2018年08月06日23時11分掲載  無料記事
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核・原子力

再録73年目の8月6日に。山崎芳彦【核を詠う】(6)『昭和萬葉集』卷七・八の原爆短歌を読む◆ 「天を抱くがごとく両手をさしのべし死体の中にまだ生けるあり」(深川宗俊) 

 73年目の8月6日もまもなく終わる。本紙で連載している山崎芳彦『核を詠う』は広島、長崎の歌で始まり、福島へと続いて、すでに300回近くになる。歌もまた原爆を、核を、語り継ぐ人びとが織りなす大きな流れの中にある。山崎の連載から、第6回『昭和萬葉集』卷七・八の原爆短歌を読む◆崚靴鯤くがごとく両手をさしのべし死体の中にまだ生けるあり」(深川宗俊)を再録する。(編集長大野和興) 
 
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 「8・6 原爆、広島上空でさく裂 ウラン爆弾。午前八時十五分、広島市大手町一丁目(旧細工町)島病院上空五百七十蛋宛紂せん光、直径百叩表面温度九千〜一万度の大火球、大量の放射能、ごう音、爆風、大火災。原子雲一万辰鬚海┐襦9い雨。広島市壊滅。((原爆投下機“エノラ・ゲイ号”パーソンズ大佐の航空日誌によれば、テニアン時間六日午前九時十五分三十秒、高度九千六百辰埜暁投下、投下五十秒後にせん光が起ったとしている。) 
 
▼救護病院全滅。「六日の爆撃は遂に全市32箇所の救護所、十八箇所の救護病院を全滅に瀕せしめたるのみならず屍体処理に従事すべき所属吏員、作業夫も亦戦災者たらざるものなきに至れる」(昭和二十年広島市事務報告書並財産表)(注・ひらがな部分は原文はカタカナ 筆者) 
▼夜、七つの川死者で埋まる。 
 
  『ヒロシマの記録』年表・資料篇(中国新聞社編 未来社刊)の8・6項目の一部分を引用した。同書は原爆投下の八月六日に始まり、その後日録の如くヒロシマの動向を記録している。今になってはまことに貴重な記録であり、このほか中国新聞社が編み未来社が刊行した記録集は、『昭和萬葉集』の原爆短歌を読むうえでも参考になる。前回の正田篠枝さんの作品に続いて、原爆投下による広島市内の惨状を短歌表現した作品を読んでいく。 
 
土(つち)、瓦(かはら)、硝子(がらす)飛び散る我が部屋をそ 
のままにして壕(がう)に逃げゆく         金子兼十 
 
庭の樹に空より降り来て燃えをるもの叩き落せば上衣(うはぎ) 
なり防空頭巾(ばうくうづきん)なり 
 
やうやくに起きあがり見れば燃ゆる人(ひと)顔の皮ぶら下げし 
人手の皮ぶら下げし人            2首 白木 裕 
 
川ぺりに伏して水飲む姿勢せるこの兵もすでに死してゐるなり 
                         中邑浄人 
 
原爆に裂けし鉄管をほとばしる水に寄り来て馬仆(たふ)れゆく 
 
びらびらに肌裂けし馬の死骸あり馬の形に蝿(はへ)むらがれり 
                      2首 竹内一作 
 
水、水とうじのわきたる口もとをわづか動かし兵のもとむる 
                         犬塚 旦 
 
アー水ヲクレマセンカァ 咽(のど) ノド 痛イイ 夜ガ明ケ 
ンノウー 
 
熱引かぬ苦しき夜(よる)の物思ひおなじところにきてゆきつま 
る                     2首 豊田清史 
 
  いずれも原爆投下の日の情況、体験を詠った作品であろう。先 
に見た『ヒロシマの記録』が原爆投下について叙述した内容を、人間にもたらした実態として短歌はこのように表現した。これらの作品で目に付くのは、「水」、「川」 そして人間破壊の実相である。表面温度1万度の大火球の下、大量の放射能、爆風、大火災がもたらした、おそらくはこのように表現してもなお詠いきれない惨劇が続いたのだ。 
 
  「広島の川は美しい。眠くなるような美しさである。」と書いたのは広島出身の作家、太田洋子である。(『屍の街』)広島は川の街であり、水の豊かな街であった。太田川、京橋川、元安川、天満川、猿猴川、山手川の6つの川が広島湾に注ぎ、それぞれの橋に人間や馬も犬も通る橋が架かっている。筆者もかつて、40年前にもなるだろうか、広島の街を原爆に関するルポルタージュを書くために走り回ったことがあった。多くの川を渡り、橋のたもとにあった安宿に何泊かした。拙いルポルタージュが、ある青年団体の雑誌に掲載されたが、そのときの経験はまた別の機会に触れることがあるかもしれないが、いまは措く。 
 
  上記の数首に、水、川が大切な表現要素として使われている。そのほかの広島の原爆短歌に多くの人が、水と川を、太田洋子が描いたような美しい川や豊かな水としてではなく、悲劇的な原爆被爆死や苦しみを詠うのに用いるのは、原爆の本性をがもたらす熱エネルギー、悪魔のエナジーによるもので、悲しく、いきどおろしいというほかない。長崎でも同様であったことは、先に竹山広さんの短歌を読んだ時にも『とこしへの川』と歌集名にもなり、作品中にも「水」を欲する被爆者を詠って切実な、死に瀕してあるいき生きるために水を求める人間のすがたがあった。 
 
天を抱くがごとく両手をさしのべし死体の中にまだ生けるあり 
 
原爆の街遁(のが)れ来て幾日か夕近くより君血を吐きつづく 
                      2首 深川宗俊 
 
黄にひかる火焔浴(あ)びたる現(うつ)し身(み)のからだ熱ければ声あげしかも                水谷 稔 
 
ほのぐらき収容所の廊下ゆ生きながら死骸と共に寝てうめけるも 
                         栗原貞子 
 
生きながら蛆虫(うじむし)涌(わ)きて繃(はう)帯の被爆者の群(むれ)廊に横たはる             原山久枝 
 
黒焦(こ)げの皮膚に敷きたる菰莚(こもむしろ)死にては上にかぶせ替へゆく                 神田三亀男 
 
火に焦げし靴脱がすればそこのみの皮膚守られて白き子が足 
                         山本康夫 
 
人を探し入らんとしたる防空壕に少年の屍(かばね)踏みて驚く 
                        瀬戸原行信 
 
はや幾日焼あとに来て妻や児(こ)の印(しるし)なきかとさがす伯父(をぢ)かも                田村勝女 
 
かなしみは怒りはどこにぶちまけん屍瓦礫(かばねぐわれき)の 
街をもどりつ                   福島芳子 
 
原子弾にとけしかけらにはさまれし人骨のありをろがみにけり 
                         藤井 勇 
 
焼けのこる鉄筋コンクリートの下にして診療すれば雨も防げず 
                        近 璋太郎 
 
  以上の作品は広島への原爆投下による惨状を詠っているのだが、短歌をはじめ詩や俳句などにより原爆の無慙、反人間の実態を告発しようとする広島の文化人の動きの早さは、正田篠枝さんの歌集『さんげ』の秘密出版のみならず、それに先立つ昭和21年3月に中国文化連盟を結成しての『中国文化』創刊“原子爆弾特輯号”の発行を、体験記3篇、詩12篇、短歌170首、俳句64句によって原爆の惨禍を訴えるという難事業を、占領軍の厳しい検閲と闘いながら実現したことでも明らかである。上記の短歌の作者の多くはその中心的役割を果たした歌人、詩人である。 
 
  それぞれの個性と感覚、思想や文学観は必ずしも同じではなくとも、それを超えて共同する力は、昭和萬葉集のなかにあっても、ひときわ精彩を放っているといえよう。      (つづく) 


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