2019年04月19日13時42分掲載  無料記事
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コラム

【歩く見る聞く】何気ない日常の一コマ一コマに、 田中洋一

  何気ない日常の一コマ一コマに、これほど注意を払って暮らしている人がいることに、私は全く気づいていなかった。狭山事件で無期懲役刑が確定し、仮釈放(仮出獄)された後も無実への道を開く再審裁判を求め続けている石川一雄さん(80)のことだ。 
 
  狭山事件について簡単に触れておこう。1963年5月に埼玉県狭山市で女子高校生が殺された。石川さんが逮捕され、浦和地裁で死刑判決を受ける。東京高裁の控訴審からは一貫して犯行を否認したが判決は無期懲役で、最高裁の上告棄却により確定する。 
  石川さんは被差別部落の出身で、24歳で逮捕されるまで読み書きが出来なかった。小学校は卒業となっているが、6年時は全く出席しなかったそうだ。こんな経歴が捜査員の偏見をあおり、立場を著しく不利にした。「読み書きは刑務所で看守が教えてくれた」 
  1994年12月に仮釈放により出獄する。その翌年、生まれ育った家が火事で全焼し、その跡に「狭山再審闘争勝利現地事務所」が建つ。今週そこで石川さんと妻早智子さんに話を聴いた。 
  青春時代を獄中に費やした石川さんは今年80歳を迎えた。その彼が今、「電車の中で立つ時は片手で吊り輪を持ち、もう一方の手でカバンなんかを持つようにしている」と言う。 
  何を指しているのか。私が戸惑うと、「痴漢と疑われないように気をつけている」と説明してくれた。 
  被害者の思い違いもあるようだが、痴漢に向けられる社会の目は近年厳しい。私だって痴漢と間違われないように気を配っている。だが、石川さんの気遣いはその程度ではないようだ。 
  万が一、「痴漢だ」と突き出されたらどうなるのか。犯罪と判明すれば、最悪の場合は仮釈放の取り消しもなくはない。そこまでいかなくても、再審を求める石川さんに向ける裁判所や検察庁の目は厳しくなるだろう。支援者だって落胆するのではないか。 
  都心への特急はいつも窓側の席に座り、通路側を妻の早智子さんに譲るのも同じ理由だ。何かを疑われることがないように、と。 
  「だから常に緊張はしていますよ。体はもう慣れたけど、精神的には疲れます」と石川さんは言う。 
 
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  取材中に、地元市議選の選挙カーの声が飛び込んでくる。「○○です。よろしくお願いします」。統一地方選は後半戦の真っ最中だ。だが石川さんには選挙権も被選挙権もない。仮釈放といっても、無期懲役刑の執行は終わっていないからだ。投票所入場券は妻の早智子さんの分しか届かない。 
  逮捕された1963年から半世紀以上経ち、仮釈放の後も選挙に参加できない石川さんは「字も書けるのに、なぜなのか」と疑問だった。今から十数年前に担当の保護司が教えてくれた。「無期懲役で仮釈放された別の人にも入場券は届かない」と。 
  仮釈放中は保護司との面会が必要だ。保護司は来訪して1時間ほど面会するそうだ。手帳サイズの「連絡カード」を見せてもらった。何月何日に訪問したと記録が書き込んである。 
  この連絡カードを石川さんは日ごろ持ち歩くという。そんな例はまだないが、職務質問されたような場合に、住所氏名も書いてあるので本人確認の書類として使おうとしているようだ。 
  7日以上の旅行をする場合には「転居・旅行許可申請書」を法務省の保護観察所長に提出し、許可を得なければならない。仮釈放中は保護観察の対象なので、課された遵守事項の一つだ。何日も泊まりがけで集会に出席するような機会は年に何回かある。 
  遵守事項の一つひとつが私には煩わしく思えるが、「無罪を勝ち取り、冤罪を晴らすために、その了解の下で出た(仮釈放)のだから仕方ない」。石川さんはじっと耐えているように見える。 
  狭山茶で知られる埼玉県西部の当地は農村地帯だったが、1960年代に東京のベッドタウン化が進む。そのさなかに狭山事件は起きた。石川さんは別件逮捕され、警察の巧みな誘導により殺害を「自供」する。経緯と背景を知るには鎌田慧さんの労作『狭山事件−−石川一雄、四十一年目の真実』(2004年、草思社刊)がお勧めだ。 
  私自身はこの事件を詳しく取材した訳ではない。だが、2001年に現地事務所を初めて訪れて、犯行の有力な証拠とされる万年筆が発見された経緯を知る。不自然でおかしいとピンときた。 
  万年筆は石川さんの自供に基づき、3回目の石川家の捜索で鴨居の上に発見された。被害者の女子高生の所持品とされる。だが高さ175cmの鴨居は、その前の2回の捜索で10人以上の警察官の目に長時間さらされたのに、見つからなかった。 
  家は焼失したが、台所から鴨居にかけての建物は現地事務所の屋内に復元されている。鴨居の高さは私の身長と同じだ。今回改めて(復元)鴨居の前に立ち、万年筆を取り巻く経緯は余りにも不自然との心証を強める。警察は見込み捜査で自白を誘導し、それに見合うように万年筆を置いたのではないか−−と。 
  発見の経緯だけでなく、この万年筆で当時書いたインクの成分と、被害者が事件当日に書いたペン習字の文字のインク成分は異なるとする下山第2鑑定の鑑定書が昨年8月、新証拠として東京高裁に提出された。万年筆は本当に被害者の所持品だったのか。 
  狭山事件を石川さんの犯行とするには不合理な点がいくつもある。被害者宅に届いた脅迫状と石川さんの上申書の筆跡が一致しない点や、脅迫状から指紋が検出されない点がそうだ。こうした矛盾や疑問を明らかにするには、再審裁判を開き、捜査当局が持つ証拠をすべて開示するしかあるまい。司法の姿勢を問いたい。 
 
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  冤罪はどうしたらなくなるのか。足利事件で服役中に再審で無罪が確定した菅家利和さん(72)が気になることを言った。「冤罪は増えるでしょうね。減るとは思えません」。今月上旬に開かれた石川さんの支援集会での発言だ。 
  「いくら犯人ではないと主張しても、警察の取り調べは『お前だ』と決めてかかる。そして、検察が反対すれば再審は始まらない。こんな日本の司法制度を変えないとだめだ」と菅家さん。 
  石川さんも同じ見方だ。再審で無罪を勝ち取るまでは「万が一、何かあってはいけない」と、酒を飲むのも車を運転するのも控えている。そんな彼に「夜間中学に通う夢」を一日も早く実現させたい。 
 
(2019年4月17日) 
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