2018年09月19日15時22分掲載  無料記事
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核・原子力

『核と人類は共存できない 核絶対否定への歩み』の思想と闘いの記録を読む(3) 伊方原発訴訟での森瀧春子さんの意見陳述から  山崎芳彦

 森瀧市郎『核と人類は共存できない 核絶対否定への歩み』(七つ森書館刊)を読み、筆者なりの思いをふくめて記してきたが、前回は主として森瀧市郎・春子父娘の思想と闘いの記録を、春子さんが同書に「解説に替えて」として書いた「水棹のむ背の如くに」と題する文章を通じて森瀧市郎さんの核絶対否定への歩みについて、心を打たれながら、現在の「原子力社会」について多くのことを考えさせられた。 
 
 春子さんが父・市郎さんについて語った言葉がある。 
 「『森瀧市郎の娘』との言葉がついて回るのには正直、抵抗がある。反発ではない。父にはとても及ばない、おこがましいとの思いから。人間として本当に尊敬できた。裏表のない、まっすぐな性格。私も運動家の端くれとして人間関係や組織運営の難しさはよく分かるが、父は家でも決して人の悪口を言わなかった。戦時中、軍国主義教育をすすめた後悔から、私利私欲を捨て、反核への思いをただいちづに貫いた父は、やはり師であり、目標だ。」「そんな父の姿を見て育ち、何かの自覚があったのだろうか。経緯は覚えていないが、広島大付属高校1年の時、言い出しっぺとなって校内に『原爆資料紹介の会』を結成した。被爆体験を風化させまいと聞き取りを続け、ガリ版刷りの本を発行した。同じころ開かれた第1回原水禁世界大会では、現地実行委員長だった父にくっついて私も会場に出入りした。原水爆禁止を願って押し寄せる人の波や、舞台袖で聞いた『生きていてよかった』という被爆者の痛切な声は、今も私の反核活動の原動力だ」「じっとしておられず、すぐ行動に移すところは父の影響かも。父が『平和利用』も含め『核絶対否定』を貫き通した背景には、じかに触れた世界の核被害者がいる。それは私も同じだ。(中國新聞2011年5月23日朝刊 「『私の師』 平和活動家 森瀧春子さん」〈聞き手森田裕美〉ヒロシマ平和メディアセンターのホームページより) 
 
 父から娘へ、核絶対否定の歩みは重なり、つながれたことは春子さんの現在に至る国内外にわたっての貴重な活動によって確かに示されている。 
 『核と人類は共存できない 核絶対否定への歩み』(七つ森書館)の巻頭に森瀧市郎さんの「世代にわたるたたかいを」と題する次の詩のような文章がある。 
 
   …………………………………………………… 
 
  「世代にわたるたたかいを」 
ゲンバクの罪悪性は測り知れない。 
それは多くの人に悲惨きわまりない死をまねいた。 
そしてその人につながる人々に忘れようもない悲愁をまねいた。数知れぬ孤と獨と鰥と寡の慟哭をきけ。 
「遅れた死」をせおって闘病の生活をつづける人々を想え。 
消えぬ傷痕の故にひそかに忍び生きる未婚の人を想え。 
まして今日、二十七年後の今日、懐妊した新しいいのちへの不安を消しようもない若い夫婦の胸中を想え。 
戦後生れの若者たちが、親の被爆の故に、互いに「君は明日生きるか」と問わねばならぬ不安を想え。 
ゲンバクの残虐性は未来幾世代にまたがるのか。たえきれぬ思いである。 
だが友よ、私たちは今こそつよく立ちあがらねばならぬ。 
世代にわたるゲンバクの罪悪性の告発のために、 
この罪悪を再び繰り返させぬために。 
世代にわたる息のながいたたかいはまさにこれからなのである。 
それは地上のいのちがゲンバクに勝って生きのこるための、いのちのたたかいなのである。 
私たちのたたかいは孤立してはいないのだ。 
            (一九七二年の夏、海老園の宅にて) 
 
   ……………………………………………………… 
 
 森瀧市郎さんは、この「世代にわたるたたかいを」を書いた前年に「世界一周の反核の旅に出たが、その目的の一つは、原子力の平和利用について憂慮し真剣に取り組み始めている欧米の心ある学者たちを訪ねて意見を聞いたり資料を集めることだった。それはその翌年一九七二年の原水禁大会に反映され、『最大の環境破壊、放射能公害をお紺原発・再処理工場建設に反対しよう! 』というスローガンが掲げられた。」(森瀧春子「水棹のむ背の如く」より) 
 「ゲンバク」の言葉には、核が本質的に持つ「未来世代にまたがる」残虐性、罪悪性が込められていたのだと、筆者は読んだ。そして、核絶対否定の思想がこの国、さらに世界の思想となるためには「世代にわたるたたかい」が必要であることを訴えている。市郎さんの娘・春子さんも「世代にわたるたたかい」を受け止め、たたかいにその生きている力の限りを尽くしていることは、春子さんの現在に至るたたかいによって明らかだ。 
 
 その森瀧春子さんの、父市郎さんの遺志を引き継いでの歩みを、筆者は「水棹のむ背の如く」を前回から読み継ぐことで記すつもりだったのだが、前回のこの稿を読んでくれた知人から、「森瀧春子さんが四国電力伊方原発運転差止訴訟の第12回口頭弁論(松山地裁、2015年7月14日)の原告側意見陳述をした記録全文が『伊方原発をとめる会』のブログにある」ことを教えてくれ、その意見陳述書全文をプリントして送ってくれた。それを読ませていただいて、「核被害の原点から 核と人類は共存できない」と題した意見陳述書の内容に強い感銘を受けるとともに、予定していた「水棹のむ背の如く」の春子さんの自身についての記述内容に合致するものであると思い、その意見陳述書を転載させていただくことにした。少し長くなるが、陳述書は次の通りである。 
 
なお、伊方原発3号機は、2017年12月13日の広島高裁(野々上友行裁判長)において、2018年9月末までの運転差止め決定の判断が示され、現在運転停止中となっている。 
 
      ……………………………………………… 
 
伊方原発差止訴訟第12回口頭弁論(松山地裁) 2015年7月14日 
 
 意見陳述書 「核被害の原点から 核と人類は共存できない」 
                  原告 森瀧春子(広島市) 
 
 私はこの瀬戸内海に面する広島からやってきました森瀧春子と申します。原爆投下の直前に県北の父の郷里に疎開し被爆を免れました。 
 私の家族のうち被爆したのは父だけでした。父・森瀧市郎は広島大学(当時は広島高等師範学校)教授として、学生とともに学舎を離れ造船工場に動員されていました。父は爆風で飛散したガラスが顔面に突き刺さり、右目の視力を失いました。残る左眼をこじ開け、激痛に耐えながら目撃した地獄の惨状―原爆投下によって壊滅し去った街、人間の姿を失った人々の群れ、折り重なる死骸の山…核による人間否定の極限的悲惨の体験から、哲学者として核時代における人類の生きるべき方向を考え抜き「核と人類は共存できない」という核絶対否定の理念を得て、残る半生のすべてを反核運動、被爆者運動に注ぎました。この地にも足を運び伊方原発建設に反対する人々の輪に加わりました。 
 
 私が反核や反戦の運動に関わっている原点は、私の生まれ育った広島に対する1945年8月6日の原爆攻撃により無数の人たちが殺傷されたという厳然たる事実にあります。原爆は推定7万人から8万人という数の市民を一瞬のうちに殺戮し、その年末までに約14万人に上る数の市民がゲンバクのために死亡しました。その後も、さらに数多くの人たちが放射能に健康を冒され続け、苦痛の末に「遅れた死」をもたらされました。原爆慰霊碑に眠る原爆犠牲者の数は、氏名が判明しているだけでも2015年5月20日現在297,832人となっています。それだけではなく、生き残った人々の苦しみは、原爆孤児や原爆孤老に象徴されるように人間関係をも完全に破壊され、ケロイドのように心身に刻み込まれた傷跡や放射能被曝による後障害、次世代への影響への不安を背負わされ続けたことです。いかなる場合も、核兵器による市民の無差別大量虐殺は明らかに「人道に対する罪」です。 
 
 私はインドのウラン鉱山採掘現場、劣化ウラン弾を撃ち込まれたイラクの現場、ネバダ核実験場の風下住民の現場、そして原発大事故により失われた福島の人々の生活・健康・自然環境の現場など核災害の地を訪れて来ました。そこに見られるものはかならず一握りの巨大資本の利益やそれを代弁する政治家のために理不尽に踏みにじられる民衆の犠牲の姿でした。 
 
 核は、その開発の入り口から出口に至るあらゆる過程で、莫大な被害を人間や環境に及ぼしてきました。ウラン鉱山での採掘、ウランの精錬、ウラン鉱滓の廃棄、ウラン濃縮過程、核兵器製造、核実験、核兵器使用、原子力発電の事故・放射能漏れ、原発労働、核廃棄物利用の劣化ウラン弾兵器使用などすべての場面で、深刻な放射能被害をもたらしてきました。 
 
 インドにおける核開発は、ウラン鉱山周辺に住む先住民の人権を踏みにじりながら深刻な環境汚染、人体への放射線被害を引き起こしています。私は現地を何度か訪れて専門家の協力のもとに実態調査や先天性障害児等の支援をしてきましたが、、放射能による環境汚染、出産異常、多指・欠損指、眼球欠損、小頭症、巨頭症など先天性障害の多発、白血病・がんなどによる高い死亡率など悲惨な実態が明らかになっています。原発や核兵器の原料とするためのウランの採掘はインドのほかにもオーストラリアの先住民アボリジニ―地域やアメリカ、カナダの先住民地域などで続けられてきています。いずれの地域でも先住民の生活、基本的人権を奪いながら放射能被害を押しつけてきています。 
 
 湾岸戦争に続きイラク戦争においても放射能武器である劣化ウラン弾の大量投下がなされた結果、深刻な状況を引き起こしています。イラク戦争直前、直後のイラクへ赴き戦争被害や劣化ウラン被害調査や支援をしてきました。訪れる病院で見る多くの子供たちの苦しみ―白血病で末期症状を示す子どもたち、脳など身体のいたるところへのがん転移、心身に先天性障害を持たされた上に、さまざまながんに苦しみ死んでいく子どもたちの様子は、広島における原爆投下後の被害の状況と重なるもので、劣化ウラン兵器がもたらす放射能被害の凄まじさを示していました。劣化ウラン弾による放射能汚染は、採集し持ちかえったチリ、土壌、水、尿などのサンプルの専門機関による分析によって明らかになっています。飲料水、土壌の汚染、白血病を患う子供たちの尿に取り込まれた劣化ウランの検出は、すでに顕著ながんなどの著しい発症増加の現状から今後の深刻な状況が懸念されています。劣化ウラン兵器は、核開発サイクルの出口での問題となりますが、原発燃料や核兵器製造に使用する核分裂性放射能元素235を取り出した滓の核廃棄物を利用した兵器であり、原発・核兵器と表裏の関係にあります。 
 
 福島原発事故後、現地を何度か訪れました。原発事故で取り返しのつかない被害を蒙った飯舘村をはじめ、伊達市、南相馬市の原町区、小高区、川俣町、福島市松川町などの核被災の現場を歩き、多くの被災した人々にも出会いました。イラクで使った放射線量計を日本国内で使うことになるとは予想もしていませんでしたが、各所で測定して歩きました。2012年11月、事故後1年8カ月経った時点でしたが福島各地の放射線量は非常に高くイラクでの劣化ウラン汚染による放射線量値と同程度かそれを上回る数値を示し、福島各地では深刻な放射能汚染がきわめて広範囲に起きている事実に愕然とさせられました。農業、牧畜業が放棄されている地域では自然の荒れが目立ち、原発事故災害に加えて津波被害地でもある南相馬市・小高地区などでは、震災後長らく避難指示と警戒区域指定のため遺体捜査にも入れない状態で、農地か沼地か区別もつかないほどの荒地には、あちこちに壊れた船や家、自動車などの残骸が集められることもなく放置されていました。 
 
 浪江町警戒区域の無人ゲートの横には、牧場が広がり数多くの牛たちがいました。そこで牛たちに飼料を与えるために来ていた「希望の牧場」代表の吉澤正巳さんたちに出会いました。原発事故により放射線被曝をした牛は出荷できないままに、警戒区域に指定され、移動さえもできなくなりました。それ故に、取り残された牛の多くは餓死・ミイラ化したり、生き残り野生化した牛も、国は殺処分の決定をしました。浪江町の400軒の和牛農家の人々は置いてきた牛への断腸の思いと米作りや野菜、果物など物づくりができなくなった我が大地への思いでノイローゼになる人が多く、自殺者も出たということでした。被曝のリスクを負いながら牛の命を守るために餌をやり続ける吉澤さんの必死の訴えに釘付けとなり衝撃を受けました。その一部ですがどうか耳を傾けてください。 
 
 「われわれは死を覚悟したときもあったし、生死の境目はいっぱいあった。原発事故の加害者であるオフサイトセンターはすぐに逃げ、東電も逃げようとしたし、国は情報を隠し、被害を増大されたわれわれは「棄民」なのだ。避難するときはまさに、国の戦争に捲き込まれた被災民のように、国の原発施策に追われる戦争避難民の気持で逃げたのだ。われわれは棄民なのだ。27箇所の避難所に7000人が避難し、2000人が県外避難しているが、多くの避難民は生きる希望を失ってすでに部落のコミュニティは崩壊している。しかし、この無念の思いを背負って原発を乗り越え原発を無くすために私は一生闘う。牛を殺処分させず飼い続け、牛たちと運命を共にする覚悟だ。原発事故後すでに、まだら状の斑点のある異常な子牛が八頭生まれている。研究機関と協力して生きた証明として追及していき、殺処分などの証拠隠滅をさせない。何処にも帰る場所のない警戒区域の怒りを、東電、国にぶっつけていく。被災地の難民がその体験を、無念を生の声であらゆる方法で伝えていく。これまで真実を隠蔽し、目隠しし、猿轡をはめて進めてきた原発の安全神話は吹っ飛んだんだ。牛を飼い続けることにいろいろと圧力がかかるが、農家が牛を飼って何が悪い。これは抵抗のシンボルなんだ。」 
 
 研究機関や医療機関などの放射線管理区域規定ですら年間許容量は5ミリシーベルト以下であるのに、政府は、年間20ミリシーベルト以下以下の地域を避難指示解除準備地域として住民の帰還を進めようとしていますがこれではさらなる被曝を強いることになります。 
 
 政府は、高速増殖炉サイクル研究に巨額な予算を計上し、核燃サイクルの維持推進や原発の再稼働、運転期間40年を超える原発の特別措置として最長60年運転を認めるなど、あくまで原発推進政策を推し進めようとしています。原発を稼働する限り、核燃料サイクル施設を運転しようとする限り、大量の使用済み核燃料の排出、再処理によるウラン、プルトニウムや高レベル放射性廃棄物が増え続けます。原発も核兵器も、劣化ウラン兵器も人間の基本的な生きる権利を根底から破壊してきました。核開発の過程で不可避に出される放射性廃棄物、特に原発の使用済み核燃料の再処理で排出される高レベル放射性廃棄物は、処理方法も廃棄場所も全く見通しのつかない状態にあります。各地の原発に溜められている使用済み核燃料はすでに満杯のところがほとんどであるにも拘らず、政府や電力資本は川内原発、高浜原発、伊方原発など原発の再稼働を強行しようとしているだけでなく、上関などに原発の新建設の意図さえ抱いています。そこで増え続ける放射性廃棄物のことや、核被害の拡大などは意に介しないのでしょうか。日本におけるプルトニウムの蓄積はすでに47トンにも達していますが、六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場や、高速増殖炉もんじゅの運転計画を進め、さらにプルトニウムを増やそうとしています。これは、日本が核兵器保有への野望を持ち、その可能性を保持するためといわれても仕方がありません。さらに安倍政権は、ベトナム、トルコ、アラブ首長国連邦、インドなど世界各国に原発の輸出を推し進めています。福島原発の重大事故など無かったかのような原発推進への強硬な姿勢からは、一部の巨大資本の利益、経済発展のみを露骨に追求し、原発被災者への賠償を後景に追いやり切り捨てる権力者の姿しか見えません。 
 
 2013年3月にも見た飯舘村での風景が脳裏から離れません。再開されたという小学校の前には、除染で出された放射性廃棄物を詰めたビニール袋の見渡す限りの山が築かれていました。これは「除染」ではなく「移染」であり、「除染」して20ミリシーベルト以下になったとして帰還を促すというパフォーマンスは「被曝の強制」につながります。福島の核被災者の「われわれは棄民だ」という憤りを共有しなければならないと思います。原爆被爆者についても黒い雨による内部被曝の被害などを無視し切り捨てるのと同様に、原発被害についても被害評価、補償の矮小化を見逃してはならないと思います。 
 
 私たちは、人間の手に負えない負の遺産をこれ以上人類と地球に負わせてはなりません。核を利用するすべての段階で生じる放射能の内部被曝による人体への危険性は深刻です。核開発の過程で生み出される共通の核被害・放射線被害の連鎖を断ち切るために、「核と人類は共存できない」という核絶対否定の理念に立って闘ってきた先人たちに学び、この未曽有の試練に立ち向かいたいと思います。その一つとして「世界核被害者フォーラム」の広島開催を11月に計画しています。核廃絶、脱原発、ウラン兵器廃絶そして全ての核被害者救援のため、世界の核被害者―ウラン採掘、核実験、核戦争、劣化ウラン、原発事故などによるヒバクシャとの情報共有と連帯が今こそ求められています。 
 
 巨大地震の危険に満ちたこの日本、四国の地にある伊方原発でフクシマの再現が引き起こされないという保証がどこにあるでしょうか。瀬戸内海に面した伊方原発に今原子力規制委員会は3号機の審査書(案)を発表し、再稼働への動きを加速させています。今生きる私達はこの瀬戸内海の恵みを、四国の自然を、人間が人間として生きていける場としての地球を自ら破壊することがあってはなりません。この海と大地と空を守り未来に引き継いでいく責任があるのだと思います。 
 
 核時代に生きる私達は、人間が核を絶対に否定していかない限り、核によって人間が否定されてしまうのだという事を忘れてはならないと思います。 
 
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 「核と人類は共存できない 核絶対否定」の理念に立って、父・森瀧市郎とともに、また父の死後はしっかりと遺志を引き継いで、容易ではない病を抱えながら国内、世界にわたってのたたかいを続ける森瀧春子さんが2015年7月14日に伊方原発差し止め訴訟の法廷に立って行った意見陳述の全文を転載することによって、改めて「核と人類は共存できない」「核絶対否定」「人間が核を絶対に否定しなければ核によって人間が否定されてしまう」ことを身に沁みて学ばされた。 
 このことを「科学の未来、可能性」などをいうことによってあいまいにしてはならないと、筆者は強調したいと考えている。脱原発、原発ゼロ、さらに核兵器禁止は「核絶対否定」の理念の上にこそ、人々の共有しなければならない「世代にわたるたたかい」の課題としてあることを思う。 


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