2018年04月27日16時21分掲載  無料記事
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反戦・平和

“非国民”とは 誰か? 池住義憲

 「権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対に腐敗する(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely)」。これは今から約130年前、英国の歴史家ジョン・アクトン卿(1834〜1902年)の言葉です。権力が集中し、一元化されれば民主主義が崩壊する。立憲主義が崩壊する。自由主義の息の根が止められる。歴史の事実を事実として学ぶ中から発せられた格言です。 
 
 そうならないように、そうさせないように、私たちは権力を分散させています。立法権と行政権と司法権を分け、国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関を置いています。互いに抑制しチェックし合い、バランスを保つことによって権力の濫用を防ぐ。国民(憲法が保障する基本的権利を享有するすべての人、以下同じ)の権利と自由を保障するためにです。 
 
◆立憲主義のルーツ 
 
 私は、昨年5月、英国へ行ってきました。近世民主主義・立憲主義のルーツを訪ね、歴史を歩き、「いま」の日本社会を外から改めて振り返るためにです。とくに「法の支配」という近世の立憲主義の出発点となっている1215年の英国マグナ・カルタ(大憲章)について学んできました。 
 
 当時、英国のジョン国王はフランスに出兵するため、諸侯や都市上層市民らに、莫大な軍役を賦課していました。それに対して封建諸侯と都市代表市民は、王権を乱用するジョン国王に抵抗。国王の徴税権の制限、不当な逮捕の禁止、教会の自由、都市の自由などを認めさせる確約文書を突き付け、国王に署名させました。これが、マグナ・カルタです。 
 国王といえども、法の下にある。国王といえども、それぞれの地方における伝統や慣習・先例に基づいて発達した法(コモン・ロー)の下にある。国王はそれを尊重する義務を負う。そのため、国王の権限は制限される。のちの基本的人権と立憲君主制を理念とする英国憲法を構成する重要文書となりました。 
 
 こうしたことを、文書で確認した意味は大きい。国王の権力を法で縛り、権力行使も正当な法的手続きを踏まなければならない。これが、現代の「法の支配」の原型です。マグナ・カルタが立憲主義の出発点、と言われるゆえんです。 
 
◆権力掌握のはじまり 
 
 昨年4月の朝日新聞オピニオン&フォーラムに、目が止まりました。『ポピュリズムの行方』と題して、ドイツ歴史家マグヌス・ブレヒトケンさん(ミュンヘンの現代史研究所副所長、53歳)のインタビュー記事が掲載されていました。 
 
 ヒトラーが全権力を掌握した1933年1月に宣言した「緊急条項」は、当時のワイマール憲法48条(憲法停止の非常大権)に基づいた“合法的”手法によるものでした。インタビュー記事のなかでブレヒトケンさんは、「憲法に何が書かれていても、権力者のやりたいことができる。憲法に、憲法を棚に上げる規定があったのです。それをヒトラーが利用した」と述べています。 
 
 ヒトラーの全権力掌握から80年経った2012年4月、自民党は「日本国憲法改正草案」を発表。草案第九章には、次のように「緊急事態」条項案を盛り込みました。 
 
  (緊急事態の宣言) 
   第98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。 
 そして第99条で、「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」と続けています。緊急宣言が発せられた場合、すべての人はその指示に従わなければならない、としています。時代状況は異なるものの、こうした内容はヒトラーが利用したものと同じです。両者に共通するのは、「憲法に、憲法を棚上げできる規定」が組み込まれていることです。 
 
 
◆自民改憲の動き 
 
 自民党の2012年憲法“改正”草案は、私たちがこれまで70年間護ってきた憲法三原則そのものを、根底から変えようとするものです。国民主権は縮小。戦争放棄は放棄。基本的人権は制限…。第二章タイトルは、「戦争放棄」から「安全保障」に変更。戦争は「永久にこれを放棄する」から、「用いない」に替える。戦力不保持と交戦権否認規定は削除し、「自衛権の発動を妨げるものではない」を書き加える。さらに、国防軍の保持、軍事裁判所の設置、国民の領土等保全義務なども明記、等々…。 
 
 さすがにこのままの“改正”案では国民の支持が得られないと判断した自民党憲法改正推進本部は、戦略を変更。本年(2018年)3月に、1)9条改正、2)参院選の合区解消、3)大規模災害時に政府に権限を集中し国会議員の任期特例を書き込む緊急事態条項、4)教育無償化、この四つに絞り、「改憲4項目」その方向性を取りまとめて党大会に報告しました。 
 
 当初は条文案をまとめ、国会に提出する予定でした。しかし、昨年来の森友・加計問題に続く公文書改ざん問題、内閣支持率急落などで、方向性とりまとめに止めざるを得なくなりました。しかし、2020年“改正”憲法施行へむけた改憲スケジュールは変えていません。 
 
◆こだわる「緊急事態条項」 
 
 自民党の「改憲4項目」のうち、3つ目の「緊急事態条項」を盛り込むことのこだわりは、異常につよい。まだ確定してませんが、条文案取りまとめを大会で一任された細田博之・党憲法改正推進本部長がいま詰めている素案は、次の通りです。 
 
 【第64条の2】 
    大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。 
 【第73条の2】 
    大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。 
国家緊急権とは、有事や自然災害の際に内閣の権限を強めるものです。法律と同じ効力をもつ政令を、国会の手続きを経ずに内閣の判断で定めることができるのです。緊急時の私権制限も可能で、内閣への権限集中は絶大になります。これは、1933年のナチスの全権委任法(授権法)と同じです。 
 国家緊急権は、なし崩しの権力強化につながりかねない。大規模災害だけでなく、有事すなわち将来の集団的自衛権行使や内乱などへの対応をも含んでいます。そうしたこともあって自民党執行部は、大規模災害時に限って一任を取り付けたのではないか、と思います。 
 
◆9条改憲の中身 
 
 現在取りまとめている自民党の9条改憲案は、9条1項と2項を維持して新たに「9条の2」を設け、次にように加えるというものです。 
 
 【第9条の2】 
    前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げす、そのために実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。 
 自衛隊の目的・任務は、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置」、すなわち「自衛権」を行使することができることを明記する、としています。自衛権の行使とは、国連憲章51条にいう「集団的自衛権」の行使も含まれる、と読み取れます。 
 また、「必要最小限の実力組織」としていたこれまでの政府解釈から、「必要最小限の」を削除してあります。これにより従来の「武力行使の3要件」も突破され、武力行使は実質的に無制限となります。その結果、現行憲法9条1項と2項は実質的に破壊、否定されることになってしまいます。 
 
 2013年12月「特定秘密保護法」、2014年4月「防衛装備移転三原則」、2015年9月「安全保障関連法」、2017年6月「共謀罪法」(改正組織的犯罪処罰法)など…。そして衆参両院で三分の二の議席を得た政権与党は、いま、改憲に向けて動き出しています。 
 これらを一言でいえば、私は「多数派による数の暴力行為」だと思います。多様な民意を適正に反映しない歪んだ選挙制度下で、多数を得た政権与党。それが、民意に反する憲法違反の法律を次々と強行採決、強行成立させている。一強多弱の状況下で、政権与党は、平和主義を蔑ろにする憲法改悪に本腰を入れ始めています。 
 
◆権力者と“非国民” 
 
 “非国民”という言葉は、権力を集中させた権力者が用いてきた用語です。権力者が自らの権力行使に反対する言動を行う国民に対して使ってきました。近現代の日本とりわけ日清戦争(1894〜1895年)から十五年戦争(1931〜1945年)に至る期間、反国体的また反戦的活動や言論を行う国民に対して、時の権力者は特定な思想・価値観に基づいて、憎悪・非難・侮辱の意を込めて用いてきたのです。 
 
  戦争遂行に協力しない者、翼賛体制を批判した者、反戦を唱える者、果ては戦時中に自分の家族の安全・生活を戦争遂行のための集団行動よりも優先させた者を“非国民”呼ばわりしました。 
 
 2000万人のアジア・太平洋地域の人々、310万人の日本にいた人々を犠牲した戦争を推し進め、強要したのは、誰だったか。その精神的支柱となった国家神道(1889年)や教育勅語(1890年)を強要・強制したのは誰だったか。民主主義社会、自由社会を否定・崩壊させた人たちこそ、「非国民」ではないか。 
 
 いま日本で、かたちを変えて、同じ状況が進行しています。「安倍一強」の下で、政権与党は特定秘密保護法や安全保障関連法など、憲法違反の法律の既成事実化を積み重ね続けています。そして今や具体的に憲法“改正”を提起するまでに至りました。 
 
 憲法に緊急事態条項を盛り込むことによって、更なる権力の一元化を進めようとしています。9条改変・改悪によって、戦後私たちが護ってきた平和主義を蔑ろにしようとしています。こうした動きに抗(あらが)う市民に対して行政府の長(首相)は、挑発的語調で「こんな人たち」「あんな人たち」と、応援街頭演説で公然と言い放ちました。 
 
◆権力者による9条解釈変更 
 
 1946年11月に私たち主権者が国民主権・基本的人権・平和主義・地方自治・三権分立を五本柱とする平和憲法を制定してから、72年が経ちました。その後政権与党は、2度にわたって憲法9条の解釈を変えました。一度目は、1954年7月。必要最小限の実力組織としての自衛隊を創設した年です。外国から急迫不正の侵害があり、且つそれを排除する適当な手段がない場合は、必要最小限の“実力”行使を行うことが可能、としたのです。憲法解釈変更によって「個別的」自衛権の行使を可能にしたのです。 
 
 二度目の解釈変更は、2014年7月1日。第二次安倍内閣は、臨時閣議で「集団的」自衛権行使を認める新たな解釈を決定しました。「万全の備えをすることが抑止力だ。戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と強調して。日本と密接な関係にある他国の対する武力攻撃が発生し、これによって日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から脅かされる明白な危険があるなど3つの要件を満たせば、自衛の措置として武力の行使は可能としたことです。「集団的」自衛権の行使を憲法解釈変更によって可能にしました。それを法制化したのが2015年9月19日成立の安保関連法です。 
 
◆キリスト者からみた9条 
 
 9条は、戦争放棄・軍備不保持・交戦権否認を定めた、世界でもっとも先駆的な条項です。9条と同じ理念を探ると、紀元前8世紀にまで遡ります。旧約聖書イザヤ書2章4節には、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない」と書かれてあります。 
 その後も、たとえば紀元前5世紀頃には法句経(釈尊の言葉と大乗仏教の教え)の「殺すな、殺させるな、殺すことを許すな」、1〜2世紀頃の新約聖書マタイによる福音書の「あなたの剣をもとの処におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる」(26章52節)などがあります。 
 
 近年では1926年内村鑑三の新文明論に、「わが日本が国家的宣言を発して、国家の武装解除を宣言し、こうして全世界に戦争のない新文明を招来し得るなら、それはなんと素晴らしい日であろう」などもあります。 
 
 このように9条の理念は、三千年近い人類平和を求める願いが積み重なって、世界でもっとも先駆的な日本国憲法に成就・成文化されているのです。 
 
◆権力者に抗(あらが)う 
 
 しかし日本社会の権力者は、9条解釈変更をベースにして、いまや憲法そのものを変えようとしています。巧妙なやり方で緊急事態条項を盛り込んで、権力の更なる集中と強化を目論んでいます。こうした安倍自公政権とその補完勢力に、私たちはどう抗(あらが)うか。 
 
 私は、憲法に拠って立ちます。憲法を盾として立ち向かいます。憲法は、私たちの自由と権利を護るもの。そのためには、私たちが権力を縛り続ける必要があります。これまで起こった権利侵害や抑圧は、例外なく権力者による権力乱用によるものだからです。冒頭に引用したジョン・アクトン卿の言葉は、こうした歴史事実を踏まえたものです。 
 
 私たちは憲法99条で、天皇や内閣総理大臣を始めとする国務大臣・国会議員・裁判官・公務員らに憲法を尊重し擁護する義務を負わせています。もし私たちが「これは、おかしい!憲法違反だ!」と思ったら、主権者として暴走にストップをかけることです。 
権力者による憲法解釈は変わっているが、憲法は、9条は、一語一句変わっていない。私たち市民は、この現行憲法を使って、これ以上の権力者の暴走を止めることです。憲法違反の法律は、その効力を有しません(憲法98条)。憲法に拠って立って、権力者の違憲な行為に対して、プロテスト(抵抗)する。自分のまわりで。出来得る範囲で。 
 
 私はこれを、「服従しない権利」と呼んでいます。悪法に対しては、服従する必要はない。1930年代にガンディが塩税法に反対した非暴力不服従運動のように。1950年代にキング牧師がバス車内人種分離法に反対した非暴力不服従運動のように。今こそ、憲法に拠って立ち、「服従しない権利」を行使すべき時だと思う。 
 
◆「非国民たれ!」 
 
 「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれ、日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで衆議院議員を務めた尾崎行雄(1858〜1954年)は、不敬罪に問われてもなお、戦前の翼賛体制を批判しました。そして、戦後の日本人に対し、「非国民たれ!」と言いました。 
 
 そう、そうです。権力者に媚びを売るのでなく、“忖度”するのでなく、諦めて沈黙して容認するのでなく、憲法が保障する基本的権利を享有するすべての人(国民)の権利と自由を脅かすあらゆる動きに対して、抵抗(プロテスト)する。抗う。私たちは憲法第12条で、「不断の努力」によって私たちの自由と権利を保持する責任を自らに課しているのです。 
1970年末、オランダの国際援助組織NOVIBという団体が、社会を変えるために「あなたに出来る百カ条」というのを出しました。その第一条は、「無力感を克服すること」!これが、私たちが「平和の器」「平和の道具」となるための第一歩です。(了) 
 
(『キリスト教文化』誌から) 


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