2019年03月15日16時53分掲載  無料記事
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社会

私の昭和秘史(6)昭和とはやはり妖怪の跋扈跋扈(ばっこ)した時代だったのか ――『2・26事件』と『太平洋戦争』と『特攻出撃』  織田狂介

 実は、ここから私のこの著書での本論がはじめられる。そして、単純明快にいってのけてしまえば、この本論の見出しのような存在への大きな疑問が、いまもなお燃え尽きぬまま残炎のように私の胸中にくすぶりつづけているということなのである。だから、率直にいって、私の『昭和史』とは、そのままこれらの「妖怪変化たち」との戦いそのものなのであり、事実、私の戦後の人生は、この戦いにあけくれ、そして今やもう70余歳、心身ともに“満身創痍”を横たえているということかも知れない。 
 
 「この世はまさに夢幻の如くなり」である。どこからどこまでが真実(ノンフィクション)であり、はたまた虚構(フィクション)であるのか。私自身にもそれは分からぬことだし、いわんや多くの見識ある世人の誰にも、それはいえることかも知れない。然し、ここまで生きてしまった限り、その“ケジメ”だけはキチンとつけてみたい。それが小書を書き残そうとした私の意図でもあるといえよう。 
 ――本稿を書き始めた前後、まるで符節を合わせたかのように『大平洋戦争』もしくは『戦争』という命題への論議が活発となり、さらには「国歌(君が代)と国旗」の問題が、大きな社会的事件にまで発展しようとした。しかし、いつしかこの論議も、いつもの通り再びトコトンまで論じ合うに至らず、ウヤムヤになろうとしている。こうした風潮のなかで、私は野田正彰氏(比較文化精神医学の権威)の近著に注目した。彼は近著「戦争と罪責」のなかで、「戦争にかかわった世代が、侵略戦争の実態を否認している。そんな環境の中で失われたのは、何が起きたのかを具体的に実証的に調べる姿勢である・・・」と指摘し、「今すべきことは、本当のことを知っているという“事実”を戦争経験者に問いかけて、いくことである」といっていることが、私にとっても非常に大事なことではないかと想うのである。 
 
 
 
 そして、もう一つ注目したいことは、ひところ若者たちにも愛読された「気分はもう戦争」の原作者である矢作俊彦氏がコメントしている――「僕にいわせれば、大平洋戦争なんか、あれは戦争ではないですよ。レミング(註=新興宗教による狂気的行動)の集団自殺と同じですよ。日本にあったのは、国民を守らず、天皇だけを守る、奇形の軍隊だった。なのに、そのわけを問い直す作業すら、この国では、いまだになされてませんよね・・・」(朝日新聞・平成11年3月20日付)という言葉がそれである。 
 
 この2つのコメントは、私たちにとって極めて重大な問題提起だと私は思うのである。こうした意見発表と前後して評論家の野坂昭如氏もまたある週刊誌のコラムの中で、「今日のこのどうしようもない日本の世紀末的状況を糺していくことこそが、昭和初年に生まれた私たちのやらねばならぬ締めくくりの一つだ。なんでみんな黙っているのか・・・」と指摘していたが、まさにその通りだと思うのだ。 
 海軍14期飛行予備学生の遺書的日記の中で安達特攻隊員は、いみじくも私と同じように「昭和は妖怪の時代」であると喝破(かっぱ)していたように、この大戦末期「死に急いだもの」も、はたまた「死におくれとなったもの」も、その心の片すみで、ひそかにそんな怪しげな予感を感じ取っていたということであろう。、まず、私が何をさしおいても申し述べたいことは、はやりどう考えてみても、どう解説し、どのように弁解しようとしても、やはりこの『大平洋戦争』が決して“正義”のために展開されたものではなかったという、厳粛たる事実についてである。 
 
 そして、もう一つには、この戦争が、まぎれもなく「立憲君主国・大日本帝国」の総師である昭和天皇“自らの意志”によって宣戦が布告され、同じようにして戦争が終結されたということについて、このさいもっと明確にケジメをつけておくべきではないのかということである。「昭和の妖怪たち」は、なんとかしてこの事実の明確なケジメをつけることから逃れ、「昭和天皇(つまりは国体護持)を安全地帯の中に囲まうことによって、己たちもまた卑劣な延命を図ってきた」という事実についてである。 
 
 このことは、かってのあの『2・26事件』のときにも、あからさまに公然と行われ、昭和天皇と「この体制を維持してきた一握りの重臣と称する特権階級」との、なんともいえぬ嫌悪すべき相関関係に私たちはみることができるはずなのである。 
 殊に私は、まだ頑是ない少年時代、私の父親がある意味では重大な関心を抱き、ひっとしたら、あの青年将校たちに共感と思慕を抱いていたのではないかと思えてならない。あの『2・26事件』前後の、なぜかいつもとは違って、ムシャクシャした焦燥感の父親の在りように、いまでも釈然としない想いを感じとったままでいるのだ。実は、卒直にいうと、普段はむしろ温厚で物静かだっ父は、よほどのない限り、飲み過ぎて母に当たるようなこはなかったのに、この『2・26事件』前夜と、その数日後に渡っては、そういう事実があったからである。 
 
≪プロフィール> 
織田狂介 本名:小野田修二 1928−2000 
『萬朝報』記者から、『政界ジープ』記者を経て『月刊ペン』編集長。フリージャーナリストとして、ロッキード事件をスクープ。著書に、「無法の判決 ドキュメント小説 実録・駿河銀行事件」(親和協会事業部)・「銀行の陰謀」(日新報道)・「商社の陰謀」(日新報道)・「ドキュメント総会屋」(大陸書房)・「広告王国」(大陸書房)などがある。 


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