2018年10月06日19時07分掲載  無料記事
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山口昌男著 「天皇制の文化人類学」(岩波現代文庫)

  21世紀に入ってめっきり存在感が小さくなった学問分野が文化人類学ではなかろうか。1970年代から80年代にかけての大流行とは真逆になり、90年代以降はグローバル時代とか、アメリカンスタンダードの時代などと言うように、市場民主主義を旗頭に、1つの価値観で人類「解放」が推し進められてきたと言って過言ではないように思う。そんな今日、 文化人類学者の山口昌男もかつての学会のスター的な存在感はなく、ほとんど忘れられているのではないか。 
 
  岩波現代文庫から出ている「天皇制の文化人類学」は山口昌男が研究の中心的なテーマとしていた「王権」を日本の天皇制と重ねて考察した一冊だ。本書の冒頭で書かれていることだが、山口が王権の研究になぜ関心を持ち始めたかと言えば、その原点は1950年代の青年時代にある。当時、終戦直後の多くの学生たちは天皇制はもう過去の制度となった、という感覚を持っていた。ところが山口には天皇制がそのようなもろいものに思えなかったということがある。過去脈々と続いてきた天皇制が持つ力を学問の中で解明したいと言う思いが山口のその後の王権の研究につながっていったというのだ。 
 
  「天皇制の分析が厄介なのは、この体系が、制度として、イデオロギーとしてばかりでなく、美学的・宗教的に日本人の精神構造を規定してきたことに由来する」 
 
  「天皇制を単に政治の次元だけで捉えていたのでは間違う。天皇制は神山茂夫氏らの理論家が言うように、単に政治・経済の次元だけで機能している制度ではない。それは権力として外在するばかりでなく、われわれの精神の内側にも根を持っていることを忘れてはならないのではないか、という疑問を提出しました」 
 
 「私の研究は、当時、天理大学のアフリカ文庫をはじめとして、日本の図書館の収蔵するアフリカ民族誌の中で、王権に関するものを次々に読むことから始まりました。私の主な関心は常に、神話・象徴論にあったものですから・・・」 
 
 「(当時の)私の視点は、王の権威と権力の乖離に焦点を当てました。権力と権威を分けて考えるのはエヴァンス・プリチャードの先に述べた『シルック族の神聖王権』の中での『王は支配するけど統治しない』という命題に依拠したものです」 
 
  山口昌男は天皇制を研究するために、回り道のようでもアフリカの王権に関する文献を多数読み、さらに世界の王権論を読み、王権の象徴性が何を意味するか、ということを探っていった。山口のように文化人類学の研究対象として、ストレートに天皇制を語る人は今日あまり多くないように思われる。最近、靖国神社の人が天皇批判をしていると報じられた。また、今、平成時代も終わろうとしている。天皇の世継ぎはどのような基準で決められていくのか。こうした天皇制にかかわることは政治の次元で語られることが多いが、それだけではわからないことも少なくない。そうした時に文化人類学的なアプローチは今後も必要ではないか、と思う。そんなときにこの本は文化人類学がどのようなアプローチをしてきたのかを知ることができる参考書として活用できるだろう。 
  王権に絡めてシェイクスピア劇を分析したヤン・コット、構造主義の大物レヴィ=ストロース、英国のマルクス主義系の王権論者ジョージ・トムソン、「政治人類学」のG・バランディエ、バリ島の王権論を記したクリフォード・ギアーツ、「王と評議員達」を書いたH・M・ホガートなど様々な研究者の紹介が書かれているのだ。 
 
  1969年から70年にかけて山口がパリ大学ナンテール校で教鞭を執った時のテーマは「交換と権力」で、「政治の象徴論・宇宙論的次元を論ずることを目的としていた」。そして、「政治という現象は、荘重な資格を帯びた人物を取り捲く、象徴や強大な特権をめぐる焦点化であるということができる」として、首長制について記している。これは天皇制だけでなく、今日の政治のリーダーをめぐる考察でもある。 
 
「道化とは、私見では、低きに貶められた王であり、王は高みにのぼった道化である。両者は、日常生活を中心と外縁から挟み撃ちする存在である」 
 
 
村上良太 
 
 
 
※山口昌男の著書には次のようなものがある。(ウィキペディアを参照した) 
 
「アフリカの神話的世界」(岩波新書、1971年) 
 
「人類学的思考」(せりか書房、1971年 / 筑摩書房(新編)、1979年 / 筑摩叢書、1990年) 
 
「歴史・祝祭・神話」(中央公論社、1974年 / 中公文庫、1978年 / 岩波現代文庫、2014年) 
 
「道化の民俗学」(新潮社、1975年 / 筑摩叢書、1985年 / ちくま学芸文庫、1993年 / 岩波現代文庫、2007年) 
 
「道化的世界」(筑摩書房、1975年 / ちくま文庫、1986年) 
 
「文化と両義性」(岩波書店〈哲学叢書〉、1975年 / 岩波現代文庫、2000年) 
 
「世界の歴史6 黒い大陸の栄光と悲惨」(講談社、1977年) 
 
「知の遠近法」(岩波書店、1977年 / 岩波同時代ライブラリー、1990年 / 岩波現代文庫、2004年) 
 
「知の祝祭 文化における中心と周縁」(青土社、1979年 / 河出文庫、1988年) 
 
「文化とその痛み」(現代研究会〈現代セミナー10〉、1979年) - 講演冊子 
 
「道化の宇宙」(白水社、1980年 / 講談社文庫、1985年) 
 
「仕掛けとしての文化」(青土社、1980年 / 講談社学術文庫、1988年) 
 
「文化人類学への招待」(岩波新書、1982年) 
 
「文化の詩学 I・II」(岩波書店〈岩波現代選書〉、1983年、新装版1998年 / 岩波現代文庫、2002年) 
 
「文化と仕掛け Scrap book1」(筑摩書房、1984年) 
 
「笑いと逸脱 Scrap book2」(筑摩書房、1984年 / ちくま文庫、1990年) 
 
「流行論 週刊本」(朝日出版社、1984年) 
 
「演ずる観客 劇空間万華鏡1」(白水社、1984年) 
 
「祝祭都市 象徴人類学的アプローチ」(岩波書店〈旅とトポスの精神史〉、1984年) 
 
「冥界遊び Scrap book3」(筑摩書房、1986年) 
 
「スクリーンの中の文化英雄たち」(潮出版社、1986年) 
 
「文化人類学の視角」(岩波書店、1986年) 
 
「学校という舞台−いじめ・挫折からの脱出」(講談社現代新書、1988年 / 「いじめの記号論」岩波現代文庫、2007年) 
 
「モーツァルト好きを怒らせよう 祝祭音楽のすすめ」(第三文明社、1988年) 
 
「「知」の錬金術」(講談社、1989年) 
 
「天皇制の文化人類学」(立風書房、1989年 / 岩波現代文庫、2000年) 
 
「知の即興空間 パフォーマンスとしての文化」(岩波書店、1989年) 
 
「気配の時代」(筑摩書房、1990年) 
 
「のらくろはわれらの同時代人 漫画論集」(立風書房、1990年) 
 
「宇宙の孤児 演劇論集」(第三文明社、1990年) 
 
「病いの宇宙誌」(人間と歴史社、1990年) 
 
「トロツキーの神話学」(立風書房、1991年) 
 
「自然と文明の想像力」(宝島社、1993年) 
 
「「敗者」の精神史」(岩波書店、1995年 / 岩波現代文庫(上下)、2005年) 
 
「「挫折」の昭和史」(岩波書店、1995年 / 岩波現代文庫(上下)、2005年) 
 
「知の自由人たち」 (日本放送出版協会〈NHKライブラリー〉、1998年)[4] 
 
「敗者学のすすめ」(平凡社、2000年) 
 
「内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘」(晶文社、2001年 / 岩波現代文庫(上下)、2010年) 
 
「山口昌男著作集」(筑摩書房(全5巻)、2002年 - 2003年) - テーマ別編集、今福龍太 編・解説 
1.知、2.始原、3.道化、4.アフリカ、5.周縁 
 
「山口昌男ラビリンス」(国書刊行会、2003年) - 1980年代以降の単行本未収録の論考・雑文 
 
「エノケンと菊谷栄―昭和精神史の匿れた水脈」(晶文社、2015年1月) - 1980年代に執筆した遺稿を編んだ 


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