2019年07月13日14時36分掲載  無料記事
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加藤晴久著「『ル・モンド』から世界を読む 2001ー2016」

  藤原書店から出版された加藤晴久著「『ル・モンド』から世界を読む 2001ー2016」はいろんなことを筆者に思い出させてくれた興味深い一冊です。本書はフランスの夕刊紙ル・モンド(Le Monde)の記事の切り抜きをもとにフランス文学者の加藤晴久東大名誉教授が時々の思いをつづる、というスタイルになっています。 
 
  まず興味深いのがここで取り上げられた時間が2001年というシンボリックな年号から始まっていることで、それはあの9・11同時多発テロが起きた年だということです。加藤氏も冒頭で、そのことから筆を起こしており、藤原書店の藤原社長が翌10月に加藤氏にこの問題をフランスメディアがどう分析しているか、同社の媒体に書いて欲しいと連絡してきたと記しています。このことが本書でつづられた一連の文章の起点になっていることです。米ソ二大陣営の時代からソ連崩壊を経て、世界が多極化していく転機であり、その時代の変化をフランスメディアを通して綴っていく、ということだと思いました。 
 
  実際にフランスメディアをのぞいてみると、アメリカのメディアでは知りえなかった様々な情報が盛りだくさんです。媒体ごとにカラーが違うのは当然としても、国や言語によって食い込めている世界とか文化圏が違う、ということが「ル・モンド」の記事を読めば見えてきます。さらには同じ事件を報じるにしても、その解釈が国や文化圏によってかなり違っているものです。日本国内のメジャー新聞だけ読んでいると、どのくらい世界の認識とずれができるか、その一端を知るきっかけにもなります(どの国の新聞も多かれ少なかれ、ずれています)。 
  偶然にも、9・11同時多発テロ事件をきっかけにニューヨークタイムズなど米メディアがイラク戦争に前のめりになっていったことが、筆者がフランスメディアへの注目を高めたきっかけでもありました。 
  イラク戦争、福島原発事故、シェールガス革命、中国の大国化、カタールの影響力、「ル・モンド」経営の変化、米発サブプライム恐慌、トルコの回顧、「アラブの春」、尖閣諸島の領土問題、国民戦線の拡大、習近平の中国、英語のラテン語化、第二次安倍政権、欧州連合の変化などなど、今からすれば懐かしく思える記事が少なくありません。しかし、筆者が読みそびれていた興味深い切り抜きもたくさんあります。大岡昇平の「俘虜記」の仏訳、日本の原子力ロビーのフランスでの報道、ハイジャックされた「アラブの春」、フィリップ・ポンス記者による日本の死刑や刑務所の実情、などなど。 
 
  ただ1つひっかかったのは2014年8月のフランスの内閣改造について。フランソワ・オランド大統領の社会党政権時代でしたが、確かに加藤教授が書いたように若く多様な人種を含んだ閣僚たちが登場しました。加藤教授はこの内閣改造を肯定的にとらえて書いたのだと思うのですが、この内閣こそが、今から振り返ると、社会党崩壊の引き金になってしまったということです。 
  マヌエル・ヴァルス首相はバルセロナ生まれの移民ですが、前内閣の内務大臣だった時からロマ(ジプシー)のキャンプを次々と解体し、ロマはフランスに統合できないと言ったことは衝撃でした。移民の中にも歴史や人種的な距離感によって一種のヒエラルキーが形成され、欧州の近隣からの移民とムスリム移民やロマなどの新参者との間にはフランス国内における立場でも大きな違いがあるように思われます。そして、このヴァルス首相がマクロン経済大臣やミリアム・エルコムリ労働大臣らと仕掛けた労働法の規制緩和がオランド大統領を誕生させる母体となった労働者の反発を呼び、社会党の崩壊へとつながっていったのです。 
 
  この本の終点である2016年3月はまさに労働法規制緩和への反対デモがパリを始め、各地で大々的に繰り広げられていた時です。本書の刊行日は2016年9月で、折しもその頃、この反対運動をきっかけに生まれた「立ち上がる夜」という運動も共和国広場から撤退して、一応終息した頃でした。こう書いたからと言って、本書や加藤教授を批判したいのではありません。ただ、こうしたことは時間が経過して後に振り返ってみると、新たなパースペクティブの中で改めて構図が浮き上がってくるものだと思うのです。 
 
  加藤教授が本書の筆を起こした2001年は筆者自身もル・モンドを読み始めた年で(日本の書店で週刊版を売っています)、そのきっかけが9・11同時多発テロ事件であることは偶然ではありません。その頃、フランスの代表的な知識人といってよかったのがピエール・ブルデューであり、加藤教授はブルデューの翻訳者であるとともに、ブルデューを2000年に日本に呼んで講演してもらっています。(その講演の起こしとDVDも藤原書店から出ています。「ピエール・ブルデュー来日記念講演2000―新しい社会運動--ネオ・リベラリズムと新しい支配形態」)その意味では英字紙だけでなく、フランスの新聞もできるだけ読む、あるいは他の外国語の新聞を読む、という潮流の形成には加藤教授の努力が大きく影響していると思います。世界が多極化している今、もう英字紙だけで世界がわかる時代ではなくなっているのです。当時、いち早くその方向に進むきっかけを作ってくださった加藤教授に感謝したいと思います。 
 
 
 
■「力の論理を超えて ル・モンド・ディプロマティーク 1998−2002」 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201106011331023 
 
■ル・モンド紙の横顔〜「ル・モンド」20年の変遷〜ル・モンド・ディプロマティークの掲載記事から 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201211040308140 
 
■黄色いベスト、立ち上がる夜、そして日本 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201901012250292 


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