2018年08月20日09時19分掲載  無料記事
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リュシアン・フェーヴル著 「フランス・ルネサンスの文明」

  20世紀に花開いたフランスの新しい歴史学の一派であるアナール派の創始者のひとり、リュシアン・フェーヴルによる「フランス・ルネサンスの文明」をこの夏、読んでみた。本書の冒頭にある「はしがき」でフェーヴルは文明と名付けられた概念の定義を説明している。19世紀に「フランス語辞典」を作ったエミール・リトレの定義をまず引用し、「開花したものの状態、すなわち、技術・宗教・美術・学問の相互作用から生ずるところの、考え方や習俗の総体」だというのである。文明とは一定の期間に、一定の国(地域)において、人間の意識に働きかける物質的、精神的、知的、宗教的なもろもろの力が集まって生じた、1つの結果なのである」と。リュシアン・フェーヴルはこの定義に沿って、16世紀にフランス・ルネサンスを生んだフランス社会の「文明」を語る、というのだ。そして、当時のフランス人の日常生活とさらに知・美・信仰の4つの観点から、これを綴っていく。 
 
 「 <<ルネサンス>>とは何だったのか、各種の<< 宗教改革 >>とは何だったのかを理解しようと試みるにあたっては、彼ら16世紀初頭に生きた人間たちをこそ観察しなければならない」 
(ちくま学芸文庫「フランス・ルネサンスの文明」二宮敬訳より) 
 
  一握りの権力者や政治家の言動だけを追って歴史を綴るのではなくて、さらにどんな時代でも変わらないというような普遍的人間像などを信じず、このように移り変わっていく時代や文明の「総体」を追いかけ歴史を考える方法こそ、アナール派の特徴である。その核心は人間にある。時代時代で人間を取り巻く現実はどんなものだったのか、それがその時代の人間の生に刻印される。だからこそ、翻訳者も巻末に書いているように、本書は比較的短く、肩肘はらずに読める著作ながら、そこにアナール派歴史学の典型的な方法が見て取れる、ということになる。政治という一分野だけを見てもわからない、より広い文明の底流の変化を見ることである。 
 
 こまごまとしたことに触れる余裕はないが、1つだけ書くなら、「フランス・ルネサンスの文明」を読みながら、同時に今の日本の「文明」というものを思わざるを得なかった。ただ、それは安倍政権の是非、という政界のことに限定されず、人々の生活や学問の場、仕事や経済の場、美や芸術、そして信仰や余暇という風に、やはり総体として今の日本の「文明」がどういうものかをふりかえってみたいと思った。政治というのは氷山の一角でもあろうし、このような政治が行われている背景には日本が置かれた経済的・国際政治的背景も絡んでいるはずだし、さらには人々の夢や理念や信仰といったものの変化も関係しているに違いない。このように少し引いてワイドに現代を見る目も必要かもしれない、という風に本書を読みながら思った。つまりは現代の日本人がどのようなものかという人間像である。安倍晋三や麻生太郎といった政治のリーダーの人間像だけでなく、もっと普通の今を生きる日本人の人間像である。私たちはともすると、今の自分が標準であり、正常と思っているかもしれないが、歴史という視点に立って振り返った時、現代日本に刻印された特殊な時代に生きている、とも言えるだろうからだ。 
 
 
村上良太 


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