にもかかわらず、新聞とテレビは一斉に陸自の「人道復興支援」を「成功」と報じた。この問題にはあらためて触れるとして、まず確認しておきたいのは、国民の知る権利にこたえなかったメディアの責任である。 
 防衛省がこれまで「存在しない」といってきたイラク日報がなぜ急に開示されるにいたったのか。メディアはその経緯を国民に掘り下げて報じることはもちろん大切であるが、それだけでは不十分である。権力が間違った方向に突き進んでいかないように監視する「番犬」としてのジャーナリズム精神がイラクの自衛隊報道でなぜ放棄され、政府のウソを国民に明らかしてこなかったのかという、メディアの説明責任も新聞、テレビはきちんと果たすべきであろう。政府とメディアの共犯関係をこれ以上ゆるしてはならない。そうでなければ、第二、第三のイラク日報問題が繰り返され、気がついたら「平和国家日本」が抜き差しならぬ泥沼に引きずり込まれているという事態になりかねないであろう。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。