2019年06月15日11時28分掲載  無料記事
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政治

前川喜平氏講演会「21世紀の平和教育と日本国憲法」<2>自民党は「安倍党」に変質

 かつての自民党は多様性があり、色々な意見や派閥の人がいた。派閥の弊害などと言われてはいたが、派閥と言われるものは、実は政策や思想において異なる人たちが混じっていたという意味で、「日本という国をどちらの方向にもっていくか」という基本的な政策において、多元的で多様な考え方を持った人たちが自由民主党の中にいたと思う。 
 
▽護憲派はほぼ絶滅 
 元々、自由民主党は、1955年に自由党と日本民主党という2つの党が合わさり、保守合同で出来たもので、この時の自由党と日本民主党は色合いの違う党であった。この辺は田中秀征が「保守本流」と「自民党本流」という言葉で説明しているのが非常に分かりやすく、「保守本流」と言われる自民党の人は吉田茂を源とし、非軍事的な国を目指し、日本国憲法の路線で行こうとしている人たちである。この人たちは戦後のパージに遭わず、軍国主義の時代には非常に身悲しい思いをしていた人たちが、戦後に表舞台に出てきたものである。その中には石橋湛山のような人もいた。 
 
 石橋湛山とは、冷戦が始まった時代にあって、日中米ソ平和同盟を結ぼうと主張した人で、白昼夢だと言われてもおかしくないようなことを本気で考えるような、非常に高い理想を持っていた人である。しかし一方で、保守合同でくっついた日本民主党の方は、むしろ戦後パージされた人が多く、戦前の国家体制を担っていたような人たちもそこに入ってきた。その代表格が岸信介である。自民党は、そういう二つの保守政党がくっついて出来ている。だから今の自民党の人たちは、「改憲は自民党の党是だ」と言うけれども、かつては自由民主党の中にも護憲派はしっかりといた。 
 
 しかし今や、自民党の中の護憲派はほぼ絶滅したと言っても良い。自民党はかつての自民党ではなく、今も自民党を支持している人には「今の自民党はかつての自民党ではないですよ。あれは安倍党ですよ」と言いたい。自民党の政治家は、心の中で何を考えているかはともかく、政治家としての行動を見る限り、全部安倍さんの言う通りにしている。もう自民党はかつての多様性を失い、変質してしまっている。 
 
▽新自由主義による社民的政策の後退 
 経済政策についても大きく変わってきた。それは先ほど言った新自由主義である。私は文部科学省にいた頃に大臣秘書官をやったことがあるが、その時の大臣が与謝野鉄幹・晶子の孫の与謝野馨さんであった。この時の内閣は、自民党・社会党がつくった自社政権による村山富市内閣であった。その時に色々と話してくれて面白かったこととして「君たちは自民党と社会党が連立を組むなんて思いもよらなかっただろう。自民党と社会党は永遠に対立すると思っていただろう」という言葉があった。 
 
 実際、当時の文部省はずっと日教組と対立していた。文部省と日教組は昭和20年代は仲が良かったが、その後に仲が悪くなったが、それは日教組が変わったのではなく文部省の方が変わったからである。保守合同以降、大きく変わり、「日教組は敵だ」というようになった。私が文部科学省で仕事をしていた期間のうちの最初の20年近くは、日教組を潰すことが文部省の仕事であるというような雰囲気であった。しかし、日教組が支えてきた日本社会党と、文部省がずっと従属してきた自由民主党が一緒になったことで、従来型の文部官僚はどうして良いか分からなくなってしまった。どちらを見てどのような仕事をして良いか分からず、オロオロしてしまった。 
 
 その時に与謝野さんが言った言葉が面白い。与謝野さんは「自民党と社会党が連立を組むようなことはあり得ないと思っていたかも知れないが、自民党と社会党はずっと協調をしてきた。3分の1は超えるけども過半数にはならないような野党勢力がいて、日本社会党や日本共産党があって、国民の福祉や教育、医療といった国民の生活を豊かにするための政策を突き付けてくるのに対して、自民党は成長の分配ということもあり、野党と対決するのではなく、野党が言うことを与党の政策に取り入れていった。そうやって広げてきたのが自由民主党であり、実は社会主義的な政策をずっと取ってきている。自民党は社会主義政党である」という風に言っていた。 
 
 確かにその頃まではそのように言えたと思う。しかし、21世紀になる少し前に中曽根改革があり、この改革を源流として新自由主義的な政策がどんどん進んできた。特に小泉構造改革などは、本来は公共の分野でなくてはならないものをどんどんと破壊して民営化し、競争原理や成果主義を導入するといったことをやってきた。そのイデオローグになっているのが竹中平蔵で、今でも頑張っている訳である。私はこういう新自由主義政策の中で最も私腹を肥やした人が竹中平蔵だと思う。このように、かつてのように社民主義的な政策をとり、多様性があり、護憲派もいた自民党の影は、今の自民党にはない。そういう意味で、自民党は変節してしまったと思う。 
 
▽教育「再生」という教育勅語体制の復活 
 教育政策に関して言うと、安倍政権は極めて強い国家主義的な方向性を持っており、しかもそれは戦前回帰型の国家主義である。それを日本会議が支えている、という構図がある。 
 
 第一次安倍政権は2006年から2007年までの1年間であるが、その後、2012年の暮れから6年半に渡って第二次安倍政権が続いている。第一次安倍政権では、教育再生会議という会議が持たれたが、第二次安倍政権においてはこれを引き継ぐ教育再生実行会議という会議が設けられている。この「教育『再生』」という言葉が酷いと思う。「再生」ということは、以前は生きていたものが死に、死んだものをもう一遍生き返らせるということを意味する。じゃあその「かつては生きていて、今は死んでいるもの」とは何か。それは教育の世界で言えば「教育勅語」である。結局、この教育再生と言っている人たちが目指しているものは「教育勅語体制の下での教育をもう一度取り戻したい」ということである。 
 
 教育勅語とは、まさに國體思想を植え付けようとした、戦前・戦時中の国家主義日本の狂気、カルト教団の狂気のようなものが教育勅語だと思う。そういうものを復活させたいと思う人たちが戦後も生き延びてしまったことが非常に問題である。戦前のものをきちんと清算しないまま戦後に入ってきてしまっている。そのような国家主義的な思想、國體思想といったものを持ったまま権力を握った人たちが戦後も何度も現れており、私はその系譜が、岸信介・中曽根康弘・森喜朗・安倍晋三というように繋がっていると思っている。 
 
 この人たちは、個人よりも国家を重んじる人たちで、その人たちの心の中の国家観には戦前の國體思想がそのまま残っている。戦前の國體思想については、教育勅語の中に書いてあるが、教育勅語というのは1890年(明治23年)に元田永孚という宮中顧問官と、伊藤博文の懐刀の法制官僚と言われた井上毅の2人が合作で作った作文のようなものである。これを何故か今の日本会議の人たちは、日本古来の伝統や道徳であると言う。「19世紀の終わりに明治国家の国民統合の手段として創り出されたものだ」として褒めたたえる。 
 
 どのようなものを創り出したのかと言えば、日本の神話と儒教的な道徳を繋ぎ合わせたものであり、その中心となっているのが「天皇」である。天皇は天照大神という神様から始まっているとしている。教育勅語の最初の言葉が「朕(ちん)惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそ こうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)」と始まるが、皇祖皇宗の「皇祖」というのは天皇のご先祖様で神様となる存在、「皇宗」というのは人間になってからの神武天皇から後の人たちを指し、それが天皇のご先祖様だとしている。皇祖・天照大神は、高天ヶ原という神の国に住んでいたが、ある時に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)という自分の孫を日本列島に向かわせ、天壌無窮の神勅という命令により「あなたとあなたの子孫が永久にこの国を治めなさい」と言った、という神話から始まっている。 
 
 今でも天照大神は天皇のご先祖様だとされているため、先日、天皇と皇后が天照大神がいるという伊勢神宮に退位の報告に行った。その時に、NHKのニュースで「天皇の祖先にあたる天照大神に報告」と報道されていた。私はこれを観て「こういうことを言うのか」と感じた。「〜と言われていた」程度であればまだしも、昭和天皇であっても人間宣言をしているのであるから、「天照大神が天皇の祖先」などと言ってはいけないのではなかろうか。 
 
 それから、天皇のこの行為はあくまでも私的な行為であるから、公的な象徴としての行為ではないし国事行為でもない。あくまでも私的な行為であるということをしっかりと踏まえないといけない。しかし、あたかも公式の行事であり、象徴としての行為であるかのように扱われる。憲法7条に書いていないのであるから、このような行為が国事行為でないことははっきりしており、象徴としての行為ともいえない。これは天皇の私人としての行為であって、私的な参拝である。首相が靖国に参拝に行く時には「私的参拝か公人としての参拝か」と随分と議論されるにも関わらず、天皇が伊勢神宮に行く時には、「これは私的な参拝である」ということを誰もしっかりと言わないというのは問題である。あたかも被災地に行き、戦地に行って慰霊の旅をするのと同じような感覚で、象徴としての行為であるかのように報じるのは非常に問題があると感じた。 
 
▽「君に忠」より「君にチュウ」を 
 
 いずれにしても、教育勅語に含まれている國體思想というのは、最終的に日本を破滅の淵にまで追い込んだ非常に危険な思想である。 
 日本は神話から始まっていて、天皇と今の国民である臣民とは、血で繋がった「親子の関係」であるとする。そのため「日本という国は大きな家族である」と考え、大きな家族である日本という国の単位となっているのは、個人ではなくて「家」だとしている。そして、家が集まって国ができており、その家というのは、1つの国のミニチュア版で、国と家とは相似形を為しているとする。その家の天皇にあたるのが家長であって、その家長が家全体を司る。そしてその家長も、やはり祖先から地位を受け継いでいるという、万世一系の天皇が国を司るように、家というものも縦の血統によって引き継がれていくものだとする。そこで家を継いだ家長というものは、家の中のことを全て決める権利を持っており、子供たちは結婚することさえ自由には出来ない。旧民法上は、婚姻についても家長は許諾権を持っていた訳である。 
 
 そのような「国は大きな家であり、家は小さな国である」、そして「家は国の単位」なんだという考え方が國體思想に含まれている。国の在り方と家の在り方が繋がっていて、「国の頂点にいる天皇、家の頂点にいる家長、そのそれぞれに対する忠誠の念を持ち、それぞれの権威に対して服従をしなさい」というのが「忠と孝」の道徳である。この教育勅語も「我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(しんをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ外薀諒ジ察覆┐鵑欧鵝頬髻覆泙拭釦薀法覆犬弔法忘.法覆海海法紡献后覆召鵑后法廚函△海里茲Δ編體思想の下で「君に忠、親に孝」と言っている。「君に忠」というのはカタカナで書くと別の意味になるが、「君にチュウ」の方がずっと良いと思う(笑)。 
 
 「君に忠、親に孝」という道徳が中心になっているのが教育勅語であるが、今の安倍さんの周りには、「教育勅語を復活させるべきだ」という人がたくさんいる。文部科学大臣をやっていた下村博文さん、防衛大臣をやっていた稲田朋美さん、内閣官房副長官で失言ばかりしていた萩生田(光一)さんもそうである。教育勅語や教育国体思想などを復活させようと本気で思っている人たちが、政権の中枢にいるわけである。この人たちが中心となって、教育基本法の改正を進めてきた。(つづく) 


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