2019年03月17日14時06分掲載  無料記事
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社会

私の昭和秘史(7) なぜか半狂乱となる 『2・26事件』の前後 織田狂介

 私は、なぜか戦後以来ずっと、毎年2月26日前後と8月15日になると、数日間というもの必ず決まって、どうすることもできない「躁」状態に襲われて、まるで半狂乱にひとしい状況となって家人を驚かせるのを常にしている。殊に8月15日の場合などは、昼日中から酒を飲みはじめ、ずっと熱病に冒されたような浮遊症状となり、それが深更にまで及ぶ。そして鶴田浩二の『特攻隊』の唄から、あれやこれや手あたり次第に記憶している演歌や、民謡とつづき、とどのつまりは、どういうわけなのか“ああ闘いの最中に思わずハタと倒れしを・・・”の森繁ブシによる『満州事変の唄』でザ・エンドとなって、失神したように眠って仕舞うのである。 
 
 2月26日の場合には、やや様子が違う。この前後は、最初は同じような症状なのだが、だんだん「鬱」に近くなり、かなり沈痛な面持ちとなり、やはり酒を重ねるうち、酔ってくるとなぜか涙がとどまらなくなる。そんな私の姿をみつづけてきた家人たちにとっては、「また父(夫)のオハコが始まったよ」程度の関心しかないようだが、これがなんと大間違いで、本人である私にとっては「悪酔いしている」どころか、かなり記憶も鮮烈なのだから、困ったものなのである。 
 いってみれば、あの8・15の敗戦のときは、ひたすら悲痛、無念の想いが、どうしようもない憤怒の炎となって燃え盛ってくるのであるが、あの2・26事件は、私にとっては、亡き父との思い出とともに、わけのわからぬ“痛惜の想い”となり、さらには平和だった幼少のころのノスタルジアが、涙とともみ沈潜する・・・とでも云おうか。その日のことを再現してみると、次のような物語となる。それは、ひとことで云ってしまえば、あの『2・26事件』という雪の降った深夜の出来事と、鮮烈な陸軍の青年将校たちのクーデターと、私と父の間の“一瞬の交流”とは、まったくこの世における一度限りの私の思い出となって重なりながら、ざっと、もう70年に近い歳月の中に生きていることに他ならない。 
 
 そして、その年の4月なかば、桜の花が散り始めたころの、まことにうららかな春の光のなかで、父は静かにこの世を去っていった。病床にかけつけてきた仏教徒の伯母でさせ驚くほどの、それは平穏な死に顔であり、息をひきとるときは、普段はそんな素振りさせみせることのなかった父はが、「きれいな花がいっぱい咲いているよ。南無阿弥陀仏・・・」とはっきりと、そう云って別れを告げたそうである。 
 そうした私の父親が、どういうことから政治や経済、さらには『2・26事件』につながるような思想や行動と連なっているのかは、まったく不明であるし、なぜ「その夜」まるで狂ったかと思えるほどに酒盃を傾けのか、幼少の私には知る由もないのだが、ただ不思議でならないのは、そうした父の「死にぎわ」や「その生きざま」が、その後の私のなかには、まるで父の情熱の残炎でもみるように、ずうっと尾をひいて「瘧(オコリ)」のような症状となって私の体内にうずいているという事実についてである。 
 
 昭和6,7年から11,2年ごろ、つまり私たちが幼年期から少年期にかけての、この時代には、いま思い出してみても、なんともいえぬほのぼのとしたファンタジックな雰囲気に包まれた揺籃期が残されていた。すでに満州や中国大陸のあちこちでは、生ぐさい戦火の匂いが立ち込めて、暗黒への道のりが、一筋に形づくられようとしていたが、国内には、まだ大正から昭和の初めにかけて、短命だったかも知れぬがデモクラチズム(自由主義的風潮)が余韻をひきづっていたし、今にして思えば、状況とリーダーシップの在りよいかんでは、この国の政治や経済、思想の流れを少しでも糺すことができたのではないかと思われてならない。 
 
 私たちの家庭のなかでも、日本の童話や童謡とともに、アンデルセンやグリムや、アラビアンナイトなどの西欧の童謡や物語や古代中国やインドなどの歴史的伝説や、勇壮な三国志や西遊記などが愛読され、ベートーベン、シューベルトやバッハ、モーツァルトといった楽聖たちのクラシックや名曲が、私たちの夢を育くんでくれていた。それよりもなによりも、私たちの遊び場だった野原や山稜には、手ですくえばそのまま飲めるような、冷たいきれいな小川が流れ、そのせせらぎには、ドジョウやフナやナマズや鯉なども生きている美しい大自然が、そのままの姿で横たえていたし、近くの海辺には、汚泥のゴミなど一つも浮かんでいない砂浜にカニやアサリも息づいていた。 
私が愛読した中国の「三国志」などは、いまだに大きな影響力を与えたまま忘れることはできないほどだし、「西遊記」によって、私は“観音さま”や玄奘三蔵法師といった名僧知識の存在とも親しみを持つに至ったし、日本の近代小説の中でも佐藤紅緑の「ああ玉杯に花うけて」などに魅せられ、これから展開されるはずの「己れ自身の青春」のパッションを燃やした日々があった。 
 
 そうした私たちの楽しかるべき生活を一変させるような、不気味な音を立てて近づきつつあった“軍閥政治”による暗雲の一端が、実はあの『2・26事件』であったことに、私は愕然とするのである。しかもこの出来事が、まるで私のそれからの生き方を決めたかのように、その日以降、私の生活はめまぐるしく転変していったのである。 
 
≪プロフィール> 
織田狂介 本名:小野田修二 1928−2000 
『萬朝報』記者から、『政界ジープ』記者を経て『月刊ペン』編集長。フリージャーナリストとして、ロッキード事件をスクープ。著書に、「無法の判決 ドキュメント小説 実録・駿河銀行事件」(親和協会事業部)・「銀行の陰謀」(日新報道)・「商社の陰謀」(日新報道)・「ドキュメント総会屋」(大陸書房)・「広告王国」(大陸書房)などがある。 


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