2018年11月23日17時09分掲載  無料記事
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政治

「日本の友よ──朝鮮人の苦痛を知るや」(1921年3月4日『東亜日報』社説)

  徴用工、慰安婦、そして原爆Tシャツと、日韓の友好関係の発展をつまずかせる問題がいまだに解決できないのはなぜなのだろうか。いま最も必要とされているのは、韓国の人びとの私たちに対する問いかけの本質が何なのかを冷静に確認することだと思われる。その手がかりのひとつとして、「日帝」による植民地支配下の1921年3月4日に「東亜日報」紙に掲載された社説「日本の友よ──朝鮮人の苦痛を知るや」を私は読んでみた。以下がその全文である。(永井浩) 
 
 ああ、日本の友よ。われわれの心に鬱積している説話と、胸が痛くなるほど絞めつけられている心情を十二分に吐露させよ。 
 
 貴方がたがわれらの敵であるか。違う。貴方がたが凶悪な人間であるか。違う。われらは、貴方がたの胸にも温かい情が燃えさかり、貴方がたの眼にも美しい涙のあることを確かに信じる。貴方がたからは、西郷隆盛のような情の偉人が現れなかったであろうか。はたまた四十七人のような義士が生まれなかったであろうか。ああ!われらは、石龍丸の話を耳にする時に涙を流し、幼い正行のことを聞く時、また涙し歎服もするのだ。貴方がたの胸にどうして情の炎と、貴方がたの眼にどうして美しい涙がなかろうか。 
 
 われらは本来、このように物事を考える。この世の人びとが、たとえその言語が異なり、その肌の色が違い、その食と衣が違おうとも、その内なる本心は同じであると。誰が自分の父母を敬わず、誰が自分の子を愛さず、誰が悲しみに泣かず、喜びに興じ得ないであろうか。各自の心の中に躍る一粒の「生命」はみな同じだということである。 
 
 万一われらが、貴方がたの中のこうした美わしき情と、義の思いがないとしても、何で重言復言の吐情がなかろうか。われらは貴方がたが、より情に鋭敏であり、義に堅固であると信じる。明治維新史を飾った大久保利通はどうであり、明治維新史を輝かせた板垣退助はどうであったか。 
 
 われらはまさに、われわれの胸の内に躍る生命の絆が、やはり貴方がたの中にも躍っていると信じる。したがって貴方がたを友と呼び、手を携え、われらの疼く胸中を裂いて語ろうというのである。 
 
 ああ、日本の友よ! われらに忌憚なく語らせよ。 
 
 韓国併合後、過去十年間に貴方がたは、総督府がわれわれに何を与えたと考えるか。 
 
 一つは、素晴らしい青い山であり、二つは、素晴らしい道路であり、三つは、裁判所であり、四つは、素晴らしい行政官であり、五つは、素晴らしい産業開発であり、六つは、素晴らしい教育振興であった。 
 
 ならば朝鮮人は、満足し、幸福に思い、太平歌をうたったであろうか。 
 
 在来の韓国政治は悪であった。政府が腐敗し、大臣が暗躍し、法律が紊乱し、財政が困窮し、官職を売買して、人民を謀利の材料と考えたため、生命財産の安全がなく、教育の増進と産業の振興は考慮とてなく、まして自由が何であるかを知る由もなかった。 
 
 しかしながら在来の韓国政府は暗黒政治であったが、総督府政治は文化政治ではないか。幽谷を出で、喬木を欲するは当然の事理である。朝鮮人は義を謳歌し、これを頌めて太平歌を歌ったであろう。貴方がたは、果たしてこう思うであろうか。貴方がたの観察は無理ではないと考える。 
 
 であれば、朝鮮全道に網をめぐらしたような、かの有名な「憲兵制度」は何を意味し、朝鮮全体に砂利を敷いて一言半句の心思をも吐かせぬようにした、かの有名な「言論圧迫」は何を意味したのだろうか。 
 
 われわれは率直に述べよう。これらすべてのことは、つまり朝鮮人が当時、総督政治に対して不平を抱いたからであり、不平の爆発をまき起こそうとしたからだといえる。しかし、燃える炎を衣服で消し止め、流れる水を掌で防げようか。この不平は露出してしまった。 
 
 それでは、貴方がたの考えでは、朝鮮人が本当に背恩忘徳者であるか。「餅をもらいながら、足蹴にする者」であるか。もし貴方がたがそのように考えるならば、われわれは二度と討議をする余地がないものと考える。 
 
 ああ! 貴方がたの考えは無理ではないが、人間をあまりにもよく知らなすぎる。人間は過去と現在だけを比較して満足するものではない。実に胸中には千万年に至るも消えることのない「理想」の炎が燃え盛っている。この理想があるから、われわれは苦労を苦労とも思わないし、この理想があるから、われわれは努力をし、この理想があるから、われわれの建設と価値があるのではないか。自己の実現とは何であり、生命の開発とは何であるか。みなこの理想を追求していくことではないのか。 
 
 われわれにこのような理想がなかったとしたら、われわれは草原に寝そべっているロバや羊のように平穏であったであろう。われわれにこのような理想がなかったとしたら、われわれは田を耕す農夫のように、孜々と「生」の田を耕すことはなかったであろう。だが、それと同時にまた、すべての人生の価値を葬り去ったであろう。 
 
 しかし、人間の心に燃え盛るこの理想の炎は、自然に消えることはなく、人の手によって消すこともできず、また天の能力によっても断ち切ることはできない。朝鮮人は過去と現在を比較して、その善なることを知ったが、理想の光に照らして不満と不平を抱いたのだ。 
 
 日本の友よ! 過去と比較して、当時の総督政治を誇ることなかれ。そのような過去は、朝鮮人みずからでも打破し、革新できたであろう。否。より一層素晴らしく革新したであろうと信じる。 
 
 過ぎ去ったことであれば、追咎して何になろう。現在は、果たしてどうであろうか。 
 
×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  × 
 
 東亜日報は、朝鮮日報と並ぶ韓国の代表的新聞である。両紙とも、1910年の日韓併合後に日本の植民地支配からの解放をめざして19年に起きた三・一独立運動の潮流のなかで創刊され、日本帝国主義の下で苦しむ朝鮮民族の声を代弁する言論活動を展開した。これに対して朝鮮総督府は過酷な言論弾圧で臨み、両紙の記事と社説はたびたび検閲によって削除され、1940年にはついに強制廃刊された。ここに掲載した東亜日報の社説もその一部である。 
 
 日本の敗戦とともに1945年に両紙は復刊され、東亜日報は日本の朝日新聞、朝鮮日報は毎日新聞と提携関係にある。 
 
「日本の友よ──朝鮮人の苦痛を知るや」は、『消された言論 日本統治下の「東亜日報」・「朝鮮日報」押収記事集 政治編』と題してコリア研究所が編訳し、1990年に未来社から出版された本に収録されている。 
 刊行の辞で、コリア研究所の玄光洙所長は次のように述べている。 
「他を通して自己を視つめる精神、歴史を顧みて自己を検証し、明日を視つめる姿勢こそ、今日の日本人のみならず、われわれすべてに問われる課題であると信じる。それを時代が要求している」 


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