2019年06月22日10時52分掲載  無料記事
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政治

前川喜平氏講演会「21世紀の平和教育と日本国憲法」<7>国家主義的教育にどう対抗するか

 前川氏の講演をうけて、講師と出席者との間で質疑応答が交わされた。安倍政権が進める憲法無視の国家主義的教育に対抗して、21世紀のグローバルな正義と平和の実現に向けて日本国憲法の理念をいかしていける青少年を育てていくには、私たち市民が教育を専門家任せずにせずそれぞれの立場から積極的に発言、行動することの大切さが確認された。 
 
▽「戦前」の清算の不十分と戦後民主化の不徹底 
 大野(日刊ベリタ編集長):第二部を始めさせて頂きます。第一部では、国家権力による「教育」の扱われについて、その問題点を指摘頂くとともに、この問題点にどのように対抗してきかという部分をリアルにお話し頂いた。これを受けて、日刊ベリタを創刊し、現在同社の主筆を務める永井浩から前川氏に問題提起を含めた質問をして頂き、会場全体で討論を行っていきたい。 
 
 永井:私は、皆さんの質疑応答の口火を切る役割を務めたい。安倍政権が進めようとしている「平和憲法を破壊し、戦前回帰を目指すような動き」に対し、我々はなんとしても対抗をしていかなければならず、その「拠点」をどのように作るかということを考えていかなければならない。私は戦前生まれであるが、戦後の民主主義による平和教育を受けており、戦争の歴史についても学んできている。これまで、(戦争の歴史を伝える)平和教育が行われ続けてきたにも関わらず、なぜ現代では安倍政権により平和教育が踏みにじられるような事態に陥っているのか。原因として、「権力による横暴」という点が挙げられそうであるが、このような状況に「抵抗できなかった」という意味で、私たちにも反省すべき点がありそうである。そのような自己反省の視点に立ち、安倍政権に対抗する拠点を築くためにも、前川氏の考えを伺いたい。 
 
 前川:私は敗戦の時に、戦前の清算が不十分であったと感じている。ちゃんと全否定して新しく社会を作り変えていかなければならなかったところ、その全否定ができずに残ってしまったものがある。人間で言えば岸信介や中曽根康弘などがそうであるが、中曽根さんは回想録などでインドネシアにおいて慰安所を作ったと自ら言っており、岸信介さんも満州国を作っていた官僚である。アメリカの環境や冷戦などとも結びついているとは思うが、そういう人たちが残ってしまっていたことがドイツと違うところだと感じる。 
 
 戦後の10年ほどは文部省と日教組の仲が非常に良く、文部省も戦後の平和教育のために汗を流していたと思う。しかし、サンフランシスコ平和条約や岸政権などにより民主主義教育や人権教育が蔑ろにされ、より権力に従順な人間を育成する方向に変わっていってしまった。これは均質な労働力を生産して高度成長に資するという面があったのであろうが、学校が自分で考えずに上の言うことに従う人間を作るのに適した装置になり、民主化が不徹底なままになってしまったのではないかと感じる。学校の中では教師と生徒の間に強い権力関係が存在し、これが今でも残っており、教師による体罰や指導で学生が自殺する「指導死」が引き起こされている。学校の中に子供たちの個の尊厳を尊重せず、子供たちを人権の主体ではなく指導の客体としか見ないという問題が残っている。 
 
 また、地域社会の中でも全体主義的な側面が残ってしまっている。特に今の日本会議は、全国の神社が手足となって国家神道復活の方向を向いており、非常に問題がある。国家神道を清算しきれないまま、地域社会に根差して残ってしまっており、それぞれの地域の神社に初詣に行くと、知らない内に「憲法改正に賛成しましょう」などという署名をさせられる事態が起こっている。日本会議の草の根右翼運動が功を奏してしまい、日本の学校や社会に残ってしまったこのような「根」が増えてしまっている。この流れは1990年代の後半から始まっており、日本会議や「日本の前途と歴史教育考える若手議員の会」(現:日本の前途と歴史教育考える議員の会)ができたのも1990年代の後半である。このような動きがこの20年ほどの間で強くなっていると感じる。 
 
▽東京・世田谷区ののびのび教育 
 永井:そういう動きに対抗するような教育や地域社会での新しい動きが前川氏の目か 
ら見て期待できるものがあれば紹介してもらいたい。それからもう一点最後の質問であるが、こういう戦前回帰のような国家主義的な教育を進めていて、これからの日本は国際社会の中でどのようになっていくのであろうか。決して尊敬されるような国にはなり得ない。ますます孤立していくような状況について、どのような国家ビジョンを持って、今の政治家たちがどのように考えているのか見えてこないので、その点を解説して頂きたい。 
 
 前川:日本の公立学校は、どうしても国家主義・全体主義的な側面を残してしまっており、それがこの10年から20年の間でこれまで以上に強まっているように感じる。文部科学省では90年代に、一旦このような国家主義的な側面を改めように言っている。生徒を縛るのではなく、のびのびと学校生活ができるよう、生徒自身を関わせる形で校則を緩めように勧めていた。ところが、2006年の第一次安倍内閣時に提示された教育基本法改正案第6条の中にある「学校生活を営む上で必要な規律を重んじる」という文言が根拠となって、この10年ほどの間に、学校の規則がどんどん厳しくなり、学習規律を求める風潮が強まっている。 
 
 現在の小中学生とその親の世代の学校の状況を比べると、親世代の方が自由であったという世代間ギャップが生じている。学校がものすごく窮屈になってしまったことで、子供たちが学校に行きたくなくなり、不登校になる子供の割合が増加している。子供の絶対数 
が毎年減り続けているにも関わらず、不登校児童の絶対数は大体13万人くらいで推移している。私は、学校に行きたくないと思う子供たちの反応は、ある意味健全で当たり前のことなのではないかと思う。 
 
 今学校では、給食の時に話すことができない無言給食が増えているが、ご飯を食べる際に話してはいけないような学校に行きたくないと思うのは当然のことであり、そういった意味で、私はむしろ不登校の子供の方が正常で、学校に行き続けている子供の方が危ないのではないかと感じる。 
 
 最近では不登校の子に対して、学校以外の選択肢を与えようとする流れがあり、これはすごく歓迎すべきことであるが、本当は学校教育の場において子供たちがのびのびと自由に学べないといけない。学校教育をもっと問題にしなければならないが、上にいるのが安倍(晋三)さんであるうちは中々できない。そのため、はっきり言って政権交代がなされないと、学校教育の改善は難しい。 
 
 しかしながら、小中学校については市町村が設置していることもあり、市町村の取り組み次第では変わることができる。例えば、東京の世田谷区などではかなりのびのびとした教育ができており、「世田谷区立桜丘中学校」では校長が校則を全廃し、生徒自身に学校生活のルールを考えてもらうような取り組みを進めている。このよう取り組みが本来の民主教育であり、局地的にはそのような動きも見られる。しかし、全体として見るとはむしろ悪い方向に向かっていることから、このような民主的で自由な学校の在り方を追求しようとする灯を消さないようにしていくことが大事である。 
 
 このままでは、本当に危ないことが起こる。国家主義的・全体主義的な傾向は日本だけではなく世界各国で強まっており、核兵器を使用した第三次世界大戦が起こるとまではいえなくとも、今後世界のあちらこちらで軍事的な紛争が起こるのではなかろうか。軍事的な紛争とは、20世紀までの国と国との間によるものではなく、疎外された様々なグループが武力に訴えて争うような「テロリズム」が蔓延する社会になる危険性が高い。 
 
 日本はこれから事実上の移民が入ってきて多文化共生社会を作ろうとしているが、それが失敗するようなことがあれば、日本の中でホームグロウン・テロリストが生まれ、日本国内でテロを起こす可能性は十分に考えられる。20年後、30年後に日本のあちらこちらでテロが発生し、靖国神社が破壊されるようなことが起こるかもしれない。まあ、靖国神社は破壊されてもよいかもしれないが(笑)。このようなテロを力で押さえつけようとすれば、さらに状況が悪化するという負の連鎖が起こりうる。安倍さんのような人が継続して総理になり続ければそういうことが起こりうる。 
(つづく) 


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