2018年05月22日11時37分掲載  無料記事
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文化

日仏会館のシンポジウム 「ミシェル・フーコー: 21世紀の受容」 フランスから2人の気鋭の哲学者が来日し、フーコーについて語った

  5月21日、東京の日仏会館で20世紀の哲学者ミシェル・フーコー(1926- 1984)に今日改めて光を当てるシンポジウムが行われた。タイトルは「ミシェル・フーコー: 21世紀の受容」。この催しのためにフランスから2人の気鋭の哲学者が来日して、フーコーについて最新の思索やフランスにおける議論などについて語り、また会場の聴衆との質疑応答も行った。 
 
  私はミシェル・フーコーについてはほとんど著作に触れたことがなかったためにどこまで二人の哲学者の話についていけるのだろうか、と多少不安でもあった。しかし話を聞きながら振り返るうちに私もフーコーを読んだことがあることを思い出した。と言っても20代から30代にかけてで「言葉と物」と「監獄の誕生〜監視と処罰〜」の2冊だけだ。フーコーにはおびただしい著書がある。日本でも「狂気の歴史」「知の考古学」「精神医学の権力」「知への意志 性の歴史」など多数が翻訳されている。近代以後の「知」の収集獲得が人間を監視し、統治することに、つまり権力によって利用されてきたことをおびただしい文献を渉猟しながら研究してきた哲学者としてフーコーは知られている。 
 
  登壇した哲学者はマチュー・ポット=ボンヌヴィル(リヨン高等師範学校、アンスティテュ・フランセ)と パトリス・マニグリエ(パリ・ナンテール大学)である。マニグリエについて私は2年前にパリで行われたNuit Debout(立ち上がる夜)という市民運動を取材したことがあった。それはフランスの議会政治が行き詰まりを見せていたことに端を発する運動であり、日本でも同様の市民運動が起きていることは記憶に新しい。以来、マニグリエについて私は新しい民主主義を目指す市民運動にコミットした哲学者として注目してきた。一方、リヨンの高等師範学校からやってきたマチュー・ポット=ボンヌヴィルもまたフランスではメディアでもしばしば発言が注目される哲学者である。フーコーの研究者として著名だそうだ。 
 
  いったいどんなことが語られるのだろう、と思っていると司会者のマチュー・カぺルが二人に質問をし、それぞれが答える、という形だった。つまり何かを体系的に一方的に語る講演とは異なるやり方だ。最初の質問はまず「二人にとってフーコーの著作で最も重要なものを1つ挙げて欲しい」というものだった。二人とも「啓蒙とは何か」だと答えたことが印象深い。ここに哲学の方法論が書かれていてフーコーを知るには良い本だそうだ。マチュー・ポット=ボンヌヴィルはさらに1970年から75年にかけてコレージュ・ド・フランスでフーコーが行った講義を書き起こした「異常者たち」などの著作も挙げた。最近でもフーコーの著作が出版されているそうである。フーコーは死後の出版は認めないと遺言していたそうだが、生前に一度出版して普及されなくなったものを再編集して出版する、ということが行われているのだそうだ。それだけ今日も重要な哲学者ということだ。「肉体の告白」という本などもそんな一冊だそうである。 
 
  マニグリエには" Foucault va au cinema”(フーコーが映画を見に行く)というタイトルの著作があるが、これは映画を通して哲学する、映画を哲学や思索を行うための素材として活用することのようである。マニグリエは実際にパリ大学ナンテール校の哲学の講座で映画をもとに哲学する、という講義をこれまで実践してきた。この本もそのことに関係するのかもしれない。二人の討論からすると、フーコーの哲学には2つの時代があるらしく、前半は芸術についても多く語っていたが、後半に至るとその言及がなくなると思われていたらしい。しかし、マニグリエはこの本の中でフーコーは第二の時期においても芸術への関心は衰えず、芸術を語っていたと言う。さらにマチュー・ポット=ボンヌヴィルによると、フーコーは小説家のレーモン・ルーセルのエクリチュール(文章)に影響を受け、そのスタイルを自らも使っていたそうだ。ルーセルは「アフリカの印象」や「ロクス・ソルス」と言った途方もなく斬新なスタイルの物語をつづった作家だ。 
 
  こう書いても" Foucault va au cinema”(フーコーが映画を見に行く)は未読であるし、二人の議論が十分に私に理解できたとは言えない。そもそも重要な著作の多くが私には未読なのだから、討論が十分に理解できないのは当然だろうが、それでもそこで交わされる話からフーコーを読みたいと思ういくつかの手がかりとかキーワードとか、書名をつかむことができたのは有意義だった。欧州からやってきた生きた哲学者から話を聞く、ということは本を読むのとは違う。そこに本とは異なる刺激があって良い。討論では権力の問題から、セクシュアリティの問題、新自由主義、モダンとポストモダンの対立とそれを乗り越えることなど、様々なことが語られた。わずか2時間という短い時間だったのが残念である。 
 
  ただ、二人の哲学者がフーコーを今日考える上で「哲学とは実践である」と言うことを重要視していることと、フーコーが「言葉と物」の最終章に書いたように「人間というものは消滅する」(※みたいな言葉だったと思うが・・・)というのは真実だ、と考えていることが強く伝わってきた。人間が消滅する、というのは人類の絶滅を意味するのではなく、「スタンダードな人間」という人間像の普遍的概念が消滅する、ということである。つまり、ある文化が生み出した1つの尺度を使って普遍的な人間像を決め、それに沿って他の文化の人々を啓蒙しよう、という営みを否定しているのだ。マニグリエが「主体とか普遍性と言ったものは不要なんです。不安にならなくて大丈夫ですよ。なくても全然平気ですから」とはっきりと答えたのが印象に残った。1つの尺度で「人間」の基準を作り、それを他の民族に強要するやり方は植民地主義だと明確に否定した。まさにそれこそかつて帝国主義時代のフランスが行ってきたことだった。そして、そのことこそフーコーが今世紀にも大きな存在感を持つ根源であることのように思われた。未だに帝国主義はソフトな皮を被って継続しているであろうからだ。「主体とか普遍性と言ったものは不要なんです。」この強い言葉をフランスの知の最前線に立つ、生きた哲学者から聞いたことは刺激になった。 
 
  このことは今日振り返ればアメリカが今世紀の初め以来、続けてきた「テロとの戦い」とか「民主化」へのテコ入れや武器支援も「スタンダードな人間」というものを押し付けようとしていることに他ならないのではないか。思い出せば日本のバブル経済が崩壊した1990年代にどれほど「グローバルスタンダード」と言う言葉がこの国を席巻したか。多くの会社員が長年働いてきた会社から簡単に追われた。銀行は合併や統合を余儀なくされた。多くのことが90年代に変わった。グローバル化はフーコーが生きていた1980年代にはまだ日本ではあまり顕著になっていなかった傾向である。その時、あまりにも日本固有のやり方が否定され、アメリカンスタンダードに合わせることを強要されたことが、その後の極右の台頭につながっていないだろうか。 
 
  では、「人間」と言う普遍的な価値尺度がなくなった時に私たちは人間という類をどうとらえたらよいか。マニグリエによると、差異を持つ多様な人々の「総合体」でよい。多様性を尊重し、共生を目指す、ということである。このことはマニグリエが実践的に関わった「立ち上がる夜」という運動の重要なテーマの1つでもあったと思う。またマチュー・ポット=ボンヌヴィルが昨年のフランス大統領選の際に、ラジオで「欧州が危機になればなるほど、アイデンティティが語られる」(※)と指摘していたこととも響き合う。今、欧州でもアメリカでも、そして日本でも大きな政治上の問題となっている人種や移民の問題を考える上でフーコーは改めて読まれる必要があるのかもしれない。実際、他人事でなく、今回話を聞いたことでいよいよ私もフーコーを読むときが来た、と思った。 
 
  しかしながら、このシンポジウムで私が得たことは答えではなく、複数の疑問であり、その疑問を得られたことこそ有益だった。たとえば(日本の)近代化の問題をどう考えるか、という事である。また、たとえば差異の尊重と民族主義の関係である。そしてより根源的だと思うが、啓蒙をどう考えるか、ということである。もう一つ挙げれば「哲学とは実践である」とはどういう営みなのか。これらのことを実践の中で哲学を考えようとする二人の哲学者に機会があれば改めて聞いてみたい。 
 
 
※人間の消滅 
 「・・人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう・・」(「言葉と物」渡辺一民・佐々木明訳) 
 
※Mathieu Potte-Bonneville : "Plus l'Europe est en crise, plus on parle d'identite" ( france intel ) 
https://www.franceinter.fr/emissions/l-invite-d-ali-baddou/l-invite-d-ali-baddou-27-janvier-2017 
 
村上良太 
 
 
■パリの「立ち上がる夜」 フランス現代哲学と政治の関係を参加しているパリ大学准教授(哲学)に聞く Patrice Maniglier 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201605292331240 
 
■「レ・タン・モデルヌ誌」(Les Temps Modernes) サルトル、ボ―ヴォワール、メルロー・ポンティらが創刊 今も時代のテーマを取り上げる パトリス・マニグリエ(Patrice Maniglier パリ大学教授・哲学者) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201606241454415 
 
■エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロと大阪、そして春 パトリス・マニグリエ(哲学者)”Eduardo Viveiros de Castro, Osaka and Sakura ”Patrice Maniglier 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201702211840272 
 
■シンポジウム 「世界文学から見たフランス語圏カリブ海  〜 ネグリチュードから群島的思考へ 〜」 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201803270243022 
 
■「日仏の翻訳者を囲んで」 翻訳家・笠間直穂子氏 ( 司会 丸山有美) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201803010043234 
 
■「日仏の翻訳者を囲んで」第二回 翻訳家・原正人氏 ( 司会 丸山有美 ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201803170500066 
 
■フランスからの手紙23 〜責任ある億万長者とは?〜Un milliardaire responsable ? パスカル・バレジカ 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201108202327376 


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