2018年09月24日14時09分掲載  無料記事
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反戦・平和

「戦力不保持」こそ最善の自衛  醍醐聡

 では「専守防衛」に代わる不戦の砦はなにか? 結局、どの国からも武力攻撃の標的になるような武力を持たない「戦力不保持」が最善の自衛であるという考え方が、シンプルではあるが、もっともリアリティのある答えとなる。 
 なぜなら、これもシンプルではあるが、戦力を持たないということは他国を攻める意思がないことを内外に事実で示すことであり、それによって「潜在的脅威の抑止」とか「防衛的先制」とかを大義名分にした武力攻撃を受ける可能性を排除できるからである。 
 
◆専守防衛に代わる不戦の戦略 
 
 「他国の攻撃に丸腰でいいのか?」、「独立国として自分の領土を自分で守るのは当たり前」という意見が多いが、単純すぎてリアリティに欠ける。 
 
 「丸腰はダメ」? では、どんな武器を腰にぶら下げたら足りるのか? 武器が武器を呼び、これで抑止力として足りるという天井がないのが実情である。 
 いや、その前に「他国からの攻撃」というが、「他国」とはどこなのか? 北朝鮮? 射程を伸ばしたミサイル開発、核開発がその証拠? 
 
 しかし、冷めた目で見れば、北朝鮮のこうした行動は、いずれも外交カード、伝統的に言えば「瀬際外交」のカードであって、日本を含むどこかの国を攻撃する軍事的動機を持っていないどころが、そのような行動が自らにもたらすリアクションをわきまえないほど北朝鮮はおろかな国ではないはずだ。 
 もちろん、「外交上のカード」とはいっても、「アメリカを火の海にする」と公言したり、日本上空を跳び越すミサイルを発射したりするのは挑発以外の何物でもなく、北朝鮮にとっても、軍事的リアクションでないせよ、経済制裁というリアクションを招いた。 
 
 ただし、愚かな行為とはいえ、北朝鮮が日本を標的に挑発行為をした背景には、自衛隊が北朝鮮に対して軍事的圧力をかけるアメリカに追随して共同演習を行ったり、米艦隊の防護に出動したり、安倍政権が「対話のための対話は意味がない」などと唱えてアメリカの経済制裁に忠実に同調してきたりした経緯があったことは間違いない。 
 
 であれば、日本が戦力不保持を明言し、自衛隊が米軍との共同演習を停止した場合、北朝鮮が日本に対して軍事的挑発行動をする動機はなくなる。また、日本が北朝鮮を仮想敵国と見立てて、先制攻撃能力はもとより、専守防衛能力の整備・増強に努めなければならない理由はなくなる。また、日本防衛のための「用心棒」として米軍に頼る理由もなくなる。 
 
◆米朝対話の進展 
 
 折から、南北朝鮮首脳の3回目の会談がピョンヤンで開催された。そこで採択されたピョンヤン宣言2018では、南北間の恒久的不戦宣言が盛り込まれた。また、アメリカの対応的行動(朝鮮戦争の終結)を条件として、北朝鮮が非核化を早期に完遂する意思も表明された。 
 これを受けてポンペオ米国務長官は、南北朝鮮首脳のこうした合意を歓迎するとともに、米朝首脳の2度目の会談の実現に向けて担当者間で早急に協議する意向を表明した。 
 
 このように米朝間の対話による和平実現に向けた動きが加速しつつある背景には文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領の粘り強く、優れた仲介があったことは間違いない。それによって南北首脳間で信頼関係が醸成された意義は大きい。「信頼こそ外交の礎」の見本といえる。 
 
(注) 
「田中均氏『国内に威勢のいいこと言うのが外交じゃない』安倍首相の拉致対応に苦言(朝日新聞デジタル 2018年07月04日 07時59分) 
https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/03/abe-diplomacy_a_23474167/ 
 
「非核化への米朝外交『信頼が欠如』 在韓米軍司令官、核能力を警戒」 
(『東京新聞』2018年7月23日、夕刊) 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201807/CK2018072302000237.html 
 
 この先、重要なのは、金正恩氏が非核化に関して言行一致を貫くこと、ポンペオ氏が米国内になお根強い北朝鮮への不信感を説得し、ぶれるトランプ大統領を補佐して、米朝間の「行動対行動」の和平を加速させる役割を果たすことだと思う。そのためにも、金正恩氏の非核化に向けた言行一致が強く求められる。 
 (ただし、そもそも論を言うと、アメリカが、北朝鮮が保有する核兵器(10未満)と比較にならない(約4000)核兵器を保有する現実を棚に上げて北朝鮮の非核化ばかりを要求したり、核不拡散条約への署名を拒む日本がアメリカに同調して北朝鮮に非核化の履行を迫るのは、条理に反している。) 
 
◆吉田茂ドクトリンへの回帰 
 
 こうして朝鮮半島をめぐる軍事的緊張が解消するなら、日本のこれまでの防衛政策の通念も見直しを迫られる。なぜなら、武力で自衛しなければならない「仮想敵国」、武力で自衛の備えをしなければならない「脅威」の策源地が名実ともになくなるからである。 
 そもそも論をいうと、日本国憲法が制定されてまもない1949〜50年当時の国会では「自衛権」といっても、「武力による」自衛を意味しないという議論が主流だった。それは吉田茂首相(当時)の答弁に明快に示されている(以下、これを「吉田ドクトリン」という)。 
 
 「私はこう考えております。日本は戰争を放棄し、軍備を放棄したのであるから、武力によらざる自衛権はある、外交その他の手段でもつて国家を自衛する、守るという権利はむろんあると思います。」 
(1949年11月21日、衆議院外務委員会) 
 
 「また、わが国の将来の安全保障につき内外多大の関心を生じていることは当然のことでありますが、我が憲法において厳正に宣言せられたる戦争軍備の放棄の趣意に徹して、平和を愛好する世界の論を背景といたしまして、あくまでも世界の平和と文明と繁栄とに貢献せんとする国民の決意それ自身が、わが安全保障の中段をなすものであります。(拍手)戦争放棄の趣意に徹することは、決して自衛権を放棄するということを意味するものではないのであります。(拍手)わが国家の政策が民主主義、平和主義に徹底し、終始この趣旨を厳守して行動せんとする国民の決意が、平和を愛好する民主主義国家の信頼を確保するにおきましては、この相互の信頼こそ、わが国を守る安全保障であるのであります。(拍手)この相互信頼が、民主国家相互の利益のため、わが国の安全確保の道を講ぜんとする国際協力を誘致するゆえんであるのであります。」(1950年1月23日、衆議院本会議) 
 
 3年前、集団的自衛権を容認する安保関連法が上程されたとき、多くの憲法学者がこれに反対の意思を表した。自からの学問的見識を社会に向けて表明したという意味では重要な出来事だった。 
 しかし、そこでは、個別的自衛権との区別で集団的自衛権の違憲性がもっぱら語られ、個別的自衛権それ自体の合憲性なり、リアリティなりはほとんど語られなかった。 
 
 私がこの記事で述べた「戦力不保持こそ最善の自衛」という考え方は、決して目新しいものではなく、67年前に当時の吉田茂首相が語った上記の考え方そのものなのである。 
 
 吉田ドクトリンは、その後の米ソ冷戦や核による抑止力競争の負の連鎖に伴って現実味があせたかに見え、「武力ではなく、信頼を礎とする対話」は政治の表舞台から遠のいた。 
 
 しかし、韓国での政権交代によって登場した文在寅大統領の対北朝鮮対話路線、それに呼応した北朝鮮政権の軍事一辺倒の外交路線から対話併用路線への転換に伴い、「武力ではなく、信頼を礎とする対話」の流れが再び、現実味をおびてきた。 
 
 こうした流れの中で日本の防衛政策はどうあるべきなのか? 
 集団的自衛権の実績作りに躍起になっている安倍政権の動きを封じなければならないのは当然だが、それだけでなく、否、そのためにも、「専守防衛」の国是を抜本的に改める必要がある、というのが私の考えである。 
 
 なぜなら、「専守防衛」も「武力による自衛」を容認し、前提にしている点では、吉田ドクトリンと相容れず、吉田ドクトリンの真価が発揮されるべき今の東アジア情勢と相容れないからである。そればかりか、専守防衛はその名に反して、「防衛的先制」を内包し、軍事的抑止力競争の負の連鎖を押しとどめることができないジレンマを抱えている。 
 
◆憲法「改正」ではなく、自衛隊法の改正こそ急務 
 
 「自衛隊は違憲というが、それなら災害救助に当たる自衛隊も違憲なのか」という議論がある。 
 こうした意見は自衛隊違憲論者の本意にそぐわないが、しかし、今の自衛隊法をそのままにした自衛隊違憲論の不備を突く意見ではある。 
 これに関する私の考えは要点だけ記すと、自衛隊の主要任務を定めた自衛隊法第3条の改正が必要だと言うことである。 
 
 現行の自衛隊法は第3条で「自衛隊の任務」を次のように定めている。 
 
 
「第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。」(以下の各項、省略) 
 
 では、自衛隊が災派遣等に当たる根拠規定はどこにあるのかというと、第83条で次のように定められている。 
 
 災害派遣 
 「第八十三条 都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。 
 
2 防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。」 
 
 地震防災派遣 
 「第八十三条の二 防衛大臣は、大規模地震対策特別措置法(昭和五十三年法律第七十三号)第十一条第一項に規定する地震災害警戒本部長から同法第十三条第二項の規定による要請があつた場合には、部隊等を支援のため派遣することができる。」 
 
 原子力災害派遣 
 「第八十三条の三 防衛大臣は、原子力災害対策特別措置法(平成十一年法律第百五十六号)第十七条第一項に規定する原子力災害対策本部長から同法第二十条第四項の規定による要請があつた場合には、部隊等を支援のため派遣することができる。」 
 
 もっとも、政府・防衛省は自衛隊の災害等への派遣を、自衛隊法第3条後段の「公共の秩序の維持」に含まれると説明してきた(2012年3月14日、参議院予算委員会、田中直紀防衛大臣答弁) 
 
 しかし、これは民主党政権時代の政府の条文解釈答弁であり、明文に定めがあるわけではなく、政府見解として定着したものかどうかも明らかでない。 
 かりに、政府見解だとしても、災害派遣等は「必要に応じ」と定められた副次的任務とみなされている。 
 
 前回とこの記事で述べてきたような昨今の日本を取り巻く安全保障環境が「厳しさを増す」のではなく、「和平の方向に進む」状況では、「武力不保持」=近隣諸国との「信頼を礎にした対話外交」に舵を切るなら、国土防衛はもはや自衛隊の主たる任務でも副次的任務でもなくなる。 
 (ただし、たとえば、原発を標的にした小型の武器や化学兵器等を使ったテロの可能性などは残っているから、現在の自衛隊に蓄積されたこれらの武器使用の危険を防護する人員、技術、装備は保持する必要がある。) 
 
 むしろ、近年、自衛隊に期待されるのは、相次ぐ大雨・水害・土砂災害、地震災害等による被災地救援のための活動である。 
 であれば、自衛隊法第3条を改め、自衛・他衛を問わず、「防衛」を主たる任務とした定めを削除し、代わって、災害等の被災地救助を主たる任務とするよう改正するのがふさわしい。 
 また、こうした法改正とあいまって、「自衛隊」を「災害救助隊」(仮称)と改め、同じ目的で任務に当たる消防庁、警察庁などとの組織統合あるいは組織的連携(情報の共有、指揮監督系統の整備など)も検討されてしかるべきである 
 
<醍醐聰のブログ>から 


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