2019年06月18日20時08分掲載  無料記事
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アジア

後進性克服しえないNLD政治  野上俊明(のがみとしあき):哲学研究

  半世紀に及んだ軍部独裁政治がもたらした政治・社会意識の後進性が、いかに根深いかを教えてくれる二つの出来事がありました。それらを見ると、来年に総選挙をひかえ政治情勢が動き出す気配が感じられるものの、それがはたして変革につながるのかどうか危ぶまれるところです。 
 
  機ゥ后璽繊実臈領顧問が、20年間にわたって独裁政治の頂点に君臨し、他ならぬスーチー氏にその間自宅軟禁を強いた前の独裁者タンシュエ宛に、その娘婿の死去に対して、丁寧な自筆のお悔やみの手紙を出したことが、SNSで話題になっています(イラワジ紙6/17)。公的な存在である自分が個人的なレターを出すというやり方は、いかに自分に誠意があるかを示すのに最適な方法だとスーチー氏は考えているようです。この場合、誠意というのは、政権発足に当たってタンシュエと長時間密談し、タンシュエ一族の身の安全と国軍との融和を約束したことを忠実に履行するという意味です。 
 
   すでに民主主義の政治家としてのメッキは剥がれ落ち、国際政治の場では見向きもされないスーチー氏ですが、それにしても元独裁者に尻尾を振る様に驚きを禁じ得ません。元は付いていても、タンシュエがなお隠然たる影響力を国軍に対し持っていることの証左でもあります。タンシュエを介して、国軍に対し、自分がいかに無害な存在であるかをアッピールしたがっているように見えます。ロヒンギャ70万人が難民化し、バングラデッシュのキャンプ内では犯罪組織がうごめき、子供たちが危機にさらされているといいます。またラカイン州では政府軍とラカイン民族軍との戦闘が激化し、数万人の難民が生まれているといいます。国軍がこれら民族紛争や宗教的人種的迫害行為の実行者であることは、国連や国際NGOの調査活動で明らかになっています。まだロヒンギャの誰一人として正規に帰還した者はいないという現状のなかで、元独裁者に媚態を示すというのは一体どういう神経なのでしょうか。私は今日なお彼女を擁護しようとするミャンマー通の日本人がいることを残念に思います。そういう人は、ミャンマーの民主化運動をほんとうに支持していたわけではなく、スーチー氏の個人ファンだったにすぎないのです。 
 
   私は5,6年前からスーチー氏がフィリッピンのコラソン・アキノ元大統領のように無能で無力な存在になる可能性を指摘して来ました。その理由については再三再四述べてきましたので割愛しますが、しかしその予測すら甘かった印象を受けます。無能、無力どころか、国軍と共に悪をなす存在になる危険性すら感じます。来年の総選挙でNLDがどんな形であれ再び勝利すれば、その危険性はぐっと増すことでしょう――もちろんUSDPなどの国軍勢力が勝てばいいという意味ではありません。 
 
  供ゾさな出来事でも、それが国の大きなゆがみを映しだす場合があります。同じイラワジ紙によれば、スーチー氏が個人的に設立した慈善団体(財団)が、中国国営企業らから10万ドルの寄付を受け取った由。 
 
  この国営企業は、旧王都マンダレーから中国国境ムセを経由して、雲南省の昆明に至る鉄道建設のフィージビリティ・スタディに当たっている当事者だそうです。「一帯一路」計画の要をなす重要プロジェクトに携わる企業が、事実上の国家主席の個人団体に寄付をする――これは一種の贈賄的行為ではないでしょうか。ミャンマー側から見れば、スーチー氏は地位利用を行なってということでしょう。私腹を肥やすわけではなく、農業訓練センターという半ば公的な団体への寄付なのだから、目くじらを立てるなという向きもあるでしょう。しかし中国はミッソンダム建設を始め、ミャンマー国内で抵抗の大きい大規模プロジェクトをなんとか認めさせようと躍起になっています。そういうなかでは、昔風に言えば、「李下に冠を正さず」であるべきでしょうに、スーチー氏は好んで中国の軍門に下ろうとしているかに見えます。 
 
   ミャンマーはアメリカと並んでドネーション文化(慈善行為の盛んな風習)の国です。そのせいでスーチー氏も含め、普通なら怪しいとみなされる金も平気で受け取る傾向があります。仏教のお布施行為に由来するドネーション文化は、日本人も含め外国人からはミャンマーの特質文化として賛美されることが多いです。しかし私はこの10年間、ドネーション文化はこの国の民主化を妨げる障碍になっている側面があると主張して来ました。慈善行為がとかく人々の精神的依存心を強めることはもちろんですが、それ以上に問題なのは、88世代を含め多くの民主化運動の活動家が、社会制度の変革や確立のためにエスタブリッシュメントと闘うことを事実上放棄していることなのです。私も個人的に支援してきたある青年活動家―陸軍士官学校上がりの将校でしたが、軍を辞めて民主化運動に跳び込みました―は、釈放後は政治活動ではなく慈善活動に精を出すようになりました。基金を募り、農村の生活改善のために盛んに寄付を行なっています。もちろんそれ自体が悪いわけではないにしろ、農村に貧困をもたらしている社会構造そのものの改革には手をつけず、結果としての貧困状態に対処療法的に手当てしているにすぎないのです。税金もまともに納めず、利権で私腹を肥やしている寄生的階級は、温存されたままなのです。 
 
   かつて日本に滞在していたミャンマー青年が、帰国に際して私に「日本はすばらしい国です。税金を集めそれを財源にして社会保障や医療保障を制度として行なっていますね、これはミャンマーにはないものです、マネしなければいけませんね」と言いました。日本が素晴らしい国かどうかはさておき、見事ドネーション文化の負の側面を言い表しています。こういう認識が、福祉と医療の最先進国のイギリスで長く生活したはずのスーチー氏には欠けていることに驚くばかりです。 
 
   労働分配率を高め、勤労者階級の生活を向上させるーーそのためにはキャピタル・ゲインなどの不労所得にまずメスを入れる、これは日本でもミャンマーでも共通する「闘争」課題であることが分かります。 
 
 
野上俊明(のがみとしあき):哲学研究 
 
 
 
ちきゅう座から転載 


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