2019年03月25日15時01分掲載  無料記事
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政治

対米従属と労働組合 60年安保後に米国が右傾化工作 戸塚章介

 白井聡「国体論―菊と星条旗」を読んだ。小説でない本を読んでわくわくしたのは久しぶりだ。「『国体』は死語になったからといって、死んだわけでは全くなかった」。国民は戦前の天皇の代わりにアメリカに従属させられているというわけ。日本の国と天皇は共産主義対策を意図して対米従属を選んだのだ。この本では触れられていないが、対米従属が労働運動の中で根を下ろす端緒はケネディ・ライシャワー路線だったとおれは思っている。 
 
 60年安保で日本の労働者階級は果敢に反米闘争をたたかった。アメリカは、この労働者の盛り上がりを力で抑えつけるのでなく組合幹部の懐柔という手法を取った 
 
 「ケネディ大統領が就任したばかりのアメリカは日本育ちのライシャワー大使を送り込んで『日米労働関係人物交流計画』を62年から実施し、日本の労組幹部のアメリカ招待など、きめ細かな接触を図った」(板垣保遺稿集「検証 労働運動半世紀」)。アメリカの労組幹部との交流という名目で、ハワイやアメリカ国内の観光地に長期滞在させ、飲み食い遊びで篭絡され骨抜きになって帰国すると言われた。 
 
 総評から分裂した全労が同盟と名を変えてアメリカ主導のICFTU(国際自由労連)に加盟したのが1964年。同年、総評加盟の鉄鋼労連も金属関係の大組合を引き連れてIMF(国際金属労連)に加盟し、IMF・JCを発足させた。彼らは自らの路線を「日本的労働組合主義」と称した。この労働組合の動きに呼応して池田内閣、日経連も「所得倍増」の幻想を振りまき労使協調ムードを広めた。 
 
 アメリカによる労働組合右傾化策謀は、生産現場ではアメリカ型労務管理とインフォーマル組織の育成という形で浸透した。生産性向上運動や社員参加、提案制度などで労働者を抱き込み、インフォーマル組織を使って組合乗っ取りを成功させた。それでも屈しなかった労働者には差別と排除の嵐が襲った。 
 
 ケネディ・ライシャワー路線によって生み出された労働組合の右翼的潮流は、アメリカや財界の意を受けて一気に労働運動の再編・労戦統一へと突っ走る。そして迎えたのが89年11月の総評解体、連合結成だった。それ以後の30年が、組織率の激減、ストなし春闘、国労などたたかう組合潰しであり、労働組合運動の地盤沈下であった。「対米従属」という「国体」が労働組合を蝕み、社会的地位を奪っていった。労働組合本来のエネルギーでなんとか元の姿を取り戻したいものである。 


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