2019年03月09日19時42分掲載  無料記事
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アジア

ソウル特別市、熱い市政報告に驚いた。  澤藤統一郎(さわふじとういちろう):弁護士

韓国の旅の報告をしなければならない。もちろん、わずか5日間の旅では群盲象を撫でたに過ぎない。それでも、私が撫でた部分では、韓国の市民運動の強さ、民主主義の根深さに手応えがあった。学ぶべきところ多大との印象だった。中でも、革新ソウル市のあり方に驚いた。もちろん、東京都と比較してのことである。 
 
2月19日(火)、韓国ピースツアー2日目の早朝は寒かった。しかも、相当に激しい雪だった。宿泊先のコリアナホテル22階から間近に見えるはずのソウル市庁舎が、雪に煙ってまったく見えない。寒さに震えて訪ねたソウル市庁舎で、温かい歓迎を受けた。 
 
ソウル特別市の人口は約1000万人。24行政区を抱えて、東京都に相当する。革新市政だと聞いてはいたが、これほど緻密に理念を尊重しながら行政を行っていることは知らなかった。 
 
市長は、朴元淳(パク・ウォンスン)。文在寅と同期の弁護士である。市長選では、野党統一候補として与党候補を破っての当選で、現在3期目。文在寅大統領の後継者だと、あちこちで聞かされた。 
 
至るところにあったソウル市のロゴマークが、「I・SEOUL・U」。よく見ると、文字列の中央にある「O」の字の上に、小さいヒゲがついている。これが、何か意味あるものなのか、単なる視覚的デザインなのかは分からない。2015年以来のものだとのこと。「SEOUL」を動詞として読むのであれば、使う人のイメージ次第でどうとでも解することができる。市政が優しく暖かいイメージを持ってもらおうとしての、このロゴの採用なのだろう。市庁舎全体が暖かく、「どなたもおいでなさい」「どんなご意見にも耳を傾けます」という雰囲気だった。 
 
ツアーの主催者からは事前に格別の要望はしていなかったようだが、市側は、我がツアー参加者35名のはいる部屋を用意してくれた。3名の職員が、行き届いた資料を準備して、2時間余りの時間を割いて、市政の一端をレクチャーしてくれた。市が用意したテーマは二つ。「ソウル特別市における非正規職の正規職化」と、「訪問する住民センター −公共と住民がともに作る革新−」というもの。それぞれ、担当者が日本語パワポを駆使しての説明。これがおざなりなものではない。そして、みごとな日本語通訳。正直のところ驚いた。その生真面目さと、その熱意に、である。 
 
最初のレクチャーは、「労働民生政策官室」の担当者によるものだった。ソウルは、自らを『労働尊重特別市』と宣言して、まず自らが勤労者の利益を守る実例を示すことで、市内の企業を「模範的な使用者に導く」方針を持っているという。このことを「公共部門が模範例となり、民間部門に拡散させる」とスローガン化している。 
 
こうして、「自治体として初めて、市政全般において労働問題を政策化した」と胸を張る。その成果として、最も顕著なものが、「非正規職の正規職化」であるという。 
 
正規職化の取り組みは、2012年から始まった。その理念は、「社会的・経済的二極化の是正、持続可能な発展に向け、非正規職問題に市が他に先駆けて取り組む」というものだった。 
 
市は、緻密なプロセスを策定し、業務委託の「間接雇用労働者」を、直接雇用の「期間制・準公務員」に切り替え、さらに正規職の公務員労働者に切り替えたという。2019年2月までの正規職化が実現した人数は、10,209人に上るという。 
 
この間、平均賃金は年間180万円上昇し、休日、有給休暇、福利厚生も拡大した。今、取り組みの中心は、「所属感や自尊感情の低下など、不合理な処遇における差別」の払拭だという。 
 
何より感心させられたのは、労働条件と福利の向上だけを問題にするのではなく、「労働尊重文化の政策化」だという。この取り組みの成果は、中央政府新政権の非正規職解決のモデルにもなり、光州市など他の自治体にも波及しているという。 
 
資本の要請をどこまでも追認して非正規化容認の日本の労働行政とは、まさしく正反対の方向。自治体が先頭を切って正規職化し、これを民間に拡げていこうという政策に、度肝を抜かれた思い。 
 
報告が終わるや、矢継ぎ早に質問の手が上がった。予算はどれだけ増えたのか。その財源は。労働組合はどんな役割を果たしたのか。議会の意見はどうだったか。何よりも、ソウル市の住民は納得しているのか。予算を切り詰めよ、そのために、職員の給与を抑えよ、という声をどう説得したのか…。とても、時間か足りない。 
 
「訪問する洞住民センター −公共と住民がともに作る革新−」は、市の「訪問する洞住民センター」推進支援団長のレクチャーだった。「洞」とは、最小単位の行政機関として、洞ごとにある「住民センター」が、住民と密着しながら福祉行政を進めている。「訪問する洞住民センター」とは、待ちの姿勢ではなく、自ら福祉を必要とする現場に出向く姿勢を強調したネーミング。 
 
しかも、住民福祉を公務員だけが担うというのではなく、「公共」と「市民」との緊密な連携のもとに、民間の力を引き出して、住民自治を基本に総合的な政策を行うという。 
 
ここでも驚くべきは、貧困・疾病・社会的孤立などを解決するために、福祉の人手が不足として、2015年から2018年までに、福祉関係職員を2,802人増員したという。 
 
こうして、福祉国家的理念からは「人間としての尊厳を維持するに足りる生活を権利として享受できる制度的な保障」を、市民社会的観点からは「自分の暮らしと社会環境に対する自己決定権の獲得と実行」を、目指すものだという。 
 
この報告の最後に、パク市長の記者会見の言葉が引用されている。「『訪問する洞住民センター』の人々は、行政の効率より人間を最優先する『人権公務員』になります」というのだ。 
 
熱く語る担当者に気圧された感があった。「どうして、そんなに熱心になれるの?」という質問に、こんな答が印象的だった。 
「自分の場合は、セウォル号事件の影響が大きい。あのときの国民の問いかけが、『これが国家なの?』というものでした。この問いかけは、地方公務員である私にも向けられたものだと思いました。セウォル号事件を批判する大きな国民の声と行動に私も真剣に応えなければならない。その思いが、自分を変えたはずです」 
 
私たちには野田市の児童虐待死事件が生々しい記憶としてあった。児童相談所の消極的な姿勢を歯がゆく思う気持ちが強く、「積極的に福祉に必要なところに訪問する人権公務員」には、大きな拍手を惜しまなかった。 
 
この日ソウルは寒い雪の空だったが、市庁舎の中での報告には熱気がこもっていたた。今、韓国はどこも熱い。そう思わせるソウル市庁舎訪問。それにしても、嗚呼、彼我の差かくも大なる小池百合子都政を何とかしなくては。 
(2019年3月6日) 
 
澤藤統一郎(さわふじとういちろう):弁護士 
 
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.3.6より許可を得て転載 
 
http://article9.jp/wordpress/?p=12196 
 
ちきゅう座から転載 


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