2019年04月01日23時52分掲載  無料記事
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コラム

奪われる「総有」の権利 人々の生存の基盤が壊されていく  大野和興

 この世の中には、本来“誰のものでもない”ものがあります。山、森、土地や土、水、海や浜、といったものです。歴史が移り変わり、権力が発生する中で、それら本来“誰のものでもない”ものに占有権が発生し、資本主義の誕生とともに私的所有に転化していきます。それでもなお山や森、土地や土、水や海はそこに住む人びとものであるという観念や実体が残されていました。それはある時には入り会いとかコモンズ、ある場合には社会的共通資本と呼ばれています。いまその実体が国家による制度改革のよって急速に壊されています。 
 
 別の側面からいえば、農林漁業を守る仕組みが壊されていっているということになります。2018年の種子法廃止に続いて農地法一部改正、水道法の改正、森林経営管理法の制定、漁業権見直し案など成立したり成立寸前だったり、あるいは案が提示されたりといった具合です。 
 
 森林経営管理法は昨年5月に成立した新しい法律で、林業経営の意欲が低い小規模零細な森林所有者の森林を市町村を介して意欲と能力のある規模の大きい林業経営者に集めるというものです。小さな林業はだめなのか、ひとの意欲を誰がどのように決めるのかなど疑問だらけですが、深い議論もなく決まってしまいました。 
 
 2018年12月には養殖業への企業参入の促進をめざす漁業法が改正されました。これまで地元の浜の漁民が優先的にもっていた漁業権を水産資本などに開放する仕組みが導入されました。 
 
 これらの制度改定に共通しているのは、これまで国や自治体など公的な枠組みのもとで農山村民に運営をゆだねられていた入り会い的権利が縮小ないし否定され、それらの地元資源から利益を得ようとする民間企業の参入を認めたのです。種子法でいえば、コメ、ムギ、ダイズという基本食料は従来育種から種子生産、配布に至るまで都道府県を中心に公的管理のもとにあったものを廃止し、自由競争に任せるということで、法律そのものをなくしてしまいました。 
 
 農地法関連では一部改正によって全面コンクリートで覆った土地も農地として認められることになりました。農業に土はいらないということです。これからの生産の主軸となる植物工場を念頭に置いた改正です。大きな資本を要する植物工場は装置産業としていま資本の参入が相次いでいます。 
 
 森林は木材生産という経済的側面だけでなく、環境を守り水を涵養するという大事な役割がありますが、外部資本の参入によって、それがないがしろにされる恐れがでてきます。漁業権のへの民間資本の参入を認める漁用法改正も、同様の恐れが出てきます。漁業権は地元の漁業者が海や浜を自分たちの資源として管理し、大切にすることで自分たちも生きていくことを保障してきました。民間資本の参入は海や浜を儲けの対象にすることで荒らしてしまう可能性も出てきます。 
 
 種、土地、森、水、海、浜がこれまで公的管理のもとに置かれてきたこと、また山や海、土地に地元の人々びとの共有の権利(入会権)を認めてきたのには、それなりの理由があります。これらは総称して社会資本あるいは社会的共通資本といわれるものです。経済的価値だけでなく、人びとの生存や自然環境の保全にとってなくてはならない資源として、資本の手にゆだねるのではなく、地域の人びとの管理にゆだねられてきたのです。 
 
 いわゆる「入り会い」です。その権利は「総有」という形で法的にも認められています。例えば漁業権は構成員全員のものであると同時に、個々の構成員にも権利があり、一人でも反対があればその漁業権を売ることはできません。一連の制度改正は、そうした総有の権利を否定し、人びとの生存権を奪いとることにほかなりません。2018年にほとんど強行採決の形で進められた一連の改革は、これまで人びとが長い歴史の中で積み上げてきた民衆の生存基盤を解体し、生存権の根っ子を奪っていくのです。 


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