2019年05月04日13時51分掲載  無料記事
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社会

私の昭和秘史(15) 私の真実の聲  織田狂介

 2・26事件に連座し「反乱ほう助罪」という汚名を着せられて、昭和11年5月から15年にかけて獄中生活を余儀なくされた斉藤瀏陸軍少将が、その独房において書き綴った『獄中の記』(昭和15年刊)を、漸く探し求めて国会図書館で閲覧することのできたのは、早春とはいえ手足が凍るつくような氷雨の降る3月中旬のことであった。 
 古びてこげ茶色にくすんだこの書をひもとくうち、私はいくたびか、なんとも言えぬ悲しみが1ページごとに深まり、眼鏡をはずしてあふれしたたる涙を拭うことを重ねつづけたことを率直に記述しておきたい。以下は、その『獄中の記』からの抜粋である。 
 
 『獄中の記』 斉藤瀏 
 
<序文> 
是は私の獄中の生活記である。獄中と言っても私は独房に監禁されて居たので生活の境域は極めて狭い。(略)生活の境域は狭くとも、私は此處で身心の塵埃を払って、一切を告白し赤裸々に感慨を吐露した積りである。これは私の真実の聲である。この修飾なき 蕪雑の行文を咎めず、私の真実の聲を聞いて欲しい。(昭和15年12月) 
 
<全編より> 
 拘置450号 是が今日からの余の氏名がわりの番號なり。 
著でを来し軍服ぬげり獄衣(ひとやき)をつきつけられて嘆く間もなく 
 
東京軍法会議に召喚され、形式的の訊問を受けた後、自動車で衛威刑務所(註:東京代々木の陸軍刑務所のこと)へ送られたのは昭和11年5月29日であった。私は當日軍服を着け、勲二等の勲章を佩びて居た。恐らく、これが軍服の着終ひと思ったからだ。(以下略) 
 
<7月11日 晴> 
外道あり手に雀児を握り来って世尊に問ふ。且らく道へ某甲が手中の雀児、是れ死是れ活か。世尊遂に門閑に騎りて云く儞道へ我が出か入か。 
 
 近く銃聲聞ゆ。鋭し、實弾を発射する響と感ず。刑務所構内の如し。我胸轟き騒ぐ。 
銃聲、彷彿と顕つ幻あり 慎しみて合掌す 南無阿弥陀佛。虚空に聲あり吾れを呼べり 
行け、神霊坐をわかちて迎へらむ ここに来よここにと。 
 幻、幻、7月11日 銃聲、銃聲、7月11日 
 
<月日の記載なし> 
 秋風が明かに感じられるようになった。5月に囚はれて、夏を此處で過し、秋となった。若き戦友の死に處せられた事は豫審處(廷のことか?)で聞かされて居る。私の行方はまだ判らぬ。 
 
電燈に打ちあたり落ちし蛾をみつつ泣きたくなりて罵りにけり 
 
(我自身の気が狂いそうだ) 
 
<面接>註:おそらく刑務所での面会のことであろう。 
(略)私は此回の事に興る場合でも一通りのことは家や妻や子の事を考へたが、国家の為めと言ふ結論と青年有為の将校を失ふより老齢私の如き者が代るべきたと言う信念とか、改造運動を断念せず。そして遂ひに此青年将校の純情熱意に動かされ、どたんばに之を見殺しにするに忍びず敢えて起つたのだ。妻子はよく私の心持を理解して呉れた。 
――この後、実刑判決によって衛威刑務所より豊多摩刑務所(八王子)に移送。 
<月日不詳のまま記述あり> 
――神勅を疑う罪 心は最初から決まって居た私だ。思い返せば数年以来、焦慮熟考の結果此處まで来た。嘆きも悲しみもある筈がない。それが時に裏切った友、身をかはした先輩など思ひ浮かべると涙が流れ出るのをどうすることも出来ぬ。 
 
 国つひに如何になるとも退きて身を保つ人を賢しと言ふか 
 
 神勅相違なければ日本は亡びず 亡びざれば正気重て発生の時は必ずある也。吉田松陰の「獄中所感」に在り。 
 
 神も佛もなしと叫びて夢さめたりまこと泣きけむ涙頬にあり 
 
                          (以上 原文のまま) 
 
率直に言って、私はこの斉藤瀏の『獄中の記』は、叶うことなら全文をそのまま再録して新たに注釈を加えて立派な本にして上梓したいと考えている。昨今のこの混濁した乱世に、昭和初年時代に生き抜ぬいた日本人の、私たちの父とも兄ともいえる先輩たちの、このひたむきな心を改めてみつめ直さしめ、日本人というより、この世に生きる人間としての心の在りようを考えるためのヨスガにしたいと思うからである。殊に私がくりかえし申述べるように、こうした先輩たちの想いのうち斉藤少将が獄中で血涙とともに書綴っている―神も佛もなしと叫びて・・・と言ふ和歌の詠嘆は、まさしく私自身が、あの昭和20年8月15日の「終戦の詔勅」を聞いた直後の、あの夜更けはねむること能はずして書きなぐり、涙とともにぐちゃぐちゃとなった「私の日誌」にも、まったく同じような言葉が書き綴られていたことを、いまでもはっきりと覚えている。 
 私が、こうした哀切な想いというものが、この世に存在するのだということを知ったのも、実にこうしたことがあったからであり、「男の血涙」というものが、どんなにか辛く哀しいものであるのかを知ったのも、このことがあったからだと思うのである。 
 
≪プロフィール> 
織田狂介 本名:小野田修二 1928−2000 
『萬朝報』記者から、『政界ジープ』記者を経て『月刊ペン』編集長。フリージャーナリストとして、ロッキード事件をスクープ。著書に、「無法の判決 ドキュメント小説 実録・駿河銀行事件」(親和協会事業部)・「銀行の陰謀」(日新報道)・「商社の陰謀」(日新報道)・「ドキュメント総会屋」(大陸書房)・「広告王国」(大陸書房)などがある。 


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