2018年10月28日14時28分掲載  無料記事
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国際

再検証・「自己責任」論はいかに展開されたか 2004年のイラクの日本人人質事件をめぐって

  シリアで武装勢力とされる組織から解放されたジャーナリスト、安田純平さんに対してインターネット上などで「自己責任論」による批判が起きている。2004年にイラクで起きた武装勢力による日本人人質事件をめぐる論調の再燃である。両事件の背景などは異なるが、今後も再発しかねない同様な出来事を考えるうえで、14年前の自己責任論を再検証しておくことは無駄ではあるまい。この議論が誰によって何のために火をつけられ、メディアはそれをどう報じ、どのような政治的結果をもたらすことになったのか、また国際世論は日本の動きをどうみていたか──。(永井浩) 
 
▽小泉政権による争点すりかえ 
 2004年4月8日、カタールの衛星テレビ、アルジャジーラは緊急ニュースとして、イラクで武装集団に拘束された日本人3人の様子を撮影したビデオを放映し、日本軍(自衛隊)がイラクから3日以内に撤退しなければ3人を殺害するとする武装集団サラーヤ・アルムジャヒディン(聖戦士軍団)の声明を伝えた。銃をもち覆面をしたグループに囲まれた高遠菜穂子(34)、郡山総一郎(32)、今井紀明(18)の姿とともに、3人のパスポートや身分証明書も映された。 
 
 福田康夫官房長官は「自衛隊はイラクの人びとのために人道復興支援を行っている。撤退する必要はない」と述べ、誘拐犯の要求を拒むとともに人質の即時解放を求めた。小泉首相は、武装勢力の要求する自衛隊の撤退について、「テロリストの思うつぼになるのは避けなければならない」と拒否した。人質の家族らは、「自衛隊の一時撤退という選択肢はないのか。小泉首相に会って訴えたい」と懇願したが、面会はかなわなかった。 
 
 新聞の論調はどうだったか。朝日と読売は4月9日の社説で、人質を取る行為を卑劣と批判し、政府が3人の救出に全力をあげるべきだと主張した。読売は、「政府は、米軍など現地の駐留連合軍などの協力を得て、3人の人質の救出に全力を挙げる必要がある」とうったえ、朝日も、「犯人グループは3人をただちに解放すべきである。何はともあれ、政府はまず救出に全力をあげるしかない」と主張した。 
 
 しかし、自衛隊撤退については、見解がわかれる。読売は、「テロリストグループによる自衛隊の撤退要求などに屈するわけにはいかない」と、政府の撤退拒否方針を明確に支持する。もし自衛隊が撤退すれば、「結果的に武装勢力をますます勢いづかせるのは間違いない」(10日社説)とし、日本が脅しに容易に屈服し、重要政策さえ撤回する国とみられれば、国際社会の信用を失墜すると憂慮する。 
 
 朝日は、高遠は貧しいイラクの子どもたちを助けるためのボランティア活動、今井は米軍が残した劣化ウラン弾の調査、郡山はアフガンやイラクの現実を写真で伝えるジャーナリストの仕事にかかわってきたのに、「米国を支持し、自衛隊を派遣した国の人々だということだけで誘拐された」と指摘、ではどうすべきかと問う。10日の社説は、自衛隊撤退要求について「(派遣の)是非はともかく、日本が法律に基づく手続きをへて決めたことである。それがこうした卑劣な手段でねじ曲げられることは、やはりあってはならないことだ」としながら、同時に「必要になれば撤退の決断をためらうべきではない」と主張する。 
 
 両紙の論調にはこのような違いはあるものの、基本的な認識では一致している。それは、自衛隊による人道復興支援という政府の主張の正当性を疑ってみないことである。毎日の社説(9日)も「卑劣な脅迫は許されない」とし、「日本政府はイラク国民の窮状を救うために、人道復興支援を目的としてサマワに自衛隊を派遣した。これまでの現地での活動が住民の支持を得ていることも確かな事実だ」と述べる。サマワの住民が自衛隊の活動を支持しているという確証は示されない。 
 
 新聞とテレビには、日本人人質の安否をめぐる情報が連日あふれたが、いずれの報道もこの3紙の姿勢と基本的には同じ認識にもとづいていた。すなわち、武装勢力を「テロリスト」と呼ぶことが正しいのかどうかは問われないままテロという言葉が飛び交った。彼らは何者なのか、なぜ非武装の日本人が武装勢力の標的にされたのか、イラクの人びとは自衛隊をどのように見ているのか、日本の政府や新聞が主張するようにイラクの復興支援のために派遣されたと本当に思っているのかどうかを掘り下げて報道しようとする姿勢はほとんどみられない。「人道支援に銃口」「小泉政権最大の試練」「自衛隊活動先行き懸念」などの大見出しが紙面には躍り、テレビでは専門家と称する人たちの解説がつづいた。 
 
 政府は、自衛隊の撤退には応じず、人質救出のため米英と連携を取りながら情報収集に全力を挙げているという報道が繰り返されたが、3人の安否は不明のままだった。事件発生から6日後の14日には、あらたにフリージャーナリストの安田純平(30)と市民団体「米兵・自衛官ホットライン」の渡辺修孝(36)が拘束されたとの情報が飛び込んできた。 
 
▽人質解放の主役は市民の力 
 最初の人質3人が無事解放されたのは、拘束されてから8日目の15日だった。「イラク・イスラム聖職者協会」に保護され、バグダッドの日本大使館に移送された高遠らの元気そうな姿が、アルジャジーラで放映された。聖職者協会の渉外責任者アブドルサラム・クバイシ師は「彼ら(犯人グループ)はわれわれイスラム指導者の求めに応じて、人質を解放した」と述べ、3人がイラク占領に関係のない外国人であることを武装勢力に理解させたことを明らかにした。同師は「サラーヤ・アルムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」との署名のある声明文を受け取っていた。 
 
 声明は人質解放の理由として、日本の一般市民が自衛隊の撤退を求めるデモをおこなったり、アラー(神)を称賛してくれたことを評価し、このような日本人の態度に共感したことを挙げている。また、日本国民はひきつづき自衛隊を撤退させるために政府に働きかけてほしいとうったえている。安田らもその後、拘束から3日後に解放された。 
 
 人質解放に貢献したのが、日本の政府ではなく、市民の力であることは間違いなかった。事件発生後、アルジャジーラには3人の人質解放を求める日本各地からの声が届けられ、同放送局はそれらを伝えた。いずれも、サラーヤ・アルムジャヒディンに対して、3人は人道支援のためのボランティアであり、イラク南部に展開している日本の軍隊とは無関係であると強調して、彼らを殺害しないよう懇請する内容である。これらの声を受けてアルジャジーラは、「多くの日本人は、米侵略軍の忠実な道具と成り果てた日本政府に対してイラクの人たちが抱く怒りの思いを認識している」と報じた。 
 
 クバイシ師は「3人が救出されたことは日本人に対する贈り物であって、日本政府に対する贈り物ではない。日本政府が米国の不当なイラク占領に加担し、自衛隊を派遣し続けるのであれば、次回から武装グループの行動に責任が持てない」とテレビカメラの前で明言した。同師は、安田純平、渡邉修孝の二人が解放されたときも、迎えに来た上村司駐イラク臨時大使に、「私たちは日本国民ではなく日本政府を責めているのです。自衛隊をイラクに派遣したことで憲法に反する行動をとったからです」と述べた。 
 
 イラクの聖職者たちと武装勢力のメッセージは明確である。彼らは、米軍の占領政策に協力する小泉首相の政策を強く批判している。武装勢力は、自衛隊の撤退要求は実現できなかったものの、ボールを日本側に投げ返し、日本の政府と国民があらためてこの問題について論議を深めることを期待したのである。 
 
 しかし、日本政府は聞く耳をもたなかった。川口順子外相は人質解放の知らせに、「今後も屈せず、毅然と対応する」と述べ、犯人グループの要求には今後も応じない姿勢を強調した。さらに再発防止のため「イラクへの渡航はどのような目的があっても、絶対に控えるよう強く勧告する。自らの安全は自ら責任を持つという自覚をもっと行動を律してほしい」とイラク渡航の自粛を求めた。自己責任論の展開である。 
 
▽政府の無策を棚上げした「自己責任」論 
 では、日本政府は自国民人質の解放のためどのような努力をしていたのか、いなかったのか。 
 
 政策決定過程に事務方責任者としてかかわった柳澤協二元内閣官房副長官補の『検証 官邸のイラク戦争』(岩波書店))によれば、官邸では、一日一回、事務副長官のもとに、内閣官房、外務省、防衛庁と統幕事務局の担当者らが集まり、情報共有のための会議が行われていた。ここでは、治安情勢、地元の政治動向、自衛隊活動の進捗など、あらゆることが話題となった。3人の日本人ボランティアらの人質事件は、アルカイダ系の外国人テロリストによる政治的テロとみなされ、小泉首相は「テロに屈しない」姿勢を表明する。官邸は、その後のフリージャーナリストら2人の拘束、さらに同年10月の日本人青年殺害などの事件をふくめて、「そのつど、危機管理体制を強化したが、日本独自の情報ソースはなく、バグダッドの米軍に情報や身柄の保護を要請していた。(中略)官邸の連絡会議は、悪化するイラク情勢の分析と自衛隊の安全確保に大半の時間を費やしていた」。 
 
 ようするに、日本政府は自国民人質の救出に独自の努力をせず(できず)、すべてを米軍に依存しているだけでなく、自国民の生命より自衛隊の安全確保が優先課題だったのである。そのことは、人質解放に尽力したイラクの聖職者たちが日本政府関係者との接触にはまったく言及していない事実からも明らかといえる。クバイシ師は「われわれは日本政府より日本人の生命を大切にした。それなのに、人質解放後も、日本の外務省はわれわれに感謝していない」と憤りを見せた。 
 
 ところが、小泉首相はこうした政府の無策は棚に上げ、人質解放のしらせを受けると、彼らの自己責任論を展開し、多くのメディアもそれに同調していく。 
 
 事件発生当初から人質3人の責任をきびしく追及したのは読売で、10日の社説で「危険を承知でイラク入りしたのは無謀な行為だ。3人にも、自らこうした事態を招いた責任がある」と非難した。これに呼応するように、外務省の竹内行夫次官は12日の記者会見で、「外務省は今年に入ってイラクからの退避勧告を13回も出している。日本の主権が及ばない所では保護にも限界がある。安全、生命の問題であり、自己責任の原則をあらためて考えてもらいたい」と述べた。産経、日経もおなじような論旨の社説を載せた。 
 
 高遠は釈放直後の16日朝、アルジャジーラのインタビューで、今後のイラクでの活動について「続けます」と即答、「いまはすごく疲れてショックなこともたくさんあるけど、イラクの人を嫌いになれない」と涙ぐんだ。この発言に対して、小泉首相は「これだけ多くの人たちが救出に努力してくれているのにそういうこと(イラクでの活動を継続したい)を言うんですかね。自覚を持っていただきたい」と不快感をあらわにした。繰り返すが、救出に努力した多くの人たちのなかに、日本政府関係者はいなかったことは官邸の政府高官が認めており、本当に努力したイラク聖職者たちには謝意の表明を怠ったにもかかわらず、である。 
 
 自民党の柏村武昭参院議員は、「人質のなかには自衛隊のイラク派遣に公然と反対している人もいるらしい。そんな反政府、反日分子のために血税を用いることに強烈な違和感、不快感を持たざるをえない」と述べた。 
 
▽海外メディアと日本の世論の隔たり 
 いっぽう海外では、日本国内の「自己責任論」は奇異なものとみられた。米国のパウエル国務長官は4月15日、TBSワシントン支局の金平茂紀の質問にこう答えた。「誰も危険を冒さなければ、私たちは前進しない。よい目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う。彼らや危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人びとは誇りに思うべきだ」。国連で米国のイラク攻撃の正当性を強調した米国外交のトップは、すくなくとも国家と市民の意思は別でありうるという民主主義社会の基本を忘れることはなかった。 
 
 フランスのルモンド紙は20日、東京発でつぎのように報じた。「日本人は人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、政府などは人質の無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅうとしている。イラクでの仕事をつづけたいという人質の発言に、政府と保守系メディアに無理解と怒号が沸き起こった。(解放された人質への医療費や帰国運賃の)費用負担要求の慎みのなさは制裁まで伴っている」。韓国の東亜日報の東京特派員も、20日のコラムで、「帰国した三人の姿は、まるで海外に護送される犯罪者のようだった。さまざまな国の人がイラクで誘拐事件に巻き込まれたが、日本のように人質が謝罪した国はない」と、日本社会の異常さに疑問を投げかけた。 
 
 共産党の独裁政権下で民主主義、人権がないがしろにされがちな中国でも、深圳の人気日刊紙、南方都市報は25日の社説で、人質事件への日本政府の対応に違和感をしめすとともに、そこにかつての日本の侵略戦争と同根の国家主義の危険性を見て取った。社説は、人質になった3人の行為を「人道主義的な志こそが彼らが追求したものであり、人質から解放され、帰国したあとは、英雄として待遇されてしかるべきである」と評価。パウエル米国務長官の発言を引用したうえで、次のように論じた。「日本は第二次世界大戦後に現代的政治形態を導入したが、それによって、国家主義の毒の根を絶ったとは必ずしもいえない。そして、『個人は必ず国家に従わなければならない』という論理こそが、歴史上日本が侵略戦争を発動した際の動員の論理なのである」として、自己責任論に懸念を示した。 
 
 しかし、日本の世論は小泉政権を後押しした。同17、18の両日に読売新聞がおこなった世論調査では、人質事件についての政府の一連の対応を「評価する」が74%に上った。自衛隊のイラク派遣を「評価する」人も60%で、1月の同様調査の53%を上回ったという。内閣支持率も「支持する」が59・2%で、3月の調査より6・9ポイント増えた。同じ両日の朝日新聞の世論調査でも、小泉首相は50%の支持率を得た。また、「人質事件での自衛隊不撤退」という首相の姿勢にも73%の国民が支持を与えている。 
 
 人質事件が起こる前のNHKの世論調査(2月9日発表)では、自衛隊のイラク派遣をめぐる国会での論戦を、77%の国民が「議論が不十分」と答えて、不満を表明していた。だが小泉首相は、「人道復興支援の自衛隊派遣」というイメージと既成事実を次々に積み上げていく。そして、人質事件が発生すると、自衛隊の派遣が正しかったのかどうかをあらためて議論する事態であるはずにもかかわらず、「自己責任」論によって問題の本質を隠蔽し、政府の決めた自衛隊のイラク派遣に反対するような意見はおかしいという空気をかきたてる。それに一部大新聞が同調する。あるいは、さきの朝日の論調のように、自衛隊派遣の是非はべつにして日本の法的手続きをへて決まったことを卑劣な手段によってねじ曲げてはいけないという現状追認の姿勢である。 
 
 帰国した高遠と今井を待ち受けていたのは、週刊新潮などの一部メディアによる激しいバッシング記事だった。彼らはあたかも「非国民」であるかのようにまで描かれた。2人だけでなく家族についてまで事実無根のプライバシー情報があふれ、2人の自宅には嫌がらせと脅迫の電話や郵便物があいついだ。 
 
 東京新聞は4月21日の「こちら特報部」で、「政府の危機管理が問われる事件でありながら、矛先を被害者の「自業自得」に向けることで、巧みに世論を操ったといえる」と批判。同紙は5月3日の論説で、「窮地に陥った国民に対しては、それがたとえ政府の方針に反する考えの持ち主であっても、そして費用がかかっても、救いの手を差しのべるのは政府の責務です」と主張、「かつての日本は、政府の決めた国策遂行が最優先、国民を統制し、反論を許さない翼賛政治が行われました。その結末は悲劇的でした。国家を優先する考え方の小泉首相のもとで翼賛政治になったら──厳しい警戒が必要です」と警鐘を鳴らした。さきにみた中国の南方都市報と基本的にはおなじ論調である。 
 
▽「テロリスト」の素顔 
 朝日は、3人の人質解放を受けた社説で、無事解放を喜びながら、「人質をとって映像をテレビ局に送りつけ、一部を解放したり、殺害したり、もてあそぶようなやり方には、武装勢力の冷酷な戦術も感じられる」と書き、「犯人には人質をとって世界の関心を引こうという狙いがあるのかも知れないが、結局は国際世論を敵に回す愚かな行動と言うしかない」と決めつけた。だが、武装勢力がなぜ「冷酷な戦術」「愚かな行動」をとったのかを探ってみようとはしない。「国際世論」とはどの範囲を指すのか、アラブの世論も含まれるのかどうかも不明である。 
 
 読売の社説は、解放は喜ばしいが教訓も少なくないとし、くみ取るべき教訓として「何よりも、卑劣な脅しに屈しない、という断固たる姿勢」をあげ、国内の結束の重要性を説く。人質事件は、イラクの民主化・安定化のプロセスを妨害しようとする武装勢力のあがきの一環とされる。「国際社会は、新生イラクの建設へ改めて結束を図る必要」があり、自衛隊を派遣し、人道復興支援を展開している日本としては、「人質事件に左右されることなく、国際社会の一員として一層の責任ある役割を果たさなければならない」と主張する。 
 
 では、日本人を拘束した武装勢力は何者であり、なぜ彼らはこのような行動に出たのか。日本の代表紙によって、国際社会を敵に回す冷酷で、愚かで、卑劣とされる行動の背景と意図は何だったのか。 
 
 その点を解明するための手がかりとなるのは、まず武装勢力が出した犯行声明である。それらは日本の新聞やテレビでも報じられたが、なぜかその内容についての解説はほとんど見られず、紙面は数ページにわたって人質の安否と政府の対応を中心とした記事で埋め尽くされた。テレビもおなじだった。 
 
 アルジャジーラで「サラーヤ・アルムジャヒディン(聖戦士軍団)」と紹介された武装勢力は、「神の名のもとに、この世の中にいるいろんな国民がみな良い関係になるように生きなければならない」というコーランからの引用につづいて、「日本の国民はイラク国民の友人だ」と述べる。「われわれイスラム教のイラク国民は、あなたたちと友好関係にあり、尊敬もしている」 
 
 ここには、イスラムの一般的な教えだけでなく、すでにみたイラク国民の伝統的な親日観が反映されているとみてよいだろう。「しかし」と、声明はつづける。「あなたたちはこの友好関係に対して、敵意を返してきた」。米国のイラク侵略の有志連合の一員として自衛隊を派遣したのである。「米軍はわれわれの土地に侵略したり、子ども殺したり、いろいろひどいことをしているのに、あなたたちはその米軍に協力した」 
 
 そして声明は、自衛隊の撤退か、さもなくば日本国民3人の殺害か、の二者択一をせまり、「ファルージャでユダヤ人(後述の米国民間軍事会社員のこと)に対してやった以上のことを三人にもやるだろう」と警告する。 
 
 ファルージャとは、首都バグダッドの西隣に位置する人口約30万人の小都市で、住民の多くはスンナ派である。米軍はここを「反米武装闘争」と「テロリスト」の拠点と位置づけていたが、住民が武器を手に本格的な反米闘争に入っていったのは、バグダッド制圧からまもない2003年の4月末、ファルージャ住民のデモ隊に米軍が発砲し、住民13人が死亡した事件がきっかけだった。翌04年3月末に米国民間軍事会社の職員四人がファルージャで銃殺され、焼かれた遺体が橋につるされる事件が起きると、この「残虐行為」が米国などのメディアで大々的に報じられた。報復と称して4月4日、米軍海兵隊がファルージャを包囲し、抵抗勢力への激しい攻撃を開始した。それは、当時イラクを訪問していたブラヒミ国連特別顧問が「懲罰的攻撃」と呼んだような、武装勢力と住民に対する無差別殺りくだった。クラスター爆弾も使われた。 
 
 かろうじてファルージャから脱出した市民の生々しい証言が、米国の独立系ラジオ、デモクラシー・ナウやIPS通信のアーロン・グランツ記者などによって次つぎと伝えられた。 
家族とともにやっと町を逃げ出した一一歳の少年ユーセフは、「おなじクラスのアーメドくんが、小学校のまえの道を横切ろうとしたら、撃ち殺されたんだ。米兵に…」と話した。米軍司令官は英国記者の質問に、「攻撃で殺された600百人のイラク人のうち、95%は武器をもった民兵だった」と答えた。だが、ファルージャの臨時診療所で負傷者の治療にあたっていたイラク人医師によると、5歳の少年が頭を吹き飛ばされて診療所に連れてこられたし、頭蓋があっても脳みそが残っていない子どももいた。また、母親に抱かれたまま殺された赤ん坊の首はなく、母親の身体のいたるところに爆弾の破片が突き刺さっていた。「これでも、犠牲者の九五%は武器をもった民兵と言えるのでしょうか」と、医師は反論する。負傷者を運ぶ救急車まで何度も米兵の攻撃を受けたという。 
 
 米海兵隊によってあまりにも多くのファルージャ市民が殺されたため、サッカー競技場に200人以上の遺体を葬らなければならなかった。米兵は、遺体を埋める穴を掘っている市民にまで発砲した。 
 
 米軍の狙撃兵や爆撃機は、家の中に退避していた市民の多くも殺害した。米軍の爆撃で2人の従兄を殺され、5人の家族が負傷したアル・ムザはこう糾弾する。「従兄の遺体は、2日間も我が家の居間に寝かせておかなくてはならなかった。遺体を埋めるために外に出ようとすれば、米兵に撃ち殺されるかもしれないからです。でも2人の遺体が腐りはじめたので、裏庭を掘って埋めました」 
 
 薬の切れたファルージャの病院に医薬品を運ぼうとしたオーストラリア人の人道支援活動家ドナ・マルバンは、救急車といっしょに米軍占領区域を通ろうとした。車から降りるまえに、拡声器で「私たちは青い色の医務服を着ています。いまから医薬品を病院にとどけに行くので撃たないでください。パスポートを手にもっていま車から出るところです」と大声で米兵にしらせた。「そして、両手をあげて道を歩きはじめると、米兵はうしろから私たちを撃ちはじめのです」と、彼女は証言する。 
 
▽ファルージャの住民ぐるみ反米闘争 
 高遠ら日本人が武装勢力に拘束されたのは、ファルージャ近郊であり、米軍と抵抗勢力の激しい攻防が繰り広げられているさなかだった。 
 
 そのときの様子を、高遠は解放後に書いた『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』(講談社)で次のように再現している。 
 4月7日午前11時ちかく、乗っていた車が数十人の住民に取り囲まれた。どの顔にも笑いはなく、刺すような視線だ。イラクで半年暮らしてきたが、これほど敵意のある目で見られたことはなかった。突然、中年の男性が車の前に飛び出してきた。 
「ヤバニ ムー ゼン(日本人、よくない)」 
 男はそう怒鳴ったかと思うと、彼女を睨みつけながら、親指で首を掻き切るジェスチャーをした。殺気立った群衆からは「アメリカ人はよくない」「スパイだ」という声も聞こえた。その向こうから、覆面をした男が猛スピードで走ってくる。肩にはRPG(対戦車ロケット砲)を背負っている。それが、ムジャヒディンだった。殺される、と高遠は感じた。 
 
 武装グループに拘束された3人は、車に乗せられた。運転席の目だし帽の男は「われわれはムジャヒディンだ」と名乗り、「おれの息子はアメリカに殺された」とも言った。 
 
 武装グループの隠れ家とおもわれる建物の一室に連れていかれると、目だし帽をかぶり重機関銃などで武装した男たちが荒々しい足取りで行き来している。リーダーの小太りな男がハンディタイプのビデオカメラを手に部屋に入ってきた。通訳は「あなたたちの命は保証します」と言ったが、布切れで目隠しされると、背後の男たちから「ノー コイズミ!」と叫べと命じられた。それに従わない今井が男たちに小突き回され、ついに「ノー コイズミ」と苦しそうな声をもらした。高遠ものど元に硬いものを押しつけられ「ノー コイズミ」と叫んだ。目隠しをとかれると、通訳が「泣いてくれ」と言う。武装グループに足蹴にされ、わけがわからいまま泣き出した。その光景がビデオに撮られ、アルジャジーラで放映され、日本で大騒ぎになるとは知る由もなかった。 
 
 以後解放まで何か所も転々とさせられたが、連れていかれたのはいずれも普通の民家の一角だった。「ムジャヒディンの実体は訓練を受けたプロの戦士ではなく、米軍に個人的な恨みをもつ一般民衆のよう」だった。「しかし、こうした一般民衆レベルに『反日感情』が浸透すれば、その空気は、やがてアラブ全体に広がりかねない」と思われた。 
 
 それまで高遠が会ったイラクの人たちは、こちらがくすぐったくなるほど、親日的な人が多かった。「そのイラク人たちが、この戦争を境に日本に背を向け、日本人が信じられなくなっている……そんな考えが浮かび、辛くなる」 
 
 しかし、最初の連行先でビデオを撮られたとき以外は、3人の日本人は拘束先で手荒な仕打ちを受けなかった。食事はきちんと与えられ、トレイも自由に使えた。命は保証すると約束されたものの解放の動きが見えず、心身の不安定に悩まされる軟禁生活のなかで、こころやさしいイラク人にも出会った。軟禁先のある家では、老人と青年がアルコールランプと夕食を運んできた。その夜も鶏肉料理だ。イスラム教徒の家庭料理は豆のスープが一般的で、毎回鶏肉料理なんて考えられない。「私たちは厚遇されているのだ」とわかる。 
 
 高遠といっしょに拘束された今井も、『ぼくがイラクに行った理由』(コモンズ)という記録で当時の状況を以下のように記している。 
 拘束されたときの様子は、高遠の記述をおなじである。3人が連れていかれたのはおなじ民家の一室で、見張り兵がいた。外からは「タタタタ」という銃の音が聞こえてきた。民兵とジェスチャーを交えて話していると、ある兵士が話しかけてきた。「親も子供も(米軍に)殺されたんだ」。べつの兵士は朝、「これからファルージャに行く」と言った。 
 
 8日間で8か所の家を移動させられたが、「農民のネットワークがあり、そのメンバーが家を提供しているような感じ」だった。「彼らは、武器を持つという不器用な方法でしか戦うことができなかった。そして、私たちを拘束するという乱暴な方法でしか、ファルージャで何が起きているかをアピールできなかったのだと思います」と今井は記している。 
 
 武装グループの素顔については、今井らのあとに拘束された安田純平もおなじように見ている。彼は東京新聞のインタビュー(4月21日)で、「屈強な農民だった。昼は農民、夜はムジャヒディンで、組織として統率が取れていた」と述べている。 
 
 4か所を転々としたが、縛られることはなく、部屋のなかを動けたし外のトイレにも行けた。メンバーと日本のことも話した。日本については「ヒロシマ、ナガサキでは何十万も死んだ。なぜ(原爆を落とした)米国に従うんだ」と聞かれ、「日本は友人だったけれど、軍隊を送った以上、すべての日本人が敵だ」と言われた。安田が「イラク人には立派な人もいればそうじゃない人もいる。日本人にもいろいろいる。国全体で話しても意味がない」と答えると、納得するようにうなずいたという。 
 
 3人の証言は、拘束犯をアルカイダ系の外国人テロリストとする日本政府の見方とはあきらかに異なる。みずからの政治的主張を合法的な手段によって表現する場を奪われた者たちが、殺人による政敵の無力化・抹殺でそれを実現しようとする行為をテロと呼ぶとしても、日本人を人質にとったファルージャの武装勢力とアルカイダは、反米という点では共通点があるものの、行動の原点と目標はおなじではない。アルカイダは、イスラムの正義を掲げて「米十字軍」に世界的規模でジハードを挑む筋金入りの原理主義者集団であるのにたいして、ファルージャのムジャヒディンたちは、親、兄弟姉妹、子どもらが米軍によって次々に無差別に殺される絶望的な状況のなかで、やむなく武器を取って自らを守らざるをえなくなった地元の男性たちが主体である。 
 
 彼らは、米軍の蛮行を糾弾するとともに、日本がそれに加担すべきでないと忠告する手段としてこのような行動に出たのであろう。だが日本の政府も大半のマスメディアも、両者を十把一からげにテロリスト視し、その「卑劣な行為」を糾弾した。非武装の住民を無差別に殺しまくる米軍の行為を、冷酷とも卑劣とも呼ばない。国際法を無視してイラクを侵略し、フセイン政権の転覆を図った米英の国家テロは「解放」と報じられた。 
 
▽住民虐殺は「正しい」とのたまう米大統領 
 当時ファルージャ周辺では、日本人以外にも外国の民間人が何人かイラク人の武装グループに拘束されていた。さきに紹介したオースト ラリア人の人道支援活動家ドナ・マルバンもそのひとりだった。彼女はファルージャに医療支援にむかう途中、ムジャヒディンに24時間拘束された。その体験談を彼女はこう語っている。 
「彼らは、最初は私たちが誰なのかを知りたがっていました。私たちの持ち物を検査したり、質問を繰り返しているうちに私たちが人道活動家だとわかってくれたのでしょう。それからは、敬意の気持ちをもって接してくれ、ご馳走までしてくれました」 
 
 ドナとおなじグループにいて拘束された英国人ボランティアのベス・アンジョーンズは、ムジャヒディンと話すうちに、「米軍の攻撃の醜さ」という共通の話題で通じ合うものがあった、とこう語った。 
「彼らは自分の兄弟がこうして殺されたとか、父親がこうして射殺されたとか、くわしく私たちに語ってくれました。それで、ムジャヒディンがどれだけ米軍に対して怒りを感じているかがわかりました。一年前にサダム政権が崩れて米国から自由を約束されたのに、いまでは自由どころか米軍に痛めつけられ苦しんでいる現実があるだけなんです」 
 
 バグダッドに無事もどってきたドナは、自分を拘束したムジャヒディンに対して、もはや怒りを感じてはいなかった。 
 
 イラクの子どもたちにサーカスを見せようというアーティストと活動家のグループ「Circus2 Iraq」の英国人女性ジョー・ウィルディングは、4月11日、ファルージャの住民に医薬品や毛布、食糧などを届けるためのバスに乗った。 
 米軍の検問に制止されることなく無事到着した目的地には、大きな病院はなかった。米軍の爆撃で破壊されてしまったからだ。活動している医療機関は、無料で人びとを診察している個人医の診療所だけだった。麻酔薬はなく、血液バッグは飲み物用の冷蔵庫に入っていて、医師たちはそれを非衛生的なトイレのお湯の蛇口で暖めている。 
 
 女性たちが叫び声をあげながら入ってきた。ウンミ、お母さん、と一人が叫んだ。ウィルディングが彼女を抱きかかえると、コンサルタント兼診療所の所長代理マキがベッドのところへ連れて行った。そこには、頭に銃によるけがを負った10歳くらいの子どもが横になっていた。隣のベッドでは、もっと小さな子どもが、おなじような怪我で治療を受けていた。米軍の狙撃兵がこの子とその祖母を撃ったのだという。いっしょにファルージャを逃れようとしていたところを。 
 
 所長代理のマキは、「私はサダム(大統領)を憎んでいたが、今はアメリカ人の方がもっと憎い」と言った。 
 
 ウィルディングは医療団とともに、米軍の狙撃兵を警戒しながら、小さな病院やほかの診療所に閉じ込められている負傷者たちをバグダッドの病院に運ぶため次々に救急車に運び込んだ。ある診療所から医師が走り出してきて叫んだ。「女性を一人連れてきてくれないだろうか。彼女は妊娠していて、早産しかけている」。救急車が発進しようとすると同時に、銃弾が飛んできた。建物のかげにいる米海兵隊の軍服を着た男たちの姿が目に入った。何発かが発射され、できるだけ身を低くした医療団の頭の上を小さな赤い光がすり抜けていった。米兵は動くものすべてに向かって発砲した。 
 
 ウィルディングは心底怒りを感じた。「私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところで子どもを産もうとしている女性のところへ行こうとしているのだ。封鎖された町のなかで、はっきり救急車であることを表示しながら。海兵隊はそれに向かって発砲しているのだ。一体、何のために?」 
 
 向かいの建物のうしろ側で、空がさく裂しはじめた。数分後、診療所に一台の車が突進してきた。頭から足まで焼けただれた男がかつぎこまれた。クラスター爆弾だ、と医師は言った。夜通し、上空を飛行機が飛んでいた。無人偵察機の音、ジェット機の轟音、そしてヘリコプターの爆音がつづき、それらがときおり爆発音で中断された。医師たちはやつれて見えた。この1週間、誰一人、2時間以上寝ていない状態だった。 
 
 帰路、バグダッドへ向かう道はファルージャから逃げ出した人びとを満載したピックアップやバスが列をなしていた。トラクターのトレーラの上にまでぎっしりの人だ。ウィルディングらのバスは、イラク人の武装グループや米軍兵士の検問を受けながら進んだ。 
 
 バグダッドに戻ると、衛星放送でファルージャの停戦のニュースと、「私はイラクで我々がやっていることが正しいと知っている」とのたまうブッシュ米大統領の言葉が流されていた。ウィルディングがファルージャで目撃したことの数々は、米軍が「イラクの人びとにかくも残虐な行為を加えて、失うものが何もなくなるまでにすること」である。それを「正しい」とうそぶく唯一の超大国の指導者に対して、彼女はこう反論する。「これは犯罪である。そして、私たち皆にとっての恥辱である」 
 
 「こんな事態が世界の目から隠されて、メディアの目から隠されて進められている」ことに危機感をいだくウィルディングは、ファルージャで目撃した惨劇を手記にまとめ、イラクで反占領の活動を展開している「オキュペーション・ウォッチ(Occupation Watch)」の英国人イーワ・ジェシウィックに手渡した。それが、世界各地でイラク戦争反対の声を上げた市民にインターネットを通じて発信され、日本でも、独立メディアの英語情報を日本語に翻訳してネット配信する「TUP」(Translators United for Peace、平和をめざす翻訳者たち)によって流された。 
 
 ウィルディングは英紙ガーディアンにも寄稿した。ファルージャの惨劇の実態があきらかになるにつれ、ベトナム戦争のソンミ虐殺事件とおなじだ、という声もあがりはじめた。 
 
 日本人人質事件は、このような状況のなかで起きた。武装集団が人質解放の声明で、「米国は広島や長崎に原子爆弾を落とし、多くの人を殺害したように、ファルージャでも多くのイラク国民を殺し、破壊の限りを尽くした。ファルージャでは、米国は禁止されている兵器を用いている」と糾弾しているのは、けっして誇張とは言えないであろう。にもかかわらず、日本政府はイラク国民の命について敬意を払っていると言えるだろうか、と声明は問い、「ブッシュ(米大統領)やブレア(英首相)の犯罪的な振る舞いに従う」日本政府指導者の高慢な発言を痛罵する。 
 
 武装勢力はそのいっぽうで、日本の政府と国民は区別する。3人の日本人は占領国に汚染されていないことが確認された。彼らはイラク国民を応援している。だから、「われわれは外国の友好的な市民を殺すつもりはないことを全世界に知らせたい」のである。 
 
 だが、人質の安否を中心とした情報が連日あふれかえる日本の新聞、テレビで、ファルージャで何が起きているのか、それが日本の民間人拘束と自衛隊派兵とどう関係しているのかはほとんど報じられなかった。米国民間軍事会社の4人がファルージャで惨殺されたという残虐なニュースは、欧米メディからの転電で大きく報じられても、多数のファルージャ住民を無差別に殺害した米軍の残虐な行為は事実上見過ごされたままである。米軍の攻撃によってイラク人400人が死亡しているというAP通信などの断片的な情報は伝えられたが、くわしい報道、特にファルージャ住民の視点からの報道はなかった。米軍の行為を「戦争犯罪」ではないかと問う、識者の声も見られない。 
 
 そして、人質事件は、その真実と問題の本質が問われることなく、小泉政権によって人質たちの自己責任問題にすり替えられ、ほとんどのマスコミがそれに追随した。権力の設定した枠組みに、「それはおかしいのではないか」という疑問の声は上がらなかった。人質の無事解放によって一件落着と安どした世論も、すでに見たように小泉政権の支持率を押し上げるいっぽう、一部は人質バッシングに走った。かくして小泉政権は、メディアによって「自衛隊のイラク派遣は正しい」というお墨付きを与えられたのである。 
 
 読者や視聴者には、メディアによって刷り込まれた卑劣で、冷酷で、愚かなイスラム武装勢力というイメージが定着し、今後もテロリストへの毅然たる姿勢を求めるべきだという世論がつちかわれることになる。 
 
▽「日本の戦後平和主義は終わった」と仏紙 
 日本では大きな支持を得た小泉政権の人質事件への対応を、国際世論や国際社会はどう見たのか。日刊ベリタは、日本の政府の姿勢と世論の動向を戦後日本の平和主義の流れに位置づけ、その重大な政治的意味に着目した海外の代表的な新聞論調を紹介した。 
 
 フランスのルモンドは「ゆっくり右傾化していく日本」というタイトルの4月28日付記事で、人質バッシングを、首相らの靖国神社参拝や義務教育の場での国歌斉唱、国旗掲揚問題などの潜在的な右傾化の流れに位置づけている。靖国参拝は、周辺諸国との協調や戦略的ビジョンに欠けるものである。国歌・国旗の強制は憲法で保障された思想・信条の自由に反するものとして否定する教師は厳しく処分されるが、国民からは特に大きな抗議運動が起きていない。いっぽうで、中国の台頭や北朝鮮の脅威への過剰な反応が生まれている。そこに、これまで考えられなかった日本の外交官の殺害と日本人の人質という出来事がイラクで起きた。「日本人の心理は不安定に陥って」おり、今回の人質バッシングによって右傾化は決定的なものになった、と同紙は分析する。 
 
 さらに、小泉首相は、日本を立て直すための選択肢として盲目的に米国に従属する以外の道は選ぼうとせず、「自民党はかつて発揮していた平衡感覚を失い、民主党も自民党に対抗できる力がない」。小泉政権がイラク戦争を支持し、自衛隊をイラクに送り込んだことで、日本の「戦後平和主義」はすでに終わった、とフランスの代表的な新聞は締めくくる。 
 
 米国のニューヨーク・タイムズは同月23日付紙面で、「日本は非常に洗練された社会であっても、その裏には何百年もつづいた階級制度があり、人質事件はそれが表面化した事件」ととらえる。政府の勧告にもかかわらずイラクに赴いた3人の行動は、タテ社会に楯突くものと、「お上」感覚の政治エリートや大企業からみられたのだ。「イラクの真実を伝えたい」という安田純平の真摯な気持ちも、「お上」を脅かした。そして小泉首相は、人質事件の対応でさらに世論の支持を得たうえ、憲法の「武力行使の放棄」についての論議をもはや不可侵なものではないとすることができた、と同紙はみている。 
 
 イタリアの左翼系紙イル・マニフェストも同20日付で、平和主義を敵視するような日本の風潮に懸念を示している。イラクではイタリア人4人も、同国のイラク駐留軍の撤退を要求する武装勢力に人質にされ、イタリア政府が撤退に応じなかったという理由で一人が殺害された。イタリアのメディアは犠牲者を「英雄」視した。おなじころ、日本人が拘束された。解放された3人が、政府寄りではなく無垢の平和主義者であるため、メディアや政府は彼らを虐殺しようとしているのだと同紙は批判する。同紙は、週刊新潮や夕刊フジなどが人質のプライバシーにまで踏み込む非難記事を載せていることを紹介し、もしこの三人の「傲慢な厄介者」が政府の言うとおりに演じていれば、日本政府は喜んで彼らの帰国費用を払っただろうと皮肉っている。中国の南方都市報が、人質事件への日本政府の対応に、日本のかつての侵略戦争と同根の国家主義の危険性を見て取ったことはすでに見た。 
 
▽さまざまな国際世論の広がり 
 これらの海外メディアだけでなく、ファルージャ住民の悲痛な声とそれを世界に向けて命がけで発信しようとする各国市民の情報も当然、国際世論の一部である。しかし、日本のマスコミにはそのような認識は見られない。彼らにとって国際世論とは、米国の侵略戦争を支持する国々の政府とその旗振り役をつとめるエリート層や識者、専門家と称される人たちの見解だけなのである。 
 
 また国際世論とは、既存メディアに取り上げられる声だけではない。帰国後の日本人人質に寄せられた、内外の名もない市民からの数々の励ましは、新聞、テレビなどでは紹介されなくても力強い世論だった。 
 
 人質状態から解放された高遠、今井、郡山の3人はバグダッドの日本大使館に連れていかれた。高遠は大使館職員から、「さっきお友だちの方が来られてこれを預かりました」と小さなメモを渡された。開いてみると、ストリート・チルドレンの自立支援のことで世話になっているスレイマンとジアッドからだった。 
「ナホコさん、そしてふたりの友人のみなさん、オカエリナサイ!(ローマ字で書かれていた)あなたの無事を喜んでいます。私の家族があなたのことを待っています。電話してください。 スレイマンより」。「ナホコ、元気かい? 君が無事だったことを神に感謝するよ。よくぞ生きて帰ってきた!  ジアットより」 
 
 大使館の前には土嚢が積み上げられていて、多くのイラク人が警備している。その向こう側までふたりが来てくれたのだと思うと、うれし涙が止まらなくなった。 
 
 帰国後、高遠は、彼女たちの拘束を知って解放のために奔走してくれた、何人ものイラクの人たちがいたことを知った。スレイマンは一万枚のビラを作って、バグダッドやファルージャでまいてくれた。サマワの友人も、バグダッドの友人も、バスラの友人も、そしてストリート・チルドレンも3人の日本人の命を救うために走り回ってくれたという。 
 
 彼女を日本で待っていたのは、一部メディアや市民のこころないバッシングだけではなかった。全国から励ましの花や手紙、メッセージビデオ、本、CDが届いた。手紙と葉書で段ボール三箱分となった。それらを読み、見るうちに傷ついたこころが癒されていった。 
 
 外国からも数多くの手紙が寄せられた。米国のライル・ジェンキンスは「政府に要求された金額の足しにしてください」といって、高遠の名前が書かれた2000ドルの小切手の写しを同封してくれていた。ジェンキンスは「日本人人質救済基金」という口座をアメリカンバンクに開き、そこに2000ドルを入金してくれていたのだ。ジェンキンスは、日本政府が3人の救済費用を請求したことに憤慨し、小切手をワシントンDCの日本大使館に送ったら、突っ返されたという。 
 
 ジャーナリストからの励ましもあった。高遠と今井の地元の北海道新聞(4月19日)には、「活動、必ず理解得るはず──高遠さんら人質事件を取材して」という黒田理記者の記事が載り、次のように書かれていた。「混乱の続くイラクの人たちが日本に期待するのは、日本政府の活動ばかりではない。高遠さんのような個人や非政府組織(NGO)が中立の立場で、小さくても地道な活動を続けている。そのことが草の根レベルで日本への信頼感を増している。自衛隊駐留に反発する人々の心さえ、日本につなぎ留めている」 
 
*本稿は永井浩『「ポスト真実」と対テロ戦争報道 メディアの日米同盟を検証する』(明石書店)にもとづいている。 


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