2019年10月09日13時20分掲載  無料記事
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アミン・マアルーフ著「アイデンティティが人を殺す」(小野正嗣訳) ”Les identités meurtrières”(Amin Maalouf) 

  ちくま学芸文庫から出版された「アイデンティティが人を殺す」は来年の東京五輪に向かって動いている今、多くの人に読まれる価値のある本です。なぜなら、東京五輪では必ず日本人のナショナルアイデンティティのイメージがTVでも新聞でも書物でも氾濫するであろうからです。アミン・マアルーフ著「アイデンティティが人を殺す」は現代の人間にとってアイデンティティの実像がどうなっているか、通念に対して再考を促すものです。アイデンティティは「日本人」のような国家をシンボルにしたたった1つだけでなく、宗教・性・言語・文化・歴史・地域社会といった様々な要素もアイデンティティを形成しており、その組み合わせは千差万別で、同じアイデンティティの人間と言う考え方は妄想に過ぎない、と言うのです。さらに、時代とともに刻々とそうしたアイデンティティは変化するとも指摘しています。 
 
  こういう著者のアミン・マアルーフ氏は中東・アラブのレバノンで生まれながらキリスト教徒であり、さらにフランスに渡ってフランス語を使って生きるようになったことから、様々な帰属の複合がアミン・マアルーフという人間を作っていると述べています。そのどれか1つに絞れ、という要求こそ人を殺すのだ、というわけです。そして、それが一人一人全員が異なっていることの中にこそ真の豊かさがある、と考えるのです。だからこそ、新しいアイデンティティの思想が求められているのだ、とマアルーフ氏は言います。 
 
  しかし、東京五輪のような国家的なイベントは常に人間のアイデンティティを単一化させ、固定化させる装置として使われてきました。(今、NHKが予算を作って恐らく最も力を入れているものが東京五輪をめぐる番組です)これは人間のアイデンティティの問題にこだわった作家の安倍公房が最も警戒したものです。もし安倍公房が生きていたなら、今、この国が前のめりになっているような東京五輪こそ、ファシズムの象徴的な式典だと批判したであろうと思います。今、貧困で不安定で帰属先が不確かだと感じる労働者が増えれば増えるほど、ナショナルアイデンティティのもとに帰属させようと支配する側は考えているのです。ナチスも戦前の日本も世界恐慌の中で不安を感じた人々を動員するのにナショナルアイデンティティを利用したことを忘れてはいけないと思います。ナショナルアイデンティティの裏側には産業界の要求が潜んでいるのです。 
 
  昨今、このアイデンティティが最も鋭く世界で問われているのが移民のことですが、特にフランスではイスラム教徒の移民とテロのことが過去数年、話題になってきました。この問題に対して、マアルーフ氏はどう述べています。 
 
  「ここでも鍵となる言葉は相互性です。私が受け入れ国に従い、ここが自分の国なのだと考えるなら、この国がこれからは自分の一部であり自分もまたこの国の一部であると思って行動するなら、そのとき私には、この国のさまざまな側面のそれぞれを批判する権利があるのです。同じように、もしこの国が私を尊重し、私のもたらすものを受け入れてくれるなら、私の特性を認め、私のことを自分の一部と見なしてくれるなら、そのときこの国には、その生活様式とか諸制度を支える精神と両立できないような、私の文化の側面を拒否する権利があるのです」 
 
  こうした言葉の背景には、イスラム主義の広がりがありますが、なぜこの50年来、イスラム主義が広がっているかについてのマアルーフ氏の考えも非常に興味深いものでした。やはりなかなか日本にいると見えてこない部分です。日本における極右運動もこのイスラム主義に関する運動と通底するところがあります。 
 
  「アイデンティティが人を殺す」は新しいアイデンティティを考えるヒントが詰め込まれていう瞠目の書です。さらに、言語をどう考えるか、という点でも非常に大きな刺激がありました。欧州を例に挙げると、アミン・マアルーフ氏は母語(フランス語とかドイツ語)と、英語との間に第三の言語を習得した方がよい、と言っています。筆者は「ニュースの三角測量」などと言って、日本語と英語のほかにもう1か国語で書かれた新聞を読むべきだと言ってきましたが、マアルーフ氏の考えは筆者の考えと少し違っていました。欧州連合という枠の中で自国の言語と英語以外に、もう1か国語が必要だという場合、たとえばフランス人の場合ならば、イタリア語とかドイツ語などの隣国の言葉を理解した方がいいのではないか、と言っているのです。これはアイデンティティにこだわったマアルーフ氏ならではの着想として興味深く思われました。日本で言えば、日本語と英語のほかにもう1か国語を考えるなら韓国語とか中国語をやった方がよい、ということになるのかもしれません。このことはアイデンティティをより現実化し、より複数の帰属先を持たせるための仕掛けでしょう。というのは仮にその人が民族的には日本人だとしても、文化的に隣国の影響を受けていることにもよります。 
 
 
 
※Euronews - Interview - Amin Maalouf(Euronews) 
https://www.youtube.com/watch?v=kagjl0uBxX4 
 
※Amin MAALOUF : "La Francophonie contre l'intolerance"(linvite) 
https://www.youtube.com/watch?v=yNYBar4VEPE 
 
※アミン・マールーフ 作家 1949〜 
 1993年、「タニオスの山」でゴンクール賞を受賞。「アラブが見た十字軍」「サマルカンド年代記」などの著書もある。 
 
※小野正嗣 作家 早稲田大学教授。1970〜 
  「森のはずれで」「九年前の祈り」「水死人の帰還」などの 
  著作がある。 
 
 
 
村上良太 
 
 
 
■フアン・ルルフォ著 「ペドロ・パラモ」 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201108312155013 
 
■ニュースの三角測量 その2 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201612151601554 


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