2018年05月27日11時06分掲載  無料記事
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人権/反差別/司法

裁判員制度 施行9年、問題点だらけ 根本行雄

 大宅壮一賞を受賞した『逆転』で有名な、ノンフィクション作家の伊佐千尋さんが今年2月3日に亡くなられた。彼は亡くなるまで、裁判員制度を批判し、陪審制こそ実現すべきであると主張し続けていた。裁判員制度は、5月21日で施行から9年を迎える。現在、さまざまな問題が浮上してきている。昨年1年間の出席率は過去最低の63・9%で、辞退率も過去最高の66・0%。裁判員選任手続きへの候補者の出席率低下や、裁判員の辞退率上昇の傾向に歯止めがかかっていない。その原因の背景には、真の意味での、主権者である市民の参加制度になっていないという実情がある。裁判員制度は「市民のための司法改革」であると言いながら、「裁判所に都合の良い制度」であり、「市民の自由と権利を守る制度になっていない」と伊佐さんの怒りの声が聞こえくる。 
 
 
 
 
 
 
 
 日本国憲法は、わたしたちにとって繰り返し繰り返し読んでおきたい重要な文章です。 
 
 司法制度については、日本国憲法の第3章「国民の権利及び義務」のなかの、第31条から第40条に明記されています。そして、裁判所については、第76条から第82条に明記されています。 
 
 裁判については、憲法第37条に、「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。」と明記されており、裁判には「公平性」と、「迅速である」ことと、「公開」であることが明確に規定されています。現在進行中の司法改革では、国民の基本的人権を守るための司法制度が「絵にかいたモチ」になっている現状が明らかになっています。 
 
 
 
 
 
 NHKの『時論公論』という短い番組があります。清水聡解説委員による『裁判員裁判10年目へ 「見えなくなる裁判」』という題名の放送がありました。彼はいくつかの注目すべきデータを明らかにしながら解説をしていました。 
 
 
 
 裁判員制度は平成21年5月に始まり、最高裁判所によりますと去年の年末までに1万514人の被告に判決が言い渡され、6万人余りが裁判員として審理に参加しました。 
 
 
 
 初公判から判決までの平均の審理期間は、去年初めて10日を超え、長期化の傾向が続いている。 
 
 
 
 裁判員の負担を減らすため、事前に争点を整理する手続き(「公判前整理手続き」という)が導入されたことから、審理期間は以前に比べ大幅に短縮され、平成21年の平均の審理期間は3.7日でした。その後は長期化する傾向が続き、去年は10.6日と、おととしに比べ1.1日長くなり、初めて10日を超えました。 
 
 
 
 公判前整理手続きは、長くなる傾向にあります。平成21年は、2.8月でしたが、去年(平成29年)は8.3月となっています。公判前整理手続きが5年以上もかかっている事件もあります。 
 
 
 
 裁判中に使用される、被害者や証人のプライバシーを守るための遮蔽物の使用が増えています。去年は1832件となり、十年前の1.7倍となっています。 
 
 
 
 
 
 
 
 裁判員裁判の現状を、毎日新聞(2018年5月19日)の伊藤直孝記者は次のように伝えています。 
 
 
 
 最高裁によると、裁判員裁判は2009年の導入から今年3月までに、累計8万3401人が裁判員(補充裁判員含む)に選ばれ、被告1万1045人に判決が言い渡された。 
 
 選任手続きに呼び出される候補者は、有権者から無作為に選ばれた名簿登録者の中から辞退が認められた人を除き、個別の裁判ごとにくじで選ばれる。理由なく呼び出しに応じないと、過料を科される可能性がある。 
 
 呼び出しを受けた人(辞退を認められた人を除く)のうち、選任手続きに出た人の割合(出席率)は、09年は83・9%だったが、15年には70%を下回り、18年(3月まで)は63・6%だった。一方で重い病気や介護などの理由で辞退が認められた人の割合(辞退率)も09年は53・1%だったが、12年以降は60%を上回り、17年は3人に2人が辞退した。 
 
 最高裁は出席率低下や辞退率上昇について、審理予定日数の長期化や高齢化などが影響した可能性が高いとの調査結果を昨年まとめた。その後、呼び出し状が不在返送された場合は再送達するよう各地裁に促すなどの対策を実施するが、傾向は変わっていない。 
 
 
 
 
 
 伊佐千尋さんは今年の2月3日に亡くなられました。 
 
 伊佐さんについては、どなたもご存知のように、沖縄において、ご自身が陪審裁判を体験され、それについて書かれた『逆転』によって大宅壮一ノンフィクション賞を受賞されたことが契機となり、日本において陪審裁判を実現しようという市民運動の先頭に立つことになり、「陪審裁判を考える会」を設立することにつながりました。 
 
 
 
 伊佐さんはずっと裁判員制度には反対をされていました。今回の司法改革は、「市民のための司法改革」であると言いながら、「裁判所に都合の良い制度」であり、市民のためになっていない、市民の自由と権利を守る制度になっていない」。陪審制が優れた司法制度であると同時に、より重大な影響を社会に及ぼし、民主主義が適正に機能していくうえで不可欠の政治制度であるというトクヴィルの指摘を重視したい。裁判員裁判は、裁判官3名と一般市民である裁判員6名の合議制であり、一般市民が専門家意識の強い裁判官を相手にして、評議において主体的な判断を下すのは困難であり、それでは民意を反映することはできない。しかも、多数決で有罪か無罪かが決定されしまうということ、そのうえ、死刑の判決すらが多数決で決定されてしまうという恐ろしい制度である。裁判員制度は、これまでの裁判と同じく、事実認定と量刑の判断を区別していないと構造的な欠陥を温存している。事実認定を裁判官行うのがよいか、市民が行うのがよいかという問題ではなく、国民の自由と人権にかかわる根幹的な問題である。 
 
 
 
 最高裁が巨額の税金を使って宣伝したにもかかわらず、本来ならば歓迎すべき市民参加に消極的な一般市民が78%もいるという内閣府の発表したデータをあげて、疑問を呈していました。 
 
「国民の人権を守る制度なのですから、国民の意見に耳を傾け、国民的議論を経た制度なければならないのは当然のことです。一般大衆が、裁判員制度に積極的でないのは、こんなものを次世代に残してよいか、不安だからだと思います。不人気の理由は考えればわかることだし、不賛成の理由を政府は直視すべきです」(「裁判員制度はなぜ不評か」より)と主張され、裁判員制度には終始一貫して反対されていました。 
 
 
 
 伊佐さんが裁判員制度に対して述べていた不安の要因は、今も、まだ、取り除かれてはいません。 
 
 日本には、「日本国憲法」というとても優れた憲法がありながら、なぜ、数多くのえん罪があるのでしょうか。これまで、日本の司法の「えん罪を生む」仕組みについては、青木英五郎さん、後藤昌次郎さん、渡部保夫さんその他の人びとによって、全容はほぼ解明されています。 
 
 「裁判員裁判」に代表される、現在進行中の司法改革は、まだまだ不十分なものです。いまだに代用監獄は廃止されていませんし、取り調べの全面的な可視化も実現されていません。そして、弁護士の接見交通権の実現はまだまだ不十分なものですし、もちろん、取り調べに弁護士が立ち会うことはほとんど保障されていません。 
 
 えん罪を生む原因は、警察ばかりではなく、もちろん、検察にも、裁判所にもあります。また、報道機関にもあります。 
 
警察のついては、別件逮捕の禁止、代用監獄の廃止、ミランダ・ルールの確立、勾留期間の欧米並み短縮、弁護士の立ち合いのない取り調べの禁止、取り調べ状況の全面的可視化、早期保釈、黙秘権の確立。検察については、証拠の全面開示の義務化、上訴権の廃止などが、早急に実現すべき喫緊の課題です。裁判所と報道機関については、詳しくは、拙著『司法殺人』(影書房)を参照していただきたいと思います。 
 
 えん罪を防止していくには、まだ、実現されてはいませんが、被疑者国選弁護人制度、陪審制度、法曹一元制度(非常勤裁判官制度を含む)などが必要不可欠です。しかし、それでも、まだまだ、不十分です。 
 
 
 
 伊佐さんの「陪審制」を実現しようという活動は、主権者である国民が司法に参加することを目指すものであったと思います。冤罪を防止することはとても大事なことですが、伊佐さんによって、主権者である国民が司法行政に参加し、真の意味での民主主義を実現していくことがとても大切であるということが明らかにされたからです。 
 
 しかし、まだまだ、市民が司法行政に参加する方法は十分に知られていませんし、研究も進んでいないようです。民事陪審や修復的司法などをはじめとして、社会生活の中で民主主義が成熟していくためには、市民が立法にも、司法にも、行政にも参加していくが必要不可欠です。伊佐さんはその端緒を開いた人であり、「種をまく人」であったと思います。 
 
 ここで、トクヴィル著『アメリカの民主政治(下)』井伊玄太郎訳(講談社文庫)から引用をしておきましょう。 
 
「陪審は人々に私事以外のことに専念させるように強いることによって、社会のかびのようなものである個人の自己本位主義と闘う。/陪審は驚くほどに人民の審判力を育成し、その自然的叡智をふやすように役立つのである。これこそは陪審の最大の長所だとわたくしには思われるのである。陪審は無料のそして常に公開されている学校のようなものである。」(210ページ) 
 
 伊佐さんは、この陪審制のもつ教育効果を身をもって体験されました。だからこそ、『逆転』を書き、「陪審裁判を考える会」を作り、陪審裁判実現のために努力をされ続けたのだと思います。 
 
 
 
 伊佐さんは裁判員制度にずっと反対されていました。憲法の三大原則である、「国民主権」と「基本的人権」の保障は絵の描いたモチでしかないのが日本の現状です。裁判員制度は「市民のための司法改革」であると言いながら、「裁判所に都合の良い制度」であり、市民のためになっていない、「市民の自由と権利を守る制度になっていない」と、伊佐さんの怒りの声が聞こえてきます。 


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