2020年01月28日01時54分掲載  無料記事
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高橋康也著「道化の文学 〜ルネサンスの栄光〜」

  本書は道化論ですが、著者の高橋氏が書いている通り、道化一般についての論ではなく、文学に現れる道化に限った文学論として書かれています。登場する道化はエラスムスの描いた「痴愚神」、ラブレーの「パンタグリュエル」、シェイクスピアの「フォールスタッフ」「フェステ」、セルバンテスの「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」など。タイトルにあるように、道化の文学が最も輝いた全盛期はルネサンスの時代であり、人文主義作家のエラスムスやラブレーらによって開拓された道化文学が、やがて劇作家のシェイクスピアや小説家のセルバンテスらによってその頂点が築かれたとされます。『道化の文学 〜ルネサンスの栄光〜』が興味深いのは、道化に関する考察だけでなく、道化の文学が成り立つ時代背景を描いていることです。 
 
  高橋氏はバフチーンのカーニバル論などについて語りながら、中世にはすでに道化が活躍する豊饒な空間があった、としていますが、道化が文学世界で飛躍するためにはもうひとひねり必要だったと言うのです。 
 
 「中世民衆文化の笑いは、いかに豊かなものであったとしても、そのままではルネサンスの『典型』としての『道化』を生み出すことはできなかったであろう。単に健康で旺盛な『生』の衝動としての笑いにとどまらず、『死』と『虚無』を見つめてその恐怖をしなやかに内面化した複雑なアイロニーが『道化』として結晶するためには、中世世界の崩壊という否定的契機が必要であった。『死の舞踏』の画題の流行は、まさしくそうした契機が存在したことを示すものであった」(『「道化の文学 〜ルネサンスの栄光〜』) 
 
  本書で描かれているのは、道化の文学がその頂点をなすには、アイロニーが必要であり、まさに皮肉にも道化が輝くことができた中世が終焉しようという過渡期であった、というのが高橋氏の認識です。道化の典型が生まれるためには「中世世界の崩壊という否定的契機が必要であった」というのは興味深い指摘です。 
 
  しかしながら、ルネサンスは近代への過渡期でもあった、というところに道化の時代のはかなさもあります。ルネサンスは寛容の時代であり、一方、近代はその寛容さを失ったのだ、と。 
 
 「ルネサンスの輝かしい『道化の文学』が、いわば下部構造として、エリザベス朝のベドラムや『トム・オ・ベドラム』に対するような社会的寛容を踏まえていたとすれば、狂気に対する社会的態度が大きく変り、<>の複合体が分解したとき、『道化の文学』の存立もまた危うくなるのは必然的だろう。もし本書のヒーローである道化たちが17世紀後半に生き返ったとしたら、まちがいなく一網打尽、『大いなる閉じ込め』によって監禁されたに違いない。彼らはもはや『道化』としての存在を認められず、『狂人』『貧困者』『無用者』の烙印を押されて、経済的・社会的・文化的に隔離されなければならなかっただろう」(同上) 
 
  ここでミシェル・フーコーの「狂気の歴史」などが語られますが、近代になって狂人が監禁される時代が幕を開けた。中世の道化が解放されていた時代が幕を閉じたのです。そして、その後、文学における道化の替わりはどうなったかと言えば悪漢文学というジャンルの「ピカロ」にとって代わられたのだ、と。無垢な存在ともいえる道化は近代を生き延びることができず、悪漢としていわば常識に抗する存在として生きていくことになったと言うのです。アウトローと言ってもよいのでしょう。 
 
  一つ確かなことはルネサンスが終わり、道化が社会から消えたとしても、道化の文学は今日も生きており、健在だと言うことです。その存在価値は何か、と言えば、監禁されたかのようなアウトサイダーの人々が表に出てくるための起爆剤であろう、ということだと思います。バフチーンが描いたように、中世の祭りにおいては価値が逆転して、世俗的な支配者が支配される、たとえ祭りの一夜であっても、そのような精神が当時はあったと言います。だからこそ、人々は蘇り、生きる力をその源泉から汲み取ることができたのでしょう。今日はあらゆる形で、お祭りや創造世界ですら、そうした逆転が禁じられたかのようです。今年、東京五輪の年ですが一向にわくわくしないのは、そこでなんら価値の逆転が起こりえないことを知っているからです。商業主義と政治家の思惑が先行する国家的なイベントであり、そこには中世のカーニバル、あるいは無礼講に通じるものはみじんもないであろうと思うのです。 
 
 
村上良太 


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