2019年01月19日20時51分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201901192051596

韓国

韓国労働運動の息吹に触れた4日間(3)〜2018年11月労働者大会参加と日韓連帯・交流報告

【11月11日(日)3日目】 
 
<韓国最北端の都羅山駅のホームから線路の先の北側・開成駅方面を臨む―分断と和解の最前線> 
 
 この日は、非武装地帯(DMZ)の見学ツアーだ。 
 今年は、朝鮮半島では平和の方向へ大きく情勢が変わった。その舞台となったのが、2回も南北首脳会談が行われた板門店だ。その歴史的な場所をぜひ見たいと思い、行く方策を探したが、土日は板門店に行くツアーが休みだった。やむなく「分断の現実を少しは見ることができるのではないか」と、板門店近くに行く非武装地帯(DMZ)を見学するツアーに参加した。 
 ツアーの集合時間が早く、朝食も取らずに宿舎を出発、集合場所に向かった。このツアーは一応、韓国の民間会社が運営するもので、日本語ガイドが付くコースとなっている。その他、英語、中国語などのコースがあるらしい。 
 観光バス一台ほぼ満員の人を乗せて8時半に出発した。出発してガイドの案内が始まった。民間会社のツアーだからガイドの説明に少し心配であった。案の定、ベテランのガイドは、日本語は堪能であったものの、「いま北が攻めてきて戦場に取り残されたら、あなたたちはどうしますか」といった調子で、南北首脳会談によって作り出された南北融和ムードはどこ吹く風で、かなり挑発的で「北の脅威」を煽る反共保守イデオロギー色が濃いうんざりする内容だった。 
 
 1時間ほどで非武装地帯の入り口(民間人統制区域)に到着。 
 軍の検問所があり、「PM」という腕章を付けた兵士がバスの車内に入ってきてパスポートを確認する。南北融和の流れがあるとはいえ、朝鮮戦争がまだ終わっていないことを実感させられる瞬間だ。 
 
 しばらくすると、最初の見学地「第三トンネル」に到着した。韓国の軍事独裁政権時代の1970年代に「北が南に侵略するために掘った」と宣伝される地下トンネルが4本も「発見」され、その3本目のトンネルだ。日曜日のためなのか意外と人が多い。欧米系の観光客も目につく。 
 「第三トンネル」は、観光会社のパンフによると1978年10月に発見され、長さ1635m、高さ1.95m、幅2.1mで、南方限界線の435mまで達し、地下74mのところに造られた。1時間に武装兵が3万人も侵入することができるとされている。 
 ガイドによれば、トンネルから湧く地下水の流れが北側に向かっていることと、ダイナマイトの発破の跡が北側に向かっていることから「北が掘った証拠だ」と説明していて、そう言われればそう見えるが、はたして本当のところはどうなのか。 
 この第三トンネルは、坡州市の観光拠点となっているようだが、今では韓国軍のある種の利権でもあるのではないだろうか。ちなみに、このトンネルの中は撮影禁止だ。 
 トンネルに入る前に見せられた8分の映像は、いかに38度線が緊張状態にあるかを視覚に訴える。最後は平和と統一が強調されるが、朝鮮半島が南から北に青く塗りつぶされていく映像。軍事独裁政権時代からの「北進統一」の露骨なイメージに度肝を抜かれた。 
 ブルーのヘルメットを被らされ、遊園地にあるような50人ほど乗れるケーブルカーで狭いトンネル(これは観光客用に南が掘ったという)を8分ほど降下していき、薄暗い地下道を徒歩でしばらく行くと壁に突き当り、見学者はこれ以上先には行けない“行き止まり”にぶつかる。小さなガラス窓からトンネルのさらに先が見えているが、うす暗くてよく分からない。 
 トンネルを出て、入り口付近を歩くと、有刺鉄線に逆三角形の札が張られていた。赤字に白の髑髏(どくろ)マークと、「MINE」(地雷)の文字が入っている。ここから先が地雷原という印。現在は、南北境界線の非武装化が進み、地雷も撤去されたはずだが、そんな解説は見当たらない。 
 
 次に向かったのは都羅(トラ)展望台。 
 最近完成したばかりの新しい展望台に徒歩で向かう。途中の道路脇に韓国軍の軍用車両が駐車中。道路との境に有刺鉄線があり、その向こうで作業している何人かの兵士が見えた。軍の施設を建設中のようだ。北側に向けた監視塔もあった。やはりここが南北分断の最前線であることを感じさせる。 
 ビル3階の展望台からは、天候がすっきりせずに見通しは悪かったが、それでも非武装地帯や北側の風景、開成工業団地、板門店などが見えた。 
 
 次に、韓国側の最北端にある都羅山(トラサン)駅を見学。 
 1000ウォン(100円)の入場券でホームに入り、北側の開成方面も含めて自由に写真を撮ることができた。とても大きい駅舎と長いホームができている。駅構内は複数の線路とホームがある。すでに南北の鉄道は連結されている。北側の板門店駅との間で2007年から約1年弱、一日一往復の定期貨物列車が運行されたこともある。ホームには北側の「開成」駅と南側の「臨津江」駅を示す標識もあった。 
 ちなみに、私たちが訪れた20日後の11月30日に、北側との鉄道連結に向けた北側区間の南北共同調査開始の式典が都羅山駅で開かれた。 
 南北共同調査は、北側の線路などを11月30日から18日間にわたって、黄海沿いの京義線と、東海沿いの東海線で行われた。総移動距離は2600キロに上った。東海線を韓国の鉄道車両が走行するのは、分断後初めてだ。これは、国連安保理制裁の特例措置として認められたという制限があるが、9月平壌宣言に盛られた南北鉄道道路の連結事業の一環として行われたものだ。 
 さらに12月26日には、南北をつなぐ鉄道と道路の再連結・修復事業の着工式が、北側の開城の板門駅で行われた。 
 このような情勢を見ていると、南北の鉄道の実際の再開も、そう遠い夢ではないと思える。 
 
 次に、臨津閣(イムジンカク)で“朝鮮風すき焼き”ともいえるプルコギ定食を昼食で食べた。とても美味しかった。ここは食堂もあるが、北側の軍事、政治、社会などが分かる資料や映像資料などを展示している北朝鮮記念館があり、朝鮮戦争で使われた戦車、飛行機などの装備などが展示されているなど、いわば分断のミニテーマパークだ。 
 旧正月と旧盆に北の故郷を離れた人々が祭祀(法事)を行う望拝壇がある。 
 その裏側には、1953年休戦協定を結んだ直後に捕虜の帰還に利用された「自由の橋」がある。 
 戦争捕虜1万3千余名がこの橋を渡りながら「自由万歳」と叫んだことから「自由の橋」と呼ばれている。現在は“橋げた”しか残っていない。「自由の橋」の方に行く通路の金網には、離散家族によるものなのか、望郷の思いが書かれたリボンが山のように掛けられていた。 
 また、その通路には朝鮮戦争のとき1000か所以上被弾し大破した機関車が展示され、戦争の激しさを思い起こさせた。 
 その隣に、1998年に完成した「統一大橋」があり、開城公団への出入りに使われていた。 
 
<進歩連帯ハン・チンモクさん「何が可能かではなく、どうしたら可能になるか考える」> 
 
 分断の現実を垣間見た後は、ソウルに戻り、今度は「南北首脳会談、朝米首脳会談が行われた朝鮮半島情勢をどうとらえているのか、どう闘っているのか」を統一平和運動団体から直接聞こうと、韓国インターネットメディア「民プラス」事務所を訪ねて懇談した。 
 
 韓国側は、「韓国進歩連帯」常任共同代表のハン・チュンモクさん、コリア国際平和フォーラム(KIPF)共同代表で、朝鮮学校の無償化除外反対の闘いを支援している「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」共同代表のソン・ミヒさん、KIPF運営委員のパク・ヨンテさん、「民プラス」編集長のキム・ジャンホさん(前民主労総政策局長)などが出席した。 
 
 まず始めに、ハン・チュンモクさんから30分程度話を聞いた。ハン・チュンモクさんは、 
「統一運動は、私たちにとって命を懸ける闘いだった。南北分断以降、数十万人が犠牲になり、また朝鮮戦争の犠牲者だけでも数百万人になる。そういう歴史を振り返ると、トップ会談だけの華々しい話ではない」と切り出した。 
 
 続けてハン・チュンモクさんは、朝鮮半島の平和と統一だけでなく、アジアからさらに世界的な平和の展望まで述べた。 
「みんな獄中体験があるし、私も5回も投獄された。闘いと犠牲があったから、統一運動とキャンドル革命があったからこそ、4月の板門店会談があり、9月の平壌での会談があった。保守政権が続いていたら、今の事態はあり得なかった。小さな国である北が、核とICBMで巨大な米国、世界最強の軍隊を持つ米国に対抗できる国になった。進む道は茨の道だが、南北の力がかみ合って朝鮮半島の平和を引き出す力となった」 
 
「今年の6月と10月に政府の統一部長官と『共に民主党』代表など国会議員22人、市町村長ら100人で平壌を訪問した。数日間だったが驚きの発見があった。米国の封鎖の中で独自の発展を遂げ、70階以上の高層ビルが建ち並び、ソウルと見まがうばかりの賑わいと人々の活気があり、中国からの旅行客であふれていた。人々はスマホを持ち、タクシーが列を成して走っていた。朝鮮日報や右翼なら『偽造写真だ』『嘘だ』と宣伝しただろうが、平壌の風景は一時的なものではなく、現実のものだった。誇りに満ちた人々の表情が私たちの心を打った。経済的には苦境にあるはずの北の人々の自信に満ちた明るい表情には、国際社会の中で生きていく自信が感じられた」 
 
「金正恩委員長の2018年の新年の辞が、平昌五輪を平和五輪に変えた。南のキャンドル革命と金正恩委員長の新年辞の二つの流れが重なり合って、平和の流れを作り出した。北は、今年になってから中国と3回、南と3回、米国と1回と7回もトップ会談を実現し、今後も米国や南、中、露との会談が予定されている。これらの外交が平和・統一・繁栄の原動力となる」 
 
「米国が“非核化”だけを言い募っていることが最大の問題だ。本質は“朝鮮半島の完全な平和”にある。朝鮮半島の非核化のみでなく、完全な平和体制が展望される必要がある。完全な平和と繁栄には統一が必要であり、米国は民族の進むべき道を阻んでいる。鉄道連結や南北共同事業などに『国連軍司令部の許可が必要』などと言うがとんでもない。国連軍が民族の運命を左右できるのか。キャンドル革命を成し遂げた市民は、国連軍司令部が私たちの運命を左右することは許さない」 
 
「私たちは、休戦協定を、終戦宣言から平和協定に変えていく闘いを進める。経済制裁を止めさせねばならない。対話は刀を収めてからだ。米国のように“首を絞める”“経済制裁しながら交渉”では話にならない。南北の平和の為に労働者・農民と共同の闘いを進めたい」 
 
「昨日の労働者大会で、非正規労働者の生存権闘争と全教組法外組合の合法化など労組の課題に加えて、平和の闘いが宣言された。キャンドル革命が民主主義を発展させたように、闘いの方向は“米帝国主義反対”、“韓米日軍事政治同盟解体”、“軍事同盟”ではなく“平和同盟”に変えていく。東北アジアの平和は、ユーラシアの平和につながっていく」 
 
 そして最後に、ハン・チュンモクさんは「韓日民衆連帯のために提案したい」と次のように呼び掛けた。 
「来年3月1日は“3.1独立運動100周年”だ。南北では政府レベル民間レベルで共同事業として行うことを確認した。これを“世界レベルの共同事業”としたい。来年3月にソウルで開催する“国際平和デー”への参加を呼びかけたい。朝鮮半島の平和は東北アジアの平和につながり、日本の民主主義とも関わっている。私たちは韓国で平和と統一運動を決死の覚悟で進める。ぜひ日本のみなさんにも、共に進んでもらいたい」 
 
 ハン・チュンモクさんの話の後に、若干の質疑応答が行われた。 
 「年内の終戦宣言、金正恩のソウル訪問の可能性は?」という質問に、ハン・チュンモクさんは、 
「私たちは、評論家でなく、実践家である。今何が可能か、ではなく、どのようにしたら可能になるかを考えている。文政権が米国の顔色ばかり見ているようならば強力な闘いを組織する。政権が積極的に動くならば協力していく。民衆の力、市民の力でトップ会談を成功させる。先週、青年学生の金正恩歓迎委員会ができた。来週は市民歓迎委員会を結成し、今月中には労働者歓迎委員会、農民歓迎委員会、地域別の歓迎委員会を立ち上げる。そして南北和解を阻もうとする米国への反対闘争を強力に進めたい」と答えた。 
 
 また、「国家保安法の廃止の展望は」という質問には、 
「70年前の国家保安法がいまだに生きている。良心囚を救い出すための大集会を12月8日にソウル市庁前で予定している。法律の改廃は国会で決着させるしかないが、保守の自由韓国党が半分近く占めている現在の国会勢力比では困難だ。次の総選挙は2020年なので、そのときには国家保安法廃止の公約を掲げて選挙闘争を進めたい」と答えた。 
 そして最後に、ハン・チュンモクさんは「帝国主義が自らの利益を手放すことはない。闘いを強めることによって帝国主義を変革する」と力強く結んだ。 
 懇談会は1時間の予定が90分以上に及んだ。忙しい中、貴重な時間を割いていただき、本当にありがたく思った。(尾沢孝司) 
 
〔韓国労働運動の息吹に触れた4日間(4)につづく〕 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。