2019年07月16日23時07分掲載  無料記事
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社会

私の昭和秘史(16) 昭和とはやはり妖怪の跋扈した時代だったのか  織田狂介

 本稿を書き始めた前後、まことに不思議なことに、まるで符節を合わせたかのように「大平洋戦争」もしくは「戦争」という命題への論議が活発となり、さらには国歌(君が代)と国旗の問題が、大きな社会的事件にまで発展しようとした。然し、いつしかこの論議も、いつもの通り、再びトコトンまで論じ合うに至らず、ウヤムヤになろうとしている。こうした風潮のなかで、私は野田正彰氏(比較文化精神医学の権威)の近著『戦争と罪責』のなかで、「戦争にかかわった世代が、侵略戦争の実態を否認している。そんな環境の中で失われのは、何が起きたのかを具体的に実証的に調べる姿勢である・・・」と指摘し、「今なすべきことは、本当のことを知っているという“事実”を戦争経験者に問いかけてみることである」といっていることが、私にとっては、非常に大事なことではないのかと思うのである。 
 
 そして、もうひとつ注目したいことは、ひところ若者たちに愛読された漫画『気分はもう戦争』の原作者である矢作俊彦氏がコメントしている—―「僕にいわせれば、太平洋戦争なんか、あれは戦争ではないですよ。レミング(註:新興宗教による狂気的行動)の集団自殺と同じですよ。日本にあったのは、国民を守らず天皇だけを守る、奇形の軍隊だった。なのに、そのわけを問い直す作業すら、この国では、いまだになされてませんよね・・・」(いずれも朝日新聞:平成11年3月20日付)という言葉がそれである。 
 
 この2つのコメントは、私たちにとって極めて重大な問題提起だと私は思うのである。こうした意見発表と前後して、評論家の野坂昭如氏もまたある週刊誌のコラムの中で、「今日のこのどうしようもない日本の世紀末的状況を糺していくことこそは、昭和初年に生まれた私たちのやらえんばならぬ締めくくりのひとつだ。なんでみんな黙っているのか・・・」と指摘していたが、まさにそのとおりだと思うのだ。 
 
 私たちにいわせれば、まさに「悪魔によって支配された時代」に生まれ育って、あの悲惨極まりない太平洋戦争の渦中に揉みくちゃにされ、降り注ぐ爆弾や焼夷弾によって家財を喪い、多くの人たちの無残な“死”を目撃した、あの現実が、どういうことから起こされ、そして終末を告げたのか――その根元的な事実をもっと厳しく、そして深く抉り取っていかぬ限り、実は私たちのこの祖国“日本”の再生などあり得ないのだということを、声高に叫びたかったからに他ならない。 
 そして、今この地球上の各地で展開されている、おぞましい“戦争”は、まるでテレビ映画や漫画などで描かれて喝采を博しているのと同じアングルで「自らは血を流さず、ボタン1つで遠方からミサイル攻撃し、なんの罪の意識もなく無雑作に人々を殺戮している」のである。まるで、これは子供たちの“戦争ごっこ”と同じ感覚で、空恐ろしい限りではないか。 
 私は、本稿冒頭に述べてきたとおり、日本の国としては、もっと恥ずべきあの太平洋戦争が、昭和天皇の“自らの意志”による決断として宣戦布告がなされ、さらには同じように戦争終結がなされたという、この事実にいいようのない憤りを痛感し、さらにはさかのぼって、あの2・26事件に蹶起した青年将校たちをウムをいわせず“銃殺” 
した経緯の中でも、同じように「自らの意志」によって、それが行われたという、この事実が公然として罷り通って、誰一人として疑問を抱かないという、この国の精神風土に我慢できないということを強調してきたつもりである。 
 
 そして、この「昭和の時代を悪魔たちの手で思うがままに支配されてしまった」元凶とでもいえる根元が、いわゆる近代日本の「立憲君主制」にあったことは、すでに多くの憲法学者や歴史研究家たちも指摘するところである。そして、生前の昭和天皇でさえもが、「私が自らの意志で国家の方針を決断したのは、生涯でたったの2回しかなかった」ことを容認されていることでもある。その第1回は例の2・26事件のときであり、第2回目が太平洋戦争終結のときであることは、すでに本論の冒頭で記述しておいたとおりである。 
 評論家の立花隆氏は、雑誌『文芸春秋』に連載している<私の東大論X>で、―東大国史科の「児島高徳抹殺論」の中で「大日本史や太平記は歴史史料たりうるのか」の論評で、・・・「公然たる論説考証ができない歴史学など、本当の歴史学ではない。(日本に)生まれたばかりの史学は(明治中期のころ)、ここにほとんど厄殺されるがごときうめきを見たといってよい。このような状況は、これ以後一層悪化し、歴史学は天皇制がかかわる問題にいっさいふれられなくなっていくのである」と鋭い指摘をしているが、これこそが、実に「昭和を悪魔の時代」にしてしまった根元なのであり、このことについては、『この国のかたち』の著書であり、昭和という時代のすぐれた語り部であった司馬遼太郎氏も、同じような批判を行っている。 
 
 そして、もう一人“ほんものの哲学者”として注目される学究・竹内芳郎氏(元国学院大学教授=討論塾主宰)が、次のように実に根元的な誤謬について指摘していることに注目したい。この論評は、『自分に出会う』と題する朝日新聞(平成11年4月13日付)でのコラムに書かれてある一文だが、私は共感を覚えた部分についてのみ引用していきたい。 
—―本稿の表題は、「自分と出会う」だが、私はここ十数年来、毎早朝、欠かさず道元流の只管打坐(しかんたざ)(ただし、ヨーガ流の呼吸法を加味)を行っているものの、まだ一度も「自分と出会った」ことなぞない。ヨーガの呼吸法によって得られるものが宇宙との一体感だとすれば、それはむしろ「死への準備」と言ってよく、そして死とは、個我を脱却して大宇宙に帰ること(だから墓なぞ愚劣)なのだ。 
 要するに実体としての「自分」とは、他人が私について彼の中に作る映像に過ぎず、私自身が実際に出会うものは、不断に「自分」を追い越えてゆく脱自ekstaseの運動のみ。「自己を習うとは自己を忘るるなり」とは言い得て妙。だが、さらに意味深長なのは、「自己を忘るるとは万法に証せらるるなり」との言。つまり、或る超越性原理の前での自己・他己双方の身心脱落。私は道元学者ではないので小うるさい理屈は抜きにして、あっさり「則天去私」と言っておこう。 
 通説によれば、漱石はわが国で最も徹底して近代的自我の確立に努めた人(「自己本位」)。しかも最後に到達した地点が、その自我を破却した彼方(かなた)での東洋的な悟りとしてのこの則天去私、というわけ。これが果たして漱石の実像に合った解釈か否かは別として、このような通路が明治以降の個性的な知識人の辿った典型的な道だったことは確かだ。 
 だが、この道は『ポスト・モダンと天皇教の現在』で詳論した通り、必ず「天皇教」の泥沼へと導くものであり、そしてこの国で天皇教への何の抗体も作らぬ思想など、どんなスマートさや深遠さを装っても、何ら思想の名に値せぬ屁(へ)のようなもの。別の道はないものか。その模索が『討論塾』設立約10年間の私の苦闘だった。 
 私の言う討論discussionとは、真理つまり超越性原理への恭順を前提とし、その前での自己・他己双方の私心なき相対化であり、仏教を含む全世界の普遍宗教が必ず具(そな)えていたあの則天去私的態度の世俗化、ただし、それに伴う不(ふ)立(りゅう)文字から明示性言語への転換だ。 
 それは文部省(この欺瞞(ぎまん)に満ちた破廉恥で反教育的な機関)が推奨し各大学の雄弁会や国際競争をめざす一部企業が推進しているあのdebateとは全く異なる。後者は、ソクラテス段階に立つ前者から見れば、黒と白と言いくるめてまで相手に勝とうするソフィスト段階の討論でしかなく、事実、これを行っている所は大抵、右翼イデオロギーや企業利己主義の泥沼にはまっている。これに反して私の則天去私的討論は、天皇教出自の「和」の精神、仲良しクラブ、集団同調、腹芸、沈黙と察しの文化を己れの敵対物として、そこからどこまで脱却できているかを討論遂行の鍵とする。だが、これは禅とは逆の手段に訴えながら禅の修行と変わりなく、いかに至難の業か! 
 実際、今年半ばに三元社から出版予定の全討論記録を見て下さればお解りの通り、ここ十年間の討論集積の歴史は、同時にまた討論挫折の歴史でもあった。私は8年程前テレビで、独特の教育で有名なフランスのフレイネ学園の幼稚園児が「僕たちは討論やってるから喧嘩しないですむんだ」と語っているのを見て、息を呑んだ。日本ではまるで逆。討論すれば学者を含め、また政治上の天皇制反対論客さえ含めて、大抵は喧嘩にゆき着く。喧嘩したくなければ討論自体を避け、異論をおし殺して「和」の支配に身を委ねる他はないのだ。何と言論の空(むな)しい国!天皇教的精神風土の中に討論を樹立する営為は、所詮は蟷螂(とうろう)の斧(おの)。私の力に余る難事業かもしれない。(以上原文のまま) 
 
 
 海軍14期飛行予備学生の遺書的日誌のなかで、安達特攻隊員は、いみじくも私と同じように「昭和は妖怪の時代」であると喝破していたように、この大戦末期「死に急いだもの」も、はたまた「死におくれた者も」、その心の片隅で、ひそかにそんな怪しげな予感を感じ取っていたということであろう。まず私が、何をさておいても申し述べたいことは、やはりどう考えてみても、どう解説し、どのような弁解しようとしても、やはりこの「大平洋戦争」が決して“正義”のために展開されたものではなかったという、厳粛たる事実についてである。 
 そして、もうひとつには、この戦争が、まぎれもなく「立憲君主国・大日本帝国」の総帥である昭和天皇“自らの意志”によって「戦争が布告され」同じように「戦争が経結された」ということについて、このさい、もっと明確にケジメをつけておくべきではないかということである。「昭和の妖怪たち」は、なんとかしてこの事実の明確なケジメをつけることから逃れ、「昭和天皇(つまりは国体維持)を安全地帯の中に囲まうことによって、己れたちもまた卑劣な延命を図ったという事実についてである。 
 このことは、かってのあの『2・26事件』のときにも、あからさまに公然と行われ、昭和天皇と「この体制を維持してきた一握りの重臣と称する特権階級」との、なんともいえぬ嫌悪すべき相関関係を、私たちはみることができるはずなのである。 
 
≪プロフィール> 
織田狂介 本名:小野田修二 1928−2000 
『萬朝報』記者から、『政界ジープ』記者を経て『月刊ペン』編集長。フリージャーナリストとして、ロッキード事件をスクープ。著書に、「無法の判決 ドキュメント小説 実録・駿河銀行事件」(親和協会事業部)・「銀行の陰謀」(日新報道)・「商社の陰謀」(日新報道)・「ドキュメント総会屋」(大陸書房)・「広告王国」(大陸書房)などがある。 


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