2019年04月24日09時39分掲載  無料記事
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政治

朕のため死ねと命「令」昭「和」の世 戸塚章介

 新元号を歓迎する国民が圧倒的多数だというが、我々戦中世代はそう単純には祝えない。そもそもこのグローバルの時代に、世界に通用しない元号をまことしやかに制定し崇め奉る神経が分からない。時代錯誤ではないか。しかも令和の和は昭和の和に通じる。誰も気にしていないようだがおれには気になる。 
 
 軍歌「海行かば」に「大君の辺にこそ死なめ かへりみはせし」という一節がある。日本の軍隊は玉砕に際して「天皇陛下万歳」と叫んで敵陣に突撃した。もう一つ「暁に祈る」という軍歌を引き合いに出す。「遥かに拝む宮城の空に誓ったこの決意/捧げた生命これまでと月の光で走り書き」。 
 
 天皇は74年前まで己のために国民に死ねと命令する存在だった。命令された国民は「かへりみはせぬ」と満足し「天皇陛下万歳」と叫び「生命を捧げた」のである。朝鮮や台湾を植民地化し、中国東北部に日本の傀儡「満州国」をでっち上げたのも天皇の名のもとに行われた。アジアの近隣諸国からの怨嗟の的になったのも当然と言えば当然の話だ。昭和の和は平和の和などでは絶対にあり得ない。 
 
 おれは今船戸与一著「満州国演義」を読んでるが、その第二巻に満州事変に対する天皇の「御嘉賞の勅語」が紹介されている。要約すると「満州事変が勃発するや、関東軍は自衛の必要上果断神速速やかにこれを制圧、爾来各地の匪賊を掃討しよく警備の任を全うした。チチハル、錦州地方にても勇戦力闘し、皇軍の威武を内外に宣揚せり。朕深くその忠烈を嘉(よみ)す。汝将兵ますます励めよ」となる。 
 
 船戸はこの勅語は天皇の本意ではなく、わが身の暗殺を恐れて軍部の意向を斟酌したものではないかと解釈している。しかしいずれにしてもこの勅語が関東軍による中国侵略に正義のお墨付きを与えたことは事実だ。その結果どうなったのか。日本は戦争の泥沼にはまりこみ、国民は塗炭の苦しみに突き落とされたのではなかったか。朕は軍が担いだ神輿に乗っていただけだ、というような言い訳は通じない。 
 
 ネットの世界では令和の「令」に「ン」をつけて冷和とし、「(世の中)冷たいわー」という言い方が広まっている。アナクロニズムの元号にしがみつき、昭和の時代をもう一度と画策する輩(やから)に政治を任せているわけにはいかない。来る参院選での反自公勢力の大同団結に期待する。 


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