2019年04月27日14時48分掲載  無料記事
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慰安婦問題のねじれに迫る 『主戦場』(ミキ・デザキ監督) 笠原眞弓

 なんの主戦場?「慰安婦」だ。観る前から緊張を迫られるタイトルに、襟を正してスクリーンに向かった。この問題は、国内はもちろん、国家間の、さらに国を超え「慰安婦」さえも越えて、国際的な「戦争と女性」などジェンダー問題にまで広がっている。 
 
 1993年に河野談話が出たものの、到底解決したとはいえない状況が続き、立場による様々な意見が交差していた。そして2015年の強引な手打ち。これは、慰安婦の存在を認めるもの、認めないもの双方から問題視された。 
 
 元朝日新聞記者の植村隆さんへのネトウヨの対応を知ったミキ・デザキ監督は、彼の政治的対立は対話で解消されるという学問的信念から動いた。日韓両国がこの問題を徹底して議論することで理解しあえるようになると信じ、最初のきっかけになる映画を提供しようと思ったと述べている。そして、20人の双方の見解を丁寧に集め、対峙させるという手法をとった。 
 
 
 杉田水脈氏はじめ歴史修正主義者たちは、滔々と淀みなく自説を開陳していく。彼らは口々に言う。慰安婦は自発的なのであって、貯金もあったし自由に外出もしていたから奴隷ではあり得ない、元慰安婦の証言がブレるから信用できない……。特に慰安婦の人数20万人は、彼らにとって重要なポイントのようだった。アメリカ国内での「テキサス親父」なる人物とその日本でのマネージャーの発言も耳障りだった。それが30分は続いただろうか。椅子を蹴って立ちたいほど辛かった。 
 
 しかし、しかしなのだが、吉見義明氏や渡辺美奈氏などの言葉を選んだ論理的解説で、藤岡信勝氏(新しい歴史教科書をつくる会)やケント・ギルバート氏、桜井よしこ氏の説は小気味よいほど反論されていく。 
 
 途中で挿入されるネット上の映像、例えば靖国神社や、日本でのデモ風景、少女像をめぐる日米の取り組み、オランダからの証言、女性国際戦犯法廷などは、この問題の広がりと深さを理解するうえで助けになる。 
 
 でもどうなのか。どちらにも確たる証拠には不足がある。「双方の意見は提示した。さてあなたは?」と、この先は映画を見た人に託されたと言える。 
 
 私自身、何日も考えた。この映画が監督が意図した「理解すること」に資するのだろうかと。日米の「議論する」に対する成熟度の違いもあるし…、感情的利害も密接だし…と。慰安婦に寄り添ってきた人とも話した。そして思った。いまこの問題にたいして真っさらな人が、初めて出会うには、とてもいい資料だと。 
 
 時間とともに映画の詳細が薄れてきたときに、「証言がブレる」という言葉が私の中で膨らんだ。ナヌムの家の映画『記憶に生きる』を見たときの土井敏邦監督の言葉が、ストンと納得できたことを思い出した。「彼女たちの証言は時として変わる。事実と違うこともある。でも彼女たちはその記憶を真実として、その記憶の中で生きている」という趣旨だった。 
 
 それは私自身の体験である。記憶があるかないかの2、3歳のころ、家族で過酷な体験をした。その経験は食卓で繰り返し話されたが、私の記憶と家族の記憶は違っていた。五十歩百歩なのだが、でも私の覚えていることが私にとっての「体験」であり「真実」であり続けている。だから、それをもって「あなたの過酷体験はでたらめだ」ということはできないのだ。まして慰安婦をやである。 
 
 
 それを踏まえて、私たちはより真実を見分け、それを受け止めていかなければならないと思う。 
 
 
 
122分/4月20日より渋谷シアター・イメージフォーラムにて緊急公開ほか全国順次公開 
 
コピーライト:(C)NO MAN 


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