2018年10月07日12時05分掲載  無料記事
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教育

柴山文科相の国語力不足  根本行雄

 10月2日、第4次安倍改造内閣が発足した。柴山昌彦衆院議員(52)=埼玉8区=が文部科学相として初入閣した。就任記者会見で、教育勅語を巡って同胞を大切にするといった基本的な記載内容を現代的にアレンジして教えていこうという動きがあるとして「検討に値する」と述べ、「アレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」とも語った。柴山文科相は、国語力の基本である読解力が不足していることが明らかになった。こういう基礎学力の不足している人物には、文科相を担当する能力はない。またしても、安倍自民党内閣の質の悪さを露呈した。 
 
 
 まずは、柴山昌彦という人物のことを毎日新聞の記事から探ってみることにした。 
 
 柴山昌彦(しばやま・まさひこ)は、会社員を経て弁護士となり、2004年の衆院補選の公募に応じ、衆院埼玉8区補選で初当選した。当時、自民党幹事長だった安倍晋三首相が公募を主導した縁で「安倍シンパ」になった。17年8月からは党総裁特別補佐として首相を支えた。副総務相や党筆頭副幹事長などを歴任し、安倍晋三首相の側近として知られる。 
 同性婚に関し「制度化すれば少子化に拍車がかかるのでは」と発言し、批判を浴びたこともある。空手2段。学生時代には一時、歌手を夢見た。愛知県出身。(細田派) 現在6期目。 
 
 初入閣した柴山昌彦文部科学相は、10月3日、職員への訓示で、自分と省内ですれ違った際にあいさつをするよう求めた。汚職事件などで揺れる文科省だが、柴山氏はあいさつを省内改革の第一歩と位置づける考えを示した。 
 柴山氏は2014年6月、同じ派閥の下村博文元文科相が著書で「文科省は覇気がない」「廊下を歩いていても、幹部以外はあいさつをしない」と記したことに触れ、自身のツイッターで「教育行政を司(つかさど)る文科省がこれでいいのか。それともこれが霞ケ関のカルチャーなのか」とつぶやいたことがある。あいさつの要求の背景にはこうした過去の経緯もあったとみられる。訓示では「私は廊下ですれ違う時にあいさつをする。皆さんも会釈をするなり、声を掛けるなりしてほしい」と求めた。 
 柴山氏は2日夜の就任記者会見でも、不祥事続きの文科省の現状について「(立て直しは)道半ばだ。先頭に立って職員と議論したい」と述べた。 
 
 
 
 □ 教育勅語についての発言(毎日新聞の記事より) 
 
 柴山氏は2日の就任会見で、教育勅語に関する質問に「現代風にアレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」と答えた。同胞を大切にするといった基本的な内容をアレンジして教えていこうという動きがあるとして「検討に値する」とも語った。 
 
 5日の閣議後記者会見で、教育勅語にはアレンジして道徳に使える普遍性があるとした就任会見での自身の発言について「教育勅語を復活させると言ったわけではない。政府のレベルで現代的にアレンジした形で道徳への活用を推奨することはない」と述べた。「普遍性がある」とした部分に関しては「現在の教育にも通用する内容がある」と強調し、撤回しなかった。 
 
 閣議後会見では「教育は憲法、教育基本法の趣旨を踏まえて学習指導要領に沿った形で行わなければならない。その判断は学校現場がすることだ」と説明。政府が昨年3月に閣議決定した「憲法や教育基本法に反しない形での教材使用は否定しない」との答弁書に沿った主張を展開した。 
 教育勅語の道徳への活用については「個人、団体のレベルで検討されているのは事実だが、政府のレベルとして推奨することは念頭に置いていない」と説明。一方で、「(教育勅語には)過去に日本人を戦争に駆り立てた部分もあるかもしれないが、日本の規律正しさやお互いを尊重する気持ちは世界中で尊敬を集めている。今なおアレンジして利用できる理念がある」との見解を改めて示した。 
 
 
 
 □ 教育勅語とはどういう文章か 
 
 教育勅語とは、明治天皇が「臣民」である国民に守るべき徳目を説いたという内容の文章である。1890年10月30日に発布された。315文字の文章である。 
 公式文書においては「教育ニ関スル勅語」と表現するが、一般的には「教育勅語」と表現されている。1890年10月30日に、宮中において、明治天皇が山県有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に対して与えた勅語、と言う体裁を採っている。ただし、実際には井上毅、元田永孚らが起草したものである。 
 
 
<原文> 
 
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ外薀諒ジ史鰌薀忘.紡献梗た談栄稱譽帽Д坊残錺僕Д防徂愾袁促景友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン 
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 
 
明治二十三年十月三十日 
 
御名御璽 
 
 
<原文にふりがなを付けたもの> 
 
朕(ちん)惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそ こうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり) 
我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(しんをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ外薀諒ジ察覆┐鵑欧鵝頬髻覆泙拭釦薀法覆犬弔法忘.法覆海海法紡献后覆召鵑后法
爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ(ふぼに こうに)兄弟ニ友ニ(けいていに ゆうに)夫婦相和シ(ふうふ あいわし)朋友相信シ(ほうゆう あいしんじ)恭儉己レヲ持シ(きょうけん おのれをじし)博愛衆ニ及ホシ(はくあい しゅうにおよぼし)學ヲ修メ業ヲ習ヒ(がくをおさめ しゅうをならい)以テ智能ヲ啓發シ(もってちのうをけいはつし)器ヲ成就シ(とっきをじょうじゅし)進テ公益ヲ廣メ(すすんでこうえきをひろめ)世務ヲ開キ(せむ/せいむ をひらき)常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(つねにこっけんをじゅうし こくほうにしたがい)一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(いったんかんきゅうあれば ぎゆう こうにほうじ)以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(もって てんじょうむきゅうの こううんをふよくすべし) 
是ノ如キハ(このごときは)獨リ(ひとり)朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス(ちんがちゅうりょうのしんみんたるのみならず)又(また)以テ(もって)爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン(そせんのいふうをけんしょうするにたらん) 
 
斯ノ(この)道ハ實ニ(じつに)我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ(いくんにして)子孫臣民ノ倶ニ(ともに)遵守スヘキ(じゅんしゅすべき)所(ところ) 
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス(あやまらず)之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(もとらず)朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ(けんけんふくよう して)咸(みな)其ヲ(そのとくを)一ニセンコトヲ庶幾フ(こいねがう) 
 
明治二十三年十月三十日 
 
御名御璽(ぎょめい ぎょじ) 
 
 
 
 教育勅語の内容は、儒教的な道徳と、家族的な国家観にもつづく忠君愛国主義であり、教育の根本は皇祖皇宗の遺訓であるとされている。教育勅語から12の項目を抜き出して列挙したものが、第二次世界大戦後の日本においては、『12の徳目』と呼ばれている。 
 
 1 父母に孝行をつくしなさい 
 2 兄弟姉妹仲よくしなさい 
 3 夫婦は互いに睦び合いなさい 
 4 朋友は互いに信義を以て交りなさい 
 5 自己を律し、へりくだって勝手気ままな振る舞いをしない 
 6 人々に対して慈愛を及すようにしなさい 
 7 学問を修め業務に習熟し 
 8 知識才能を涵養しなさい 
 9 善良有為の人物となりなさい 
 10 自ら進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこしなさい 
 11 常に皇室典範並びに大日本国憲法をはじめ諸々の法令を尊重し遵守しなさい 
 12 万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくしなさい。そのようにして天地と共に窮りなき天皇と皇室と国家の繁栄のために力を尽くしなさい 
 
 
 安倍晋三政権の周辺には「教育勅語」肯定論を唱える人が多い。「親孝行や家族愛など良い面もある」などと再評価する保守系の政治家は多い。田中角栄、森喜朗両元首相らは有名だ。 
 
 教育勅語を肯定し、評価している人びとは「当たり前の道徳であり、いいことが書いてあるではないか」と口をそろえて褒めている。たしかに、教育勅語には「12の徳目」とされるものが書かれており、11番目までは儒教道徳などから見ればごく普通の道徳項目が書かれている。しかし、最後の12番目には〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉とあり、さらに〈以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉と続く。これは「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくしなさい。そのようにして天地と共に窮りなき天皇と皇室と国家の繁栄のために力を尽くしなさい」という意味を表しているものである。文章の構造をみるならば、そこまでの「当たり前のいいことが書いている」という徳目も、「以テ」以下にかかっており、すべての道徳項目が天皇および天皇制を支えるという目的のために存在していることがわかるはずだ。教育勅語とは明治の天皇中心の軍国主義国家を確立し、国民に天皇のために命を投げ出す教育をするためにつくられたスローガンだったのである。 
 「12の徳目」のうち、1から11までの中から、一部の徳目を取り出して、それは高く評価することができるからという理由づけをして、「教育勅語」全体を高く評価するのは非論理的な、欺瞞的な論理である。 
 
 
 
 □ 教育勅語をなぜ顕揚しようとするのか 
 
 教育勅語のなかの12の徳目の中から、自分の都合の良いものを取り出して、それが「教育勅語」のよいところだと評価し顕揚しようとするのは、文章を読み、理解するときの基本を無視した、明らかな誤読である。全体を無視して、部分を抜き出しているからである。そのような読み方が正しいとしたら、もう議論は成り立たない。ヒトラーを批判した文章のなかから、ヒトラーの主張を解説した部分を抜き出して、この筆者はヒトラーの主張に賛成しているのだと自分勝手な理解をすることに等しいからだ。全体を無視すれば、白が黒になるばかりか、どんな色にでもすることができる。 
 教育勅語にはさまざまな徳目が列挙されているが、全て「無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」というところに掛かり、天皇家の繁栄のために国民があるという文章の構造になっている。 
 国語教育では、文章を読むときに、全体を無視して、筆者の主張をまとめなさいというような指導はしない。それは明らかな誤読だからだ。柴山文科相は、国語力の基礎である読解力が不足していることが明らかになった。 
 
 教育勅語は戦前の国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たした。その内容の核心は、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある。 
 教育勅語を再評価する人たちは、親孝行などの教えは普遍的だと言うが、一部分に目をつけて全体を肯定しようとするのは逆立ちした考え方である。親孝行を説くのにわざわざ教育勅語を持ち出す必要はない。それにもかかわらず、教育勅語を顕揚しようとこだわり続けているのは安倍政権が戦前回帰志向を保持し続けているからではないだろうか。 
 
 ある徳目が普遍的だと考える人がいてもおかしくはない。しかし、教育勅語を顕揚しようとする人々は、教育勅語の内容が儒教的な道徳と、家族的な国家観にもつづく忠君愛国主義であるということを理解していない。それだけではない。日本国憲法の三大原則の一つである国民主権を理解していない。かれらは民主主義を否定し、生命を軽視する思想であることを理解していない。教育勅語を顕揚しようしている人々は、国語力の基本である読解力が不足している。こういう基礎学力の不足している人物たちには、学校教育を担当する能力はないし、道徳を教える資格もない。 


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