2019年06月17日10時11分掲載  無料記事
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政治

前川喜平氏講演会「21世紀の平和教育と日本国憲法」<3>強まる教育への政治介入

 教育基本法の改正を最初に目論んだ総理大臣は中曽根康弘さんだと思う。しかし、中曽根さんはそれに失敗した。臨時教育審議会を作ったが、臨時教育審議会は、教育基本法の改正に踏み切らず、逆に個人を大事にする個性重視の原則やあるいは学習者の主体性を重視する生涯学習などを打ち出した。中曽根さんは、この結果を受けて「臨教審は失敗であった」と言っている。私はその頃、文部省の課長補佐を務めていたけれども、臨教審の答申を見て「中々いいことを言うな」と思っていた。 
 
▽臨教審から教育改革国民会議へ 
 個性重視の原則とは、一番大事なのは「個人の尊厳」で、個性の尊重・自由・自立というものを大事にするというものである。また「生涯学習」とは、学校の中だけで学びが完結するわけではなく、学校の外にも学びの場はあるし、学校を出てからも人間は学び続けることによって、豊かで幸せな社会を作っていけるとするものである。このように、私は臨教審は中々いい考え方を打ち出してくれたと思っているし、今でもそういう方向で教育は改革していくべきだと思っている。しかし、中曽根さんは「当てが外れた。教育基本法の改正で『個人よりも国家が大事だ』と持って行ってほしかったのに、そちらに持って行ってくれなかった」という意味で、臨教審は失敗だったと言っている。 
 
 中曽根内閣で文部大臣だったのが森喜朗という人である。森喜朗さんは、小渕恵三さんが突然亡くなったので、棚から牡丹餅式に総理大臣になり、「日本は天皇を戴く神の国であるぞ」などと、神の国発言をした人である。国体思想をそのまま引き継ぎ、個人の尊厳などは考えたこともない人である。滅私奉公がこの人の座右の銘のようで、滅私奉公の「公」は、天皇や国家を指し、公民館などというときに使う「公」とは異なる。 
 
 「公」という字は、国民主権に基づく「公」と天皇主権に基づく「公」で、同じ「公」でも違う意味を持ってしまい、公民であっても、学校で勉強する公民と奈良時代の公地公民の公民では意味合いが異なる。「公」という字は、「自由な市民が作り出すパブリックな空間」という意味の民主主義の下での公と、「天皇絶対」という意味を表す公がある。そのため、公や公共という言葉は使う人によって意味が変わり、真逆の意味になる場合がある。実は2006年の改正教育基本法の中にも「公共の精神」という言葉が出てくるが、これは両方に解釈することができる。しかし、公共の精神という文言を入れたがっていた人たちは、個人の尊厳を否定して、国家の方が大事だという滅私奉公の公という意味で公を使っていた。 
 
 森喜朗さんはこの滅私奉公の考え方を持っていて、森喜朗さんが総理大臣であった時に、教育改革国民会議というものが設けられることとなった。まあ、実際に設けられたのは小渕恵三さんが総理大臣のときであるが、小渕さんは教育改革国民会議の議論が始まるか始まらないかというタイミングで亡くなってしまったため、後を引き継いだ森さんの色を濃く反映している。教育改革国民会議は、2000年12月に出した提言の中で「すべての国民に対し18歳になったら、奉仕活動を義務付ける」などという、滅私奉公を意味するものや教育基本法の改正、道徳の教科化を提案している。 
 
 しかし、森内閣自体が短命であったため、森政権の下ではいずれの提言も実現しなかった。この提言を実際に実現したのが安倍さんである。さすがに「18歳ですべての国民に奉仕活動を義務付ける」という提言は、憲法18条の「〜その意に反する苦役に服させられない」という条文に違反する可能性があり、そのまま実現することは難しかったようであるが、この提言が反映された形で学校教育法が改正された。学校教育法には、「奉仕活動を学校で行う」と書かれており、この点では提言を実現している。 
 
▽教育基本法改正にともなう国家主義と歴史改竄 
 2006年になって第一次安倍政権の下で、教育基本法の改正(私から見ると改悪である)が行われ、国家主義的あるいは全体主義的と言っていいような教育の目標が書き込まれた。例えば、「道徳心を培う」、「公共の精神に基づいて社会の発展に寄与する」、「伝統と文化を尊重し、我が国と郷土を愛する態度を養う」などというものがそうである。彼らがここで盛り込んだ「道徳心」とは、教育勅語に書かれているような道徳心を念頭に置いており、「公共の精神」も天皇を中心とする国家という意味での公共の精神を意味する。また、「伝統と文化」とは明治国家が作り上げたような国家体制におけるものを伝統と呼び、このような国と郷土を愛するということが盛り込まれている。 
 
 また、教育基本法の改正を機に強まったのが、教育への政治介入である。元々教育基本法は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」と定めていたが、改正後は「国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」という言葉がすべて削除された。「直接に」という言葉は非常に大事な言葉であり、これは間接に責任を負うわけではないということを意味する。「間接的」というのは、政党政治に基づく間接民主制を意味し、「政党政治による間接民主制により、教育がコントロールされてはいけない」ということを示していた。いくら多数派であっても、教育の内容をすべて決めていいわけではないということである。 
 
 いまの自民党は安倍党であり、安倍党のイデオロギーはかなり危険なものである。教育の世界でいえば、一つは個人ではなく国家が大事であるとする「国家主義」の考え方。もう一つは、これと結びつくものであるが、歴史を捻じ曲げてしまう「歴史修正主義(Historical Revisionism)」の考え方である。歴史修正主義という呼び方も、日本語では「正しいものに直すこと」を修正と呼ぶので、個人的には修正という言葉を使わない方がいいと思う。歴史修正主義よりも、歴史改竄主義や歴史歪曲主義と言った方がいい。安倍晋三さんは、明らかにこの歴史改竄主義者である。 
 
 安倍さんは、若い頃からそのような思想を持っていた人物で、自民党の若い右派の政治家たちが集まって作った「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(現:日本の前途と歴史教育を考える議員の会)」に所属していた。この会は、教科書の記述に対して、猛烈に攻撃を仕掛けてきたことから、教科書議員連盟と呼ばれることもある。その代表が、お酒の飲みすぎで亡くなり、麻布高校で私の1年先輩にあたる中川昭一さんである。中川さんは、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の代表を務めており、この会の事務局長を務めていたのが、若き日の安倍晋三さんである。言ってみれば、安倍さんにとっての兄貴分が中川昭一さんであり、文部科学省にものすごく介入をしてきた。 
 特に歴史分野に関する学習指導要領や教科書の記述に関しては、ものすごく強く介入をしてきた。例えば、従軍慰安婦の問題、南京事件、沖縄戦での集団自決などの点について、日本軍の関与の下で起こったものではなく、日本軍は潔白であるという主張をするわけである。この人たちは、このような運動をずっと続けてきており、その中心にいた人が政権を取るに至ったのが2006年の安倍政権である。 
 
▽「沖縄教科書問題」 
 その時に起きた「沖縄教科書問題」と呼ばれる高等学校の日本史教科書における教科書検定に関する大事件を受けて、沖縄中が抵抗の嵐となった。これは、高等学校の日本史教科書の記述について、それ以前は認めていた記述を突然認めなくなったものである。具体的には、太平洋戦争の沖縄戦における住民の集団自決に関して、軍の強制や命令はなかったという立場を取り、もともとあった「軍の強制や命令」という趣旨の記述について、2007年に検定を通過した教科書で削除させたものである。これは、安倍政権に忖度をした結果であり、政治の影響を受けて間違った検定をしたという、あってはいけないことである。 
 
 文部科学省は一定の限度において、高校以下の学校の教育に関与する権限を持っている。これは、家永教科書裁判などで争われたことであるが、1976年の最高裁判所の判決によって、学習指導要領を大綱的基準として国が定めても構わないことになっており、教科書検定も必要最小限度の関与をすることは構わないということになっている。だからと言って、国家権力を傘に着て、教科書の内容や学校で教える教科書の過程を恣意的に捻じ曲げていいわけではない。学校で学ぶ各教科は、その背景に人類が積み重ねてきた膨大な学問体系があり、その学問体系は「学問の自由」の中で培われ、見出されてきたものである。教科書検定は、「各学問における世界の基準に照らしてその記述が妥当であるか」という観点で行われなければならない。文部科学大臣といえども恣意的な検定を行ってはいけないはずなのに、安倍政権に忖度したような間違った検定をしてしまった。 
 
 これにより沖縄は怒りの嵐になり、10万人を超える沖縄県民が大集会を開くこととなった。この事件があったからこそ、当時の翁長沖縄県知事は「イデオロギーよりもアイデンティティだ」として、国の考え方に対決する方向に転じた。これは政治が教育へ介入し、歴史改竄主義が教育にまで及んでしまった一つの例である。 
 
▽政治的中立とは何か 
 また、政治による教育への介入という点で別の事例を挙げると、公民館に関するものがある。さいたま市の公民館で活動していた俳句サークルが選んだ優秀な俳句の中に憲法9条に関するものがあった。「梅雨空に9条守れの女性デモ」という内容のものであるが、これが優秀な句として選ばれたため、「公民だより」に掲載されると思っていたところ、公民館が「政治的である」として掲載を拒否したものである。この場合は、裁判で俳句を作った原告側が勝ち、さいたま市が謝罪をするとともに、改めて公民館だよりに掲載することとなった。 
 
 この事例で、そもそも公民館はなぜ「公民館だよりに掲載しない」という判断をしたのであろうか。それは政治的中立性という言葉に怯えたからである。今の政権は、学校教育や社会教育、本来権力から離れて自由でなければならないはずのメディアに対しても政治的公平性や中立性を非常に強く求める。しかし、政治権力を持っている人たちが求める中立性とは、「自分たちを批判するな」ということであり、批判を封じるためのレトリックとして使っている。そのため、この言葉に乗ってはいけない。 
 公民館は、我々の社会の担い手である市民が集まり、自由に議論して勉強をするところであるから、そこでどんな意見が出てもいいはずである。それにも関わらず「こういう意見を言ってはいけない、発表してはいけない」などとすることは、運営責任者が公民館の命を殺すようなことを行ってしまったということである。これは、学校で行われている政治教育でも同じことが言えるが、政治的中立性を教師に求めるがために、結局「触らぬ神に祟りなし」とされ、「政治的な問題を扱わない方が安全だ」と学校も教師も考えてしまうというものである。 
 
 政治的中立性に怯えるということは、非常に危ないことで、今のメディアも公平性や中立性という言葉に半分飼いならされてしまっていると言ってもいい。本当の事を言っている人と嘘を言っている人を並べて、双方を同じ様に扱うことによって、中立・公平だと言っているようにしか見えない。本来メディアは本当の事を言っている人と嘘を言っている人を自らの責任で見抜かなければならないはずである。嘘を言っている人の言論を対等な言論であるかのように示すことは、本当の意味での公平性や中立性ではなく、そういう意味で今のメディアは非常に弱ってしまっていると感じる。 
(つづく) 


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