2018年08月27日02時25分掲載  無料記事
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コラム

トム・ウルフの死 ニュージャーナリズムの終焉 その2  村上良太

  アメリカのノンフィクション作家、トム・ウルフがこの春、88歳で亡くなった。トム・ウルフは日本でそれほど読まれたとは思えないが、それでもアメリカでは絶大な人気を誇り、日本のノンフィクション作家たちにも大きな影響を与えたであろうことは間違いない。というのも、ウルフこそは「ニュージャーナリズム」の旗手だったからだ。 
 
  ニュージャーナリズムとは何か?それを詳しく語れるほど、ニュージャーナリズムに親しんだとは言えないかもしれない。だから、アメリカの追悼記事を参照したい。前に紹介したニューヨークタイムズよりも、カナダのCBCの追悼記事の方が短くても、的確な気がする。以下のリンクがそうだ。 
http://www.cbc.ca/news/entertainment/obit-wolfe-tom-1.4663592 
 イアン・ブラウンという名前のジャーナリストの言葉が追悼記事で引用されている。”He's almost like a rebuke to us today when we think that data and sheer information is all we want.”(ウルフは今日の私たちを叱責する存在と言えよう。というのも私たちがデータと情報の蓄積だけで満足しきっているからだ) 
 
  CBCはこれが意味することをもう少しブラウンの言葉を引用して記している。 
 
"Wolfe knew there are two kinds of information. There's the information you know you want to know: that's the who and the what and the where and the why and the how,"”But he also delivered "what you didn't know you wanted to know, and that was all the beautiful storytelling stuff: the scenes and the details and the dialogue, those fantastic details that only he seemed to be able to find and only he seemed to be able to wrap into the story." 
 
 (ウルフは情報には2種類あることを知っていた。1つはあなたがすでに欲しいものが何かを理解している情報である。誰が、何を、どこで、なぜ、どのように、と言った情報のことだ。だが、ウルフはあなたが知りたいと思っていることに気づいてすらいない情報も与えたのだ。まさにそれこそが美しい物語だった。シーンの情景やデテールや会話などである。これらのデテールはウルフにしか見つけることができなかったように見えた。さらにウルフだけがその豊饒なデテールの束を1つのストーリーに仕立てることができたようである) 
 
  ウルフが対象にしたものは様々だが、そこには新聞ジャーナリズムの5W1Hと言った定番の情報だけでなく、事実を扱いながらも、そのシーンの描写や会話の味わいと深さ、さらにそれまで誰も気が付かなかったデテールの真実・・・こうした記述をフィクションを超えた文学と考えていたのかもしれない。たとえ事実を積み上げる文章であっても、その組み合わせや選択するデテールによって単に情報を伝えるだけではない、もっと豊かな文学の領域にまで迫れる、というのがニュージャーナリズムだったのだろう。その営みは必然的に読者に、日々の生活のデテールの1つ1つを考えさせるきっかけともなったと思われる。そして、アメリカでも日本でもニュージャーナリズムが中流層が大きなボリュームを占めていた時代に開花したことは、格差の広がった今日のメディアについて1つの視点を与えてくれるのではなかろうか。 
 
 
村上良太 


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