2018年09月27日01時49分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201809270149144

文化

「日仏の翻訳者を囲んで」第5回  ミリアン・ダルトア=赤穂さん(翻訳家) 聞き手:新行内美和(日仏会館図書室)

  9月26日の夜、東京・恵比寿にある日仏会館図書室で日本語とフランス語の間で翻訳活動をしている第一線の人を招いて話を聞く「日仏の翻訳者を囲んで」の第5回目が行われた。この日のゲストはフランス人女性の翻訳家、ミリアン・ダルトア=赤穂さんで、彼女の日本での生活は23年に及ぶ。 
 
  日仏会館図書室によると、ミリアン・ダルトア=赤穂さんがこれまでに翻訳したの作品群には小川糸著『食堂かたつむり』、『リボン』、『にじいろガーデン』、『ツバキ文具店』、中村文則著『銃』、『掏摸(スリ)』、『去年の冬、きみと別れ』、本谷有希子著『自分を好きになる方法』、『異類婚姻譚』、羽田圭介著『スクラップ・アンド・ビルド』、ドリアン助川著『あん』、『ピンザの島』などがある。実に様々な作家の作品に挑戦しているのだ。小川糸著『食堂かたつむり』の翻訳では小西国際交流財団 日仏翻訳文学賞奨励賞を受賞した。そういえば、筆者のフランス人の友人が以前、小川糸の『食堂かたつむり』は素晴らしかった、と教えてくれたことがあったが、それはミリアン・ダルトア=赤穂さんの手になる翻訳作品だったのだ。 
 
  ミリアン・ダルトア=赤穂さんは以前、NHKのラジオジャパンでニュースなどの翻訳をしていたそうだが、のちに書店で買って読んだ乙一の小説、「暗いところで待ち合わせ」を自分で翻訳してみようと思い立った。パリの国立東洋言語文化学院日本語学部を卒業して、日本でもニュースの翻訳をしてきた彼女は翻訳には自信を持っていた。ところが、小説の翻訳はニュースとは違って曖昧さとか微妙なニュアンスもあり、さらに意味は分かってもいざフランス語で書く、という段になってフランス語の作文力=書く力がまだまだ不足していることに気がついたのだと言う。そのため、思いつきで始めた小説の翻訳ではあったが、非常に苦労を重ね、訳し終わるまでに丸丸二年かかったのだという。しかも、フランス人や日本人の知人たちから様々なアドバイスを受けて何度も書き直した。だが、その努力が実る日が来た。フランス著作権事務所(※)のカンタンさんというスペシャリストに小説を翻訳したと伝えると、翻訳家としては無名だったにも関わらず意外にも非常に親切に対応してくれておよそ1年後にはミリアン・ダルトア=赤穂さんの翻訳を出版してくれるフランスの出版社を見つけてくれたのだそうだ。 
 
  ミリアン・ダルトア=赤穂さんによると、小説の翻訳について言えば、「最初の30ページが地獄」だという。日本の作家の文体をどうフランス語の文章にするか、最初はまだ十分に翻訳者自身がつかめていないからだ。乙一から小川糸、さらにドリアン助川や本谷有希子など様々な文体をどうフランス語に移すかは、「まさに勘としか言いようがない」。あるいはもっとのちになったらうまく説明ができるようになるかもしれない、と。それでも心掛けていることの1つはなるだけ脚注をつけないことだという。脚注は逃げに思えるから、できるだけ脚注にせず、説明が必要なところは自分で消化して文章の中に入れこんでいく努力をする、という。彼女がそのような姿勢をとる背景にはウンベルト・エーコが「脚注は翻訳者の負け」と本の中で書いていたのを読んで影響を受けたからだと言う。エーコは作家でもあるが、翻訳家でもある。小説論も書いてるが、翻訳論も書いている。 
 
  それともう一つ、ミリアン・ダルトア=赤穂さんが心がけているのは原書の文章の一文一文の長さにできるだけ忠実にフランス語でもしているのだそうだ。長い原文なら、訳文でも長くし、短ければ短く。原書のリズムを崩さないように努力しているのだと言う。 
 
  フランスで出版される翻訳小説の場合、表紙に翻訳者の名前が出ることは稀で、日本とはそこが異なるそうだ。さらに言えば小説の後に「訳者のあとがき」みたいな文章や解説が日本ではつくことが通常だが、フランスの場合は基本的にない。これについて、会場の聴衆との質疑応答があり、「フランスでは翻訳者は透明人間」とミリアン・ダルトア=赤穂さんは言った。「でも読者としての私は小説の後ろに説明などがない方がいい」とも彼女は言った。それがフランスでは自然なのだろう。実際、翻訳者が存在感をなるだけ消して透明になっているために小説を読んだ読者は作家がフランス人なのか、外国の翻訳小説なのか注意しないとよくわからないことがあるのだという。だが、日本では小説を読む前にあとがきを先に読んで、頭の中に作家像とか、評価などをインプットしてから作品を読むという人が少なくない。僕の場合は昔はあとがきを読むのが好きだったのだが、パリでフランスの小説を買って読むようになってから、あとがきなどない方が読者は自由に本が読めるんではなかろうか、と思うようになった。日本ではともすると、翻訳者が前に出すぎて自分の解釈を読者に押し付けてしまう可能性があるからだ。前にも日刊ベリタに書いたことだが、カフカの「変身」の日本語訳の中には非常に押しつけがましい解釈をあとがきとしてつけた文庫本のバージョンもあった。そのような理屈臭い解釈をあとがきであったとしても読者に押し付けるべきではないと思う。仮にその人がそう考えるとしても、それは作品の巻末ではなく、評論集みたいな形で独立させた方がよいのではなかろうか。つまり、日本の場合は基本的に権威主義的だと言ってよいと思う。いちいち権威を持つ人の解釈を学習してそれに沿って作品を読む・・・こんな読み方ではとても自由にその作品を味わうことはできないだろう。 
 
  聞き手の新行内美和さんは翻訳者が翻訳作業中に何にこだわっているか、そこを訥々とながら非常にセンス良く掘り起こしていた。そして二人のやり取りから、ミリアン・ダルトア=赤穂さんが性格的に負けず嫌いな人だ、ということが分かってきた。ミリアン・ダルトア=赤穂さんは様々な状況を設定して翻訳者が負ける場合と勝つ場合とを頭の中に想定し、テニスの試合のように闘志を掻き立てて作業している人のように思われた。そして負けるのが嫌なんだろう、と。何かにつけ「それは私の負け」という風に口をついて出てくるのである。この日の話を聞いて、意外なことだが、原書の日本の現代小説を読まなくてはいけないな、と言う風に思えてきた。 
 
 
※フランス著作権事務所 
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/mediatheque/bcf/ 
 
村上良太 
 
 
 
■「日仏の翻訳者を囲んで」第二回 翻訳家・原正人氏 ( 司会 丸山有美 ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201803170500066 
 
 
■日仏会館図書室図書室「日仏の翻訳者を囲んで」 第九回 コリーヌ・カンタン氏 ( 司会 丸山有美 ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201903090146076 
 
■「日仏の翻訳者を囲んで」 翻訳家・笠間直穂子氏 ( 司会 丸山有美) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201803010043234 
 
■歴史家アンリ・ルッソ氏の来日講演 「過去との対峙」 〜歴史と記憶との違いを知る〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201810240710113 
 
■あとがき不要論    村上良太 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201303101347370 
 
■カフカ作「変身」の中身     村上良太 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201011010105451 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。