2019年07月29日23時24分掲載  無料記事
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コラム

選挙が済んだら、デモに行こう  Bark at Illusions

7月21日に行われた参議院選挙は、議席の過半数を獲得した与党の勝利で終わった。しかし選挙が終わったからと言って、市民の政治的役割が終わるわけではない。市民は選挙以外にも、デモや座り込みなどによる直接行動などで政治に参加することができる。選挙だけでは政治や社会は変えられない。市民の声を政治に反映させるためには、むしろデモなどによる直接行動が効果的だ。6月に注目を浴びた香港の抗議デモもそのことを示している。 
 
マスメディアの中には香港で繰り広げられている政府への抗議デモについて、香港では民意を政治に反映する仕組みが不十分であるが故に、デモが民意を表明する手段になるのだと説明して、民主的な社会では意思表示手段としてのデモの重要性が低下するかのような捉え方をしているものがある。例えば日本経済新聞(19/6/19)社説は、香港では5年前に「普通選挙」の導入を求めた雨傘運動が挫折に追い込まれたことを紹介した上で、 
 
「香港では立法会(議会)を含め民意を直接、政治に反映する仕組みが依然、不十分なままである。だからこそデモが民意表明の有力手段になる。中国と香港政府は、今回の教訓を生かし、民意を正確に取り込める新たな政治システムを有権者と一緒に検討してはどうか」 
 
と主張している。朝日新聞(19/7/3)社説も、 
 
「民主的な選挙制度がない香港で、人々の意思の表明はデモなどの方法に限られる。今回の条例問題を通じて、こうした香港の統治システムの限界や、人々の不満が浮き彫りになった」 
 
と述べて、香港には「民意を十分に取り入れることのできる統治システムづくり必要だ」と訴えている。 
しかし抗議デモなどによる直接行動は、民主的な社会においても、その重要性は変わらない。例に挙げた2本の社説は、いずれも香港で民主的な選挙が行われていないことを特に問題にしているが、どんなに民主的な選挙が行われていたとしても、市民が次の選挙まで意思表示ができないというのでは、民主的な政治が行われているとは言えない。そしてデモは民主的な社会ではより一層、民意を政治に反映させる手段として有効なものになる。非民主的な国家でも国際社会の目を気にする必要はあるが、民主的な国家と言われている国では国家権力があからさまな暴力行使や情報統制をすることができないため、市民は非民主的な国よりも自由で効果的にデモを行うことができる。 
 
ただし民主的な社会と言うと、日本や欧米などが思い浮かぶが、そうした国々でも本当に民主的な政治システムが機能しているかどうかについては疑問だ。例えば日本の場合、市民の政治参加としてマスメディアが重視する選挙を例に取ってみても、本当に民主的な制度であるとは言えない。立候補するのに何百万円もの供託金が必要で、大金を拠出して立候補しても、政党要件を満たしていない等の理由でマスメディアにほとんど相手にされない。本当に民主的な政治システムを構築するためには、放送や通信なども民主化されなければならないが、資本主義社会では難しいだろう。 
 
市民による直接行動は、民主的な社会か否かに関わらず、世界中で政治や社会を変えてきた。例えば、若者を中心に世界に広まった1960年代の社会運動は、ベトナムを侵略していた米国に撤退を余儀なくさせ、その後の環境運動やフェミニスト運動、反核運動などにも影響を与えた。韓国でパク・クネ政権を退陣に追い込んだ「ろうそく革命」は記憶に新しい。昨年11月から続くフランスの「黄色いベスト運動」と呼ばれる政府への抗議行動は、不十分とはいえ、マクロン政権から最低賃金引き上げなど一定の譲歩を勝ち取っている。そして香港では200万人がデモに参加して、市民にとって悪名高い「逃亡犯条例」の改定案を事実上の廃案に追い込んだ。日本でも、古くは明治時代、藩閥政治(薩長など特定の藩出身者による寡頭政治)や陸軍・官僚の横暴、増税を批判する運動が展開され、数万人の民衆が議会を包囲して桂太郎内閣を退陣に追い込んだ。60年安保闘争では、日米安全保障条約改定に反対する世論を無視して自民党が新安保条約案を強行採決すると、数十万人のデモが国会を連日包囲し、労働者が全国統一ストを実施して岸内閣を退陣に追い込んだ。最近では、原発に反対する抗議行動が、安倍政権の時代遅れで危険な原子力政策にブレーキをかける上で一定の成果を上げている。 
政府の誤った政策を正すためにも、自分たちの意見を政治や社会に反映させるためにも、直接行動による異議申し立ては欠かせない。 
 
市民の圧力で政治を変えることは、現在の日本でも可能だ。東京で行われたリオデジャネイロ五輪の凱旋パレードでは、お目当ての選手とは言え、会ったこともない人に声援を送るために80万人が平日の昼間に集まった。自分たちの生活に直接かかわりのある消費税や社会保障、平和、憲法などの問題について、東京でも香港と同じように100万人規模のデモを行うことは物理的に不可能ではない。 
 
東京に100万人集まれば、政治は、社会は、変えれるんや。 


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