2018年09月05日10時54分掲載  無料記事
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司法

家庭裁判所と少年非行に何が起きているのか 家裁調査官が見た40年の変遷 少年法適用年齢の引き下げ論議の問題点

  2010年代の非行少年は、前記した2000年代の非行少年像の延長上にある。司法統計から言えば、全国の少年非行総数は10万件を下回るようになり、現在は7万件程度である。そして、少年非行における共犯事件は50%を切るようになった。非行少年は確実に減少し、かつ孤立化している。しかし、不登校児や引きこもり、被虐待児、そしてイジメ等による子どもの自殺は増えている。子ども・少年の問題は常に存在している。(伊藤一二三) 
 
 少年たちが持つデバイスは、2010年以降、携帯電話やゲーム機ではなくスマホに変わった。そして、ラインやフェイスブックによるコミュニティケーションが増え、入電にはすぐに反応する(レスする)ことが必須とされ、それは強迫的と言えるほどである。コミュニケーションから外されることへの恐怖は強く、よく考えもしないで同調せざるを得ない斉一化への圧力が極めて高まっていると言える。裏サイトでの悪口以上の誹謗中傷も横行し、総じてイジメにせよ親密な交際にせよ、手段がリアルなものからバーチャルなものへと拡大した。2000年代以降、バーチャル世界の拡大の中で、自傷行為を繰り返す少年少女は確実に増えているが、その背景に自己肯定感の衰弱、自殺願望の高まりも認められるとは言え、何よりも、自らの手首を薄く切り、流れ出る自らの血を見ることでしか、自分自身のリアルな存在感を確認できないという現実感の希薄さを抱えていることに注視する必要があると思われる。 
 
 これからの家裁調査官が調査活動を進めるには、特に試験観察の場合など、非行少年とスマホを使ったやり取りをせざるを得ないと思われる。そして、それ故に、直接面談して調査することの重要さ・貴重さが増すとも思われる。しかし、そうした組織的準備や配慮が家裁少年部の現場にあるようには見えない。 
 
▽家裁調査官の独立性を許さぬ最高裁施策 
 家裁現場に関わる法制度としては、2011年に民法が改正され(2012年4月実施)、特に766条において父母離婚時に面会交流を行うことが明記され、加えて、「子の最善の利益を最も優先して考慮する」こととされた。この民法改正に合わせて、2011年に家事事件手続法が制定され(2013年実施)、調査官の調査報告書は家事事件の当事者双方に開示されるものとなった。また、2014年、前記した第四次少年法改正が成立、実施となった。 
 
 この間の2011年、最高裁は「家庭裁判所調査官の育成のための新たな施策」を発表し、その施策を強行実施した。内容は、家庭裁判所調査官補の養成庁を、各高裁所在地の家庭裁判所及びさいたま・千葉・横浜・東京家裁立川支部(いわゆる大規模庁)に限定し、かつ3人一組のグループ修習を基本とするというものであり、採用3年目には主として小規模庁(地方庁の支部など)に配置し、6年目の異動を経て、9年目の異動になるまで基本的に本人の希望は受け入れないという方針である。この養成施策は、女性調査官の割合が6割を超え、子育て等の事情から異動政策が一層円滑にいかなくなりつつあったことから、若い調査官を地方の小規模庁に配置し、最高裁当局の異動施策をしやすくすること、家裁調査官として任官した後も、主任調査官を中心とした「組定例ケース会議」を実施させ、相互に業務管理をチェックし、困難事件については共同調査を基本とさせるようにすること等が目的であった。 
 
 家裁調査官の上級幹部としては、裁判官の信頼を得るために、品質管理された調査結果を確保することが必須であり、そのために基本的には3人規模で協議し、共同して調査実務を果たすことが求められた。裏を返せば、独立専門官職である家裁調査官の独立性、いわゆる職人気質を許さない施策である。筆者は、2012年に主任調査官となり仙台家裁へ赴任、その後、横浜家裁横須賀支部勤務を経て、2015年、定年退職となったが、自らの組に配置された平調査官に対し、組定例ケース会議などという形でなく、日常的なOJT(現場訓練)の中でそれぞれが担当する事案について意見交換を行いつつ、いつでも一人で調査活動ができる家裁調査官になってほしいと願いながら助言指導を重ねていた。 
 
▽「川崎事件」機にふたたび少年法改悪論が… 
 そして、2015年、いわゆる「川崎事件」(川崎市の多摩川河川敷において中1男子が地元先輩である16歳・17歳少年3名に殺害された事件)が起こり、当時、自民党政調会長であった稲田朋美が「連日、悲惨で凶悪な少年事件が起きている」と客観的事実とまったく異なる見解をマスコミの前でヒステリックに叫び、少年法適用年齢の引き下げ議論が自民党の特別調査会でなされるようになり、その提言を受けた形で法務省内での勉強会が開かれ、2017年3月から法制審議会少年法・刑事法部会で議論されている。 
 
 この少年法適用年齢を20歳から18歳に引き下げる議論は、当初は、民法の成年年齢を18歳に引き下げることから、当然のこと、即ち、18歳以上は刑事裁判にすればいいだけだといった発想が露わであった。しかし、現行少年法に基づく家庭裁判所への全件送致によって、18歳・19歳の軽微な非行も含めた全事件(簡易送致事件を除く)について、家裁が個々に調査し、様々な教育的措置を行ってきたこと、その結果、長年にわたって若年成人犯罪の発生も抑止されてきたことが明らかになるにつれ、安易な暴論では若年成人の犯罪発生率を高めてしまう懸念が強まり、現在は、18歳・19歳少年について検察官が起訴猶予もしくは不起訴とし、検察官段階での保護観察措置等をしなかった場合、その後の事件処理を家庭裁判所で行い、18歳未満の少年に対する調査・審判と「類似の」調査・審判を行うことが検討されている(その場合、家庭裁判所では少年院送致等の施設収容処分はできず、保護観察を上限とした処分に制限される可能性が大きい)。未だ審議中であり、その詳細は省略するが、この改正議論には重大な問題がある。 
 
 まず、現行少年法による少年司法が効果を上げ、少年非行を抑止してきたのが客観的事実である以上、「社会の安全安心のため」にも法改正の必要性は全く無い。にもかかわらず、少年法適用年齢を18歳未満に引き下げ、18歳・19歳少年を刑事裁判の対象にすることで、これまでの4回の少年法改正と同様に、検察官権限だけを拡大することが目指されている。また、現在の検討案では、家庭裁判所の調査・審判は従前とは異質のものに変容し、教育的効果も覚束ないものになる可能性が高い。そもそも、18歳以上に対し検察官先議の刑事裁判を適用するとすれば、少年警察は補導範囲の大幅な縮小を余儀なくされ、多くの軽微事件が摘発されないか警察署限りで終了されることになる。さらに、現在の法制審では、18歳以上の少年が公開の刑事裁判を受けることの重大性について全く議論もされていない。 
 
▽戦前の少年法がしたこと 
 今回の少年法改正に関係する歴史的な事情を踏まえるなら、戦前の旧少年法(大正少年法)は、原則的に検察官先議であり、検察官に刑事訴追されなかった18歳未満の少年に対して旧司法省に設置された少年審判所という行政裁判所で非行少年たちは処置されていた。そして、あまり知られていないことであるが、「満州事変」以後、国家予算の逼迫もあり、非行少年たちの一部は少年院や感化院に収容されず、満蒙開拓青少年義勇軍に送られるといった措置を受けるようになり、それを“画期的な矯正教育”として司法省は自画自賛していた。そして、敗戦となったが、満蒙開拓青少年義勇軍に送られた非行少年たちがどのように帰国してきたのか、帰国できなかったのかは明らかでない。 
 
 戦後、日本各地に「戦災孤児」が溢れていた時代、1948年に現行少年法が制定されたが、その際には、戦前の矯正教育の在り方が反省され、少年非行といえども行政裁判にするのではなく、三権分立のもと、家庭裁判所という司法機関で行うべきとされ、少年に教育福祉的な観点から保護処分を行う以上、検察官先議ではなく全件を家庭裁判所送致とし、家庭裁判所の調査・審判に任せることとされた。合わせて新民法では成年年齢が20歳とされたが、その背景には、18歳からの学徒出陣といった悲しい体験があり、できるだけ多くの青少年に教育機会を与えたいという強い願いがあった。 
 
 加えて、旧少年法のもとで矯正教育に携わった実務家たちの「20歳頃までは矯正教育が有効である」といった意見もあり、こうした諸点を踏まえて、現行少年法は制定されている。こうした歴史的な事情に鑑みるなら、今回の少年法適用年齢の引き下げは、18歳・19歳少年を検察官先議とし、教育的機会を奪うことを顕わにしており、それは旧少年法時代に復帰することを意味していると言わざるを得ない。 
(つづく) 


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