2018年12月29日16時48分掲載  無料記事
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中国

中国は『共産党宣言』や『世界人権宣言』をどう思っているのか?

 こんな題を付けたのは、今さらだが、習近平政権による人権派弁護士の逮捕・拘束や、新疆ウイグル自治区でのイスラム系住民の「教育訓練」施設への大規模な収容が続いているからだ。 
 2018年は“マルクス生誕”200年、『共産党宣言』発刊170年、世界人権宣言70年だった。 
 2019年は、これらとの矛盾に気づき、是正できるだろうか。 
 
 少しだけ引用したい。まず『共産党宣言』から。 
 
「労働者革命における第一歩は、プロレタリアートを支配階級に高めること、民主主義をたたかいとることである」 
 
 そう、民主主義なのだ。専制政治とは対極のものだ。 
 
 さらに、「発展の過程で」として、目指す未来をこう描いている。 
 
「階級の差異が消滅して、すべての生産が連合した諸個人の手に集中されると、公的権力は政治的性格を失う」 
 
「プロレタリアートが、…〔中略〕…支配階級として強力的に古い生産関係を廃止する時には、…階級としての自身の支配を廃止する。階級および階級対立をもつ古いブルジョア的社会の代わりに、各人の自由な発展が、万人の自由な発展のための条件である連合体が現れる」 
 
 共産党そのものが不要となる社会、それを共産主義者はめざしている、ということだ。 
 
 現段階では、どこの国も、まだ支配の様々な仕組み、体制が必要だとしても、目指すべき未来に相応しい今の行動があってしかるべきではないか。 
 その行動のあり方については、『世界人権宣言』を見てみよう。 
 1948年の第3回国連総会で採択されたこの文書は、中国自身、当然ながら支持している。 
 
「人類社会の全ての構成員の固有の尊厳及び平等で奪い得ない権利を認めることが、世界における自由、正義及び平和の基礎をなす」(前文) 
 
「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取り扱い若しくは刑罰を受けない」(第5条) 
 
 さらに、中国も賛成した、1993年の世界人権会議で採択された『ウィーン宣言』を見よう。 
 I章第5節は、 
「国、地域の特殊性及び種々の歴史的、文化的及び宗教的背景の重要性は考慮されねばならない」 
としつつ、次のように強調している。 
「すべての人権及び基本的自由の促進及び保護は、その政治的、経済的及び文化的制度の如何を問わず、国家の義務である」 
 
 内政干渉はよくないし、ドナルド・トランプや安倍晋三がトップにいるような国から人権や民主主義で批判されたくはないだろう。 
 しかし、人権と自由の保障と促進は、どんな国家にとっても義務だということを忘れていないか。国家転覆・扇動の罪だ、などと言って弾圧を続ける国と党の指導者たちに、究極の自由をめざす共産主義の精神はあるのか。 
 
 日刊ベリタの読者には既知のことすぎたと思う。年の変わり目にあたり、隣国および日米その他の政治家たちに問うてみた次第だ。(西条節夫) 


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