2019年06月18日10時16分掲載
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政治
前川喜平氏講演会「21世紀の平和教育と日本国憲法」<4>安倍政権はすでにファシズム化
この政治による教育への介入の一つの大きな表れが道徳教育である。日本会議系の政治家たちが異常に関心を示すのが歴史教育、道徳教育、性教育などの分野である。道徳教育に関しては、「道徳の教科化」ということが国家主義的な政治家たちのテーマとして、昔から存在をし続けてきた。これについては、森喜朗内閣の時の教育改革国民会議が道徳の教科化を打ち出し、第一次安倍政権時の教育再生会議も道徳の教科化を打ち出したが、いずれの内閣も短命であったため、実現には至らなかった。しかし、第二次安倍政権で教育再生実行会議というものができ、最初の提言の中で道徳の教科化を再度打ち出した。
▽「個と地球」が欠如した道徳教科書
その時の口実とされたのが「大津市中2いじめ自殺事件」で、「学校でのいじめが原因で学生が自殺に至るのは道徳教育ができていないからだ」という理屈で道徳の教科化を進めた。具体的には、国が指示した教科書を使い、子供たちがしっかり学んだか否かを成績として評価するというもので、これは戦前の修身課の復活を目論んだ者達の主張である。修身課を復活させろという主張は戦後もずっとくすぶっていたわけであるが、これが表舞台に出てきたわけである。これを文部科学省で引き取り、中央教育審議会で改めて議論し、その結果として教科化に至った。
しかし道徳は、国語や算数のような教科とは異なる。共通しているところは、「検定教科書を必ず使う」ということと、「生徒の学習成果を評価する」という点だけである。ただ、評価するといっても従来の国語や算数と同じような成績を付けるわけではない。道徳の学習成果を点数などで表すことはできないし、絶対的な尺度で到達点を図ることもできない。他の生徒と比較した上での相対的な評価も難しいため、道徳はこれまでの評価制度にはなじまない。そのため、「道徳を学ぶ前の生徒と学んだ後の生徒がどのように成長したか」という個人内評価を記述式で記載することになっている。
教師は、このような評価をさせられているが、40人ほどクラスの生徒がいた場合に、その40人が道徳の授業を受ける前と受けた後でどのように成長したかを個人ごとに評価することなど、できるはずがない。今、本屋に行くと、道徳の評価の例文集などを掲載したハウツー本があるようであるが、私は、教師はこれを使って当たり障りのないことを書いてあげればいいのではないかと思う。あえて要望を挙げれば、個々人の生徒のいい所を見つけてあげて、褒めてあげればいいと思う。
問題は道徳の教科書にある。個人の尊厳、自由、権利などの個人という観点が欠如し、国家という単位を超えた地球規模の視点が抜け落ちている。私はこれを、個人の尊厳と地球市民の意識が全く抜けているという意味で、「個と地球の欠如」と言っている。その代わりに所属する集団に対する忠誠心という観点から、「家族、学校、郷土、国などに対して忠誠心を持て」と言っている。滅私奉公の視点で、集団内のルールに疑問を持つことなく従えと言う考え方である。このような共通の規範に従うことを正しいこととし、子供たちを型にはめようとする考え方が非常に強く滲み出ている。
例えば小学校の教科者で実際に使われているものとして「次の内、礼儀正しい挨拶はどれか」というような問題がある。�,�はようございますと言いながらお辞儀をする、�△�はようございますと言ってからお辞儀をする、��お辞儀をしてからおはようございますと言う、この内正解はどれかというものだ。正解は、�△任△襪箸靴討い襪�、そもそも「おはようございます」という挨拶に正解と不正解があるはずがない。子供たちを型にはめていこうとする傾向が非常に強く表れている。こういう道徳教育が行う、日本会議系の人たちが作った今の教科書は非常に問題があり、危ないと思っている。
▽次の学習指導要領で「天皇に対する敬愛」?
道徳の学習指導要領の中には、父母及び祖父母に対して敬愛の念を持ちましょうと書いてあり、父親の系列に繋がる縦の血統を非常に大事にする。生命を大事にするというのも「縦の繋がりの中で自分の命がある」という考え方に基づいたものである。このように「そこに存在する父母や祖父母といった縦の血統の上位の者に対して敬愛の念を持て」としているが、実際の父母や祖父母の中には尊敬にも愛情にも値しない人たちがいる。虐待を行うような親もいるし、親のいない子供だっている。このような子供たちに対して、「親を敬おう」というようなことを道徳で教えていいのであろうか。私は道徳の教科は学校でやるべきことではなく、日本国憲法からまったく導き出されないものであると思っている。
私は、次の学習指導要領の改訂の際に、「天皇に対する敬愛の念を持て」という項目が加えられるのではないかと危惧している。日本会議の人たちの考え方を辿れば、必ずこのような項目を道徳に盛り込めと言うに決まっている。今の道徳の学習指導要領には、「天皇に対して敬愛の念を持て」と書いていないが、社会科の学習指導要領には書いてある。小学校の社会科で憲法について学ぶ単元の学習指導要領の記述の中に、「天皇に対する敬愛の念を深める」ということが書いてある。すでに社会科の学習指導要領には書いているのである。
本当は憲法の一条を読んでも、「国民が天皇に敬愛の念を持て」とはどこからも出てこない。主権の存する国民の総意に基づいて象徴としての天皇があるとは書いてあるが、それにより「国民が天皇を敬愛しろ」とは書かれていない。ところが、学習指導要領の憲法を学ぶ箇所には「天皇に対する敬愛の念を持て」と書いてある。
次に主張してくる可能性が高いのは、「社会科ですでに書いてあるのであるから、道徳の学習指導要領にも書け」と言うことである。「社会科の学習指導要領から道徳の学習指導要領に文字を写すだけでよいではないか」という主張をしてくる可能性が高いと思っている。このような文言が加わると、「君に忠、親に孝」が両輪として完成をしてしまう。
私は今の安倍政権は既にファシズムに入っていると思う。アメリカのホロコースト記念館という所にローレンス・ブリッドというファシズム研究者の「14のファシズムの初期症候」という言葉が掲げられているが、「強力な国家主義」はこの内の一つに該当する。他にも「人権の蔑視」「団結のための敵やスケープゴート作り」、「軍隊・軍事の最優先」、「性差別の蔓延」、「マスメディアの統制」、「国家安全保障への執着」、「宗教と支配層エリートの結束」、「企業の力の保護」、「労働者の抑圧または排除」、「知性と芸術の蔑視と抑圧」、「犯罪取り締まりと刑罰への執着」、「縁故主義と汚職の蔓延」、「不正な選挙」などの事柄がファシズムの症候とされるが、ほとんどが安倍政権に当てはまる。そのため、すでに安倍政権はファシズムに入っていると言える。
(つづく)
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