2019年10月13日19時06分掲載  無料記事
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政治

放送業と新聞業の分離を 放送を捨てることで新聞の価値はむしろ高まる

  日本の情報は読売新聞→日本テレビ、朝日新聞→テレビ朝日、日経新聞→テレビ東京というように、経済的に株式関係があり、人材の交流があり、テレビのコンテンツが新聞社の情報および人材に大きな影響を受けています。そして、新聞社の幹部が官邸からの指令を受け入れたり忖度したりすれば、新聞だけでなく、テレビもまたその指令のもとに置かれます。このように日本の系列関係は権力による統制が極めて楽な構造になっています。そして、同時にそのことがテレビと新聞が互いに批判しあえない、利権を同じくする仲間同士になっています。しかも、新聞社や放送局の系列の違いを超えて、同じ大学の学友たちで横につながっていて、仲間同士守りあっています。 
 
  こうした構造が風通しの悪い情報環境を作り出しているために、その外部に無数のインターネット媒体を作り出しています。しかし、インターネット媒体の影響力はおそらく100分の1に満たないでしょう。今後のことを考えれば、放送局の管理を総務省から独立組織に移行することが前提となりますが、放送局と新聞社が株式関係を持つことを禁止したらどうでしょうか? そうすることで放送局は独自に情報を得る必要がありますが、同時により自由にコンテンツを作ることが可能になります。 
 
  新聞社も放送局も、今後は影響力が低下し、もっと規模が縮小するはずです。規模が小さくなるのを+にするには、どうするか、ということを考えると、それぞれ特色のある情報を磨いていった方がはるかに活性化できると思います。もう若い人はテレビも新聞もアクセスしなくなりつつあります。このままじり貧を続けるのでなく、今のうちに次代の新聞と放送を描くべき時です。今、なんとなく右とか左、という政治的な色分けがなされますが、もっと異なる放送の特徴もありえると思います。新聞と放送が分かれた方が、新聞の価値も高まると思えます。いったい何のために新聞社は貴重な情報をテレビ局にタダ同然で分け与えるのでしょうか?新聞社は最近、記者会見の全記録などの映像コンテンツを作るようになりましたが、ある意味で放送局のニュースよりも貴重な映像になりつつあります。キャスターの司会や解説などなくても現場のリアリティをノーナレーションでじっくり見ることができ、むしろ今の視聴者はそれを面白がっています。もし解説が欲しかったらTVを見ないで「新聞を買って」、と言えばよいのです。 
 
  新聞と放送の株式関係が風通しの悪いメディア業界を作っているのです。もし互いに独立したら、放送局ではもっと専門知識を持ったディレクターやスタッフが必要になります。それは放送局の人材が豊かになることであり、知識産業としては画期的な進歩です。同じ政治記者でも、放送と新聞では表現が異なるために、分離した方がもっとそれぞれの特性を高められるはずです。そして互いにもたれあうのではなく、競争し、批判しあい、切磋琢磨できる関係になれます。どのような知識をどのような表現で提供できるのか、そこが将来の放送局の価値を作り出すのです。新聞社が「上」で放送局が「下」という序列意識も捨てる時です。もう百貨店のようななんでもそろえた放送はかつてのダイエーの危機と同じで、「一見なんでもあるけど本当に欲しいものがない」という形で、必ず放送局を危機に追い込むはずです。百貨店である日本の新聞の映像版みたいな立ち位置は捨てる時です。視点を1つ変えると、今の放送産業は横並びで情報も重複し、無駄なものが大量に存在してそこに多くのリソースを割いています。このことは新聞にも当てはまります。 


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