2019年05月07日23時31分掲載  無料記事
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中国

安上がりなナショナリズム製造装置 なぜ「改元狂騒曲」に踊るのか

岡田充『海峡両岸論 第101号』 http://21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_103.html 
 これほど見事に成功した「政治ショー」を見たことはない。指揮者は「一丸となって」が大好きな安倍晋三首相。彼が振るタクトにメディアが合奏し、多くの人々が踊りまくった。これで「日本人としての誇り」や「一体感」を“実感”できれば、こんな安上がりなナショナリズム製造装置はない。 
 「両岸論」のテーマからは外れるが、よほどのことがない限り、私にとっては最後の「改元」になるはず。狂騒曲の意味を記憶にとどめておきたい。 
 
<「平和な時代」?> 
 
 新橋駅前広場では、新元号を伝える新聞の号外の奪い合いが起き、勢い余って道路に転ぶサラリーマンの姿が、TVで大写しになった。そのうち銀座で「令和万歳」のちょうちん行列が始まるのではないか。それが現実になってもおかしくない狂騒ぶり。もううんざり、話題にすらしたくないのが本音だが、ここはまずナショナリズムがこれほど高揚した意味を考える 
 新聞、TVなど大手メディアは、「平成」が終わる今年初めから「平成とはどんな時代だったか」と、「改元」イベントを盛り上げた。元号で歴史を切り取れば、そこに現れるのは、ここ30年の日本現代史に決まっている。その結果、世界で起きている様々な出来事が切り離され、意識は「内向き」に導かれる。 
 それを代表するのが、平成は戦争がなかった「平和な時代」というウソである。平成天皇もそう言う。日本ではそうかもしれないが、西暦で考えれば全く別の風景が見えてくる。 
 
 「平成元年」の1989年を振り返ろう。天安門事件が起き、ベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が終わった。国際政治の文脈で言えば、20世紀が終わったカギになる年。私の頭の中では、それはあくまで「1989年」であり、「平成元年」と聞いたってピンとこない。 
 91年の湾岸戦争で、日本は1兆2000億円もの戦費を拠出し、海上自衛隊がペルシャ湾の「戦場」に掃海艇を初めて派遣した。これが「平和」と言えるのか。これを機に米国の一極支配時代が始まった。「9・11」(2001年)後は、米国によるアフガン・イラク侵攻と「対テロ戦争」の嵐が吹き荒れる。小泉政権は米国によるイラク侵攻作戦を支持し、イラクへの海外派兵に踏み切った。これも「平和」か? 
 
<存在感と発言力が失われた時代> 
 
 「平和な時代」という表現がいかに空疎か。でも平成で括れば戦乱など見えてこない。お上にとってこんなに都合の良い括り方はない。 
 
 米一極支配は2008年の「リーマンショック」をもって終わり、国際政治は多極化へと移行した。同時に中国の台頭に伴う「パワーシフト」(大国間の勢力移動)が進むが、時代を画するこれらの変化は現在進行形であり、元号で区切っても何も見えてこない。 
 元号が、「世界」から日本を切り離し、「内向き」思考に誘導する弊害はもっと強調していい。 
 それでも「平成」の特徴をあえて挙げろと言われれば、こんな風景が浮かぶ。まずバブル経済が崩壊し、日本は30年もの長い停滞時代に突入した。小泉政権時代に始まる新自由主義経済は、「一億総中流」の幻想を破った。厚みのあった「中流層」が失われ、経済・社会格差が広がり階級化が進行した。賃金も物価も上昇するどころか下降し続ける。 
 同時に阪神大震災と東日本大震災など、地震と豪雨などの災害が多発した。09年に始まった民主党政権の迷走と安倍政権誕生で鮮明になったのは、日本の存在感と発言力の後退だった。 
 
 このように平成とは、戦後の日本史の中でも極めつけの「ネガティブな時代」だったと思う。「よくもまあこれだけ悪いところばかり集めたもんだ」と言われそうだがしかたない。では、ポジティブなものを挙げてほしい。 
 
<国書とは「幼児の虚勢」> 
 
 ネガティブだったからこそ、改元という政治ショーで「日本人の誇り」や「一体感」を際立たせるナショナリズムを高揚させなければならなかったのだ。 
 安倍晋三はエイプリールフールの4月1日の記者会見で、「令和」の典拠が「国書」の万葉集にあることをことさら強調し「我が国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄」の意味を込めたのだと説明した。 
 元号選定にあたっては、有識者懇談会などあたかも民意を踏まえたかのような演出もあった。しかしこれらは、安倍が選んだ「令和」を通すための「出来レース」の儀式に過ぎない。安倍がこだわったのは「国書」を典拠としたことにある。 
 しかし万葉集からとったと誇張するナンセンスは、発表直後から専門家から指摘されていた。万葉集の序文は、中国古典の王羲之の「蘭亭序」や張衡の「帰田賦」に由来するのは間違いない。大伴旅人をはじめ当時の日本の貴族たちは、漢籍の素養がなければ生きられなかった。当時の日中関係を考えれば当たり前だ。元号自体が中国の模倣であり、「初の国書」と強調する意味はいったいどこにあるのだろう。 
 しかし、さすがは安倍信者、ある親衛隊員は「私は、素晴らしい元号と思う。なにより、中国の漢籍に出典を求めず、日本の万葉集から選んだ点がいい。中国政府は内心、ガックリしているに違いない」と、ネットに書いた。「中国嫌い」の安倍の本音を見抜いている。しかし漢籍の“孫引き”なら、中国への対抗心など「幼児の虚勢」と言うべきだろう。 
 
<ナンセンスな世論調査> 
 
 さらにメディアが世論調査で、新元号への「好感度」を調査・発表したのもナンセンスに拍車をかけた。「好感を持たない」が多ければ、新元号を見直すというなら分かる。お上が決めたことに異は唱えづらい「空気」が支配する日本で、新元号に否定的な反応が出るはずはない。「7割以上が好感」という結果がでれば、「我が国悠久の歴史」を誇るナショナリズムをくすぐるに違いない。 
 元号を使いたい人は使えばいい。私は使わない。ふだん原稿を書く時は西暦で考え、よほどのことがない限り元号が入るスキはない。繰り返しになるが、西暦で考えないと日本と世界の関係が明確な像を結ばないからだ。 
 役所の文書で元号を書かねばならない時は困る。平成の場合は特に、指折りしながら頭で引き算と足し算を繰り返さないと、なかなか答えはでない。役所の文書も、西暦でもOKにしてほしい。利便性に欠ける。 
 
<改元から改憲へ> 
 
 改元狂騒曲はこれにて終わりではない。まだまだ続くのだ。令和に移行する5月からメディアは毎日「令和新時代」を合奏するだろう。トランプ米大統領が5月末来日し、外国首脳として初めて新天皇と会い、新時代のスタートを盛り上げる。 
 翌6月末には、主要20カ国・地域(G20)首脳会合が大阪で開かれる。ここでも、わが宰相は「日本が主催するサミットとしては史上最大」と自画自賛して、7月の参院選挙になだれこむ。 
 4月の統一地方選挙の結果をみると、政府・自民党が衆参同日選に打って出る可能性は十分ある。どう考えても野党が勝つ見込みはないからだ。安倍にとっては、改元に続く改憲のまたとないチャンス。 
 そして10月22日には、皇位継承に伴う「即位礼」が、190か国の元首らを迎えて行われる。そして年が変わり2020年、また国を挙げてナショナリズムを煽るイベント「東京五輪」の番だ。「頑張れニッポン」の大合唱は、スポーツ・ナショナリズムの枠を超え、「日本人としての誇り」と「一体感」を煽るナショナリズムへと駆り立てる。 
 「平成史」から学ぶこともある。TV番組で目立つ「ニッポンってすごい」の「日本ボメ」現象は、ネガティブな現状を反比例的に映す「鏡」である。逆説的に考えれば、令和になっても「日本ボメ」が続けば、それは「30年の停滞」が終わっていない証拠だ。今年から来年にかけて続く狂騒を考えると、日本から逃げ出したくなる。こころをザワつかせるだけの騒ぎはもう勘弁してくれ。(敬称略) 
(了) 
〔『21世紀中国総研』ウェブサイト内・岡田充『海峡両岸論 第101号』(2019.04.15発行)転載〕 
 
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<執筆者プロフィール> 
岡田 充(おかだ たかし) 
(略歴) 
 1972年慶応大学法学部卒業後、共同通信社に入社。 
 香港、モスクワ、台北各支局長、編集委員、論説委員を経て2008年から共同通信客員論説委員 
 桜美林大非常勤講師、拓殖大客員教授、法政大兼任講師を歴任。 
(主要著作) 
『中国と台湾―対立と共存の両岸関係』(講談社現代新書)2003年2月 


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