2019年08月22日16時21分掲載  無料記事
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アフリカ

【西サハラ最新情報】  勇気ある国会議員の西サハラ勉強会

 馳浩衆議院議員・元文部科学大臣殿が8月20日のブログで、「16時00分、西サハラ問題についての勉強会」と、記されました。 筆者は勉強会に呼ばれ、SJJAの心強い仲間である吉田さんとアレックスに同行していただき、まず義家弘介議員の事務所にお伺いしました。 そして、お借りする義家議員のパソコンを手にされた佐々木秘書や義家議員と共に馳浩議員の事務所をお訪ねしました。 体調を崩されていた柿沢未途衆議院議員も駆けつけてくださり、馳浩元・文部科学大臣の気配りに溢れた進行で、フレンドリーな雰囲気のなか、勉強会が始まりました。 
 3月に<国会議員の勉強会>を提案され、長らくその機会を模索されてきた義家弘介議員のご努力が、TICAD7アフリカ開発会議を一週間前にして、実りました! 
 
2019年8月20日午後4時の勉強会: 
 まず最初に筆者は、アフリカ最後の植民地・西サハラの概要を紹介させていただいた。 
「国連が植民地と指定した西サハラは、アフリカ大陸の西北端にあり、日本本州の1・1倍の広さで、モロッコが造った約600万個の<砂の壁・地雷防御壁>で縦断されている。地雷防御壁の西側4/5をモロッコが占領支配し、1/5を西サハラ難民政府が解放している。1975年にモロッコ軍とモーリタニア軍に銃で追われた西サハラ住民は、アルジェリアに逃げ込み、以来44年間難民生活を強いられてきた。現在難民は20万に膨れ上がり、占領地に約10万の西サハラ被占領民が残され、一方モロッコは15万のモロッコ入植者と16万のモロッコ兵を送り込んでいる。そして、1975年からモロッコ正規軍を相手に西サハラ難民軍は砂漠消耗戦争に突入していく」と、ざっくりと、西サハラの地理と歴史を語った。 
 さらに筆者は、「1991年に国連が国連西サハラ人民投票を提案し、モロッコと西サハラは16年砂漠戦争を終結させた。国連安保理はミヌルソMINURSO(国連西サハラ人民投票)国連PKOを設定した。一連の停戦草案に、ジョン・ボルトン現米国家安全保障補佐官が関わっていた。その後、西サハラ砂漠に石油・天然ガス・ウランなどの地下資源が確認され、人民投票では西サハラ領土を失うと判断したモロッコは、西サハラ人民投票妨害に拍車をかけた」と、国連西サハラ人民投票の事次第を話した。 
 そして、「1997年、ジェームス・ベーカー元米国務長官が国連西サハラ事務総長個人特使に任命され、ジョン・ボルトンと国連西サハラ人民投票実施に向け行動を開始した」と、前置きをし、<人民投票(2018年作)>の記録映像を義家弘介議員のパソコンで見ていただいた。 
 
➁勉強会のテーマ、<どうなる国連西サハラ人民投票>? 
 <人民投票>の記録映像が示すように、1998年、確かに国連西サハラ事務総長個人特使ジェームス・ベーカー元米国務長官とジョン・ボルトン現米国家安全保障補佐官は、2002年までミヌルソMINURSO国連西サハラ人民投票監視団を駆使し、国連西サハラ人民投票の実現に向けて努力を続けた。が、結局、モロッコの反対で実現せず、西サハラ人認定作業用紙から本番の投票用紙に至るまで、ミヌルソの金庫に眠ることになってしまう。国際社会が西サハラのことなど忘れ去っていく中で、一人ジョンボルト・ボルトン米国家安全保障補佐官だけは、しつこく国連西サハラ人民投票の実現を目指していく。2005年に米国連大使に就任した時、「大使として、最初にやりたいことは国連西サハラ人民投票だ」と、宣言したが、一年半で辞任に追い込まれてしまう。2007年になるとモロッコは国連西サハラ人民投票を完全に拒否し、モロッコ領土内での地方自治案を振りかざしてモロッコ地図から西サハラを、名前もろとも抹殺してしまう。そして2012年からは、国連主催の交渉の席にも着かなくなってしまう。2017年、アントニオ・グテーレス元UNHCR国連難民高等弁務官が新国連事務総長に就任し、ホルスト・ケーラー元ドイツ大統領を国連事務総長個人特使に任命する。ホルスト・ケーラー国連事務総長個人特使は、長年交渉を拒否し続けてきたモロッコを、やっと、2018年12月5日と6日に、交渉の席に戻した。2019年3月21日と22日には第2回目の交渉をやり、8月には第3回目の交渉が行われる予定だった。ところが、5月22日、グテーレス国連事務総長との電話でホルスト・ケーラー国連事務総長個人特使は、突然、辞任に追い込まれる。どこまでも不運に付き纏われる西サハラの人々、、誰が悪いかって?国連が、約束した西サハラ国連人民投票を28年間も実施しない国連が、悪い! 
 「27年(現在28年)前に、国連西サハラ人民投票は行われるはずだった。が、人民投票監視団は何もしないまま、ヌクヌクと現存している。こんな事が許されていいのだろうか、、、私は、ず〜と、西サハラの人々に想いを馳せてきました」とは、しつこいジョン・ボルトン米国家安全保障補佐官が、2018年12月13日、米ヘリテージ財団の講演で語った言葉です。 
 
➂勇気ある3人の国会議員: 
 西サハラ勉強会は、元文部科学大臣馳浩衆議院議員と元文部科学副大臣義家弘介衆議院議員と柿沢未途衆議院議員のお三方を中心に、活発な意見交換で盛り上がった。 
 まず、8月28日から30日にかけて横浜で開催されるTICAD7に、正式招待されていない西サハラは参加するのか?、参加した場合、不測の事態が起こるのか?起こった時、どう対応すべきか?などなど、、様々な意見が出された。西サハラ難民大統領自らがTICAD7に参加するという噂がある中、実際のところ西サハラの人々と横浜で会わない限り行動に踏み切れない。しかし、TICAD7は三日で終わっても、西サハラ問題は終わらないのだ。 
 勇気ある3人の国会議員の目は、その先に向けられていた。2014年1月8日に西サハラ難民キャンプを訪問された柿沢未途議員が、「文部科学大臣と文部科学副大臣がおられるので、2020年東京オリンピックに難民選手団の一員として西サハラ難民を呼ぶというアイデイアはどうだろうか?」と、提案された。「いい案だ!」と、さすが、東京オリンピックを仕切る文部科学大臣と文部科学副大臣の反応は速かった。 
 頓挫している西サハラ議連のことも話題に上り、西サハラ勉強会は未来への夢をいっぱいに膨らませて終わった。 
 お三方の優しい想いは、必ずや地球の裏側にある西サハラの人々に届くものと信じております。 
 
 前向きで良い計画には、必ず、やっかみが絡みついた妨害が入ります。 日本の妨害もさることながら、モロッコの妨害は、道理にかなった良いものであればあるほど、しつこく始末に悪いものです。 しつこいジョン・ボルトンさん、負けないでください! 
 
 
勉強会でご紹介したYoutube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)をご案内。 
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc 
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU 
 
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。 
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo 
「Last Colony in Africa]  英語版URL:  https://youtu.be/au5p6mxvheo 
 
 
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之     2019年8月22日 
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子 


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