2020年04月09日23時31分掲載  無料記事
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慎改康之著「フーコーの言説 <自分自身>であり続けないために」

  朝日出版社から出ているミシェル・フーコー+渡辺守章著「哲学の舞台」をフーコー入門には良いと先日書いたところですが、筑摩書房が2019年1月に出版した慎改康之(しんかいやすゆき)著「フーコーの言説 <自分自身>であり続けないために」は、入門編を一歩くぐって少しフーコーに親しんだ人にさらなる奥地へと案内してくれる最良の案内人となるでしょう。 
 
  副題の「<自分自身>であり続けないために」を見ると、多くの人が「なんだそれ?」と思いそうですが、主体から解放されるための思索を必死で続けてきたフーコーの核心と言ってよい象徴的な言葉です。2年前に21世紀におけるフーコーの読み直しを狙ったシンポジウムが日仏会館で行われ、フランスから2人の哲学者が来日したことはすでに触れましたが、その時にも話題になったのはフーコーの「性の歴史」(第四巻「肉の告白」)がフランスで2018年初頭に出版されることになったことが、フーコーに関心のある人々の最大のニュースになっていたことです。私がシンポジウムに参加して話を聞いたのは2018年の5月ごろであり、慎改康之著「フーコーの言説 <自分自身>であり続けないために」が出版されたのは翌年1月、ということで、そういう意味ではコツコツとフーコーのリバイバルの機運が徐々に高まってきていることです。 
 
  著者の慎改康之氏は「ミシェル・フーコー講義集成」の編纂に携わった大学教授であり、フーコーに関する本を執筆することが編集者から本書刊行の15年くらい前から求められていたそうですが、結果的にフーコーのリバイバル機運が高まる中での刊行となったのです。本書はフーコーの歩みを、実に丁寧かつポイントを絞って解説している本で、読んで実に有益でした。フーコーの1970年のコレージュ・ド・フランス就任講演をまとめた本に中村雄二郎訳の「言語表現の秩序」という本がありますが、「フーコーの言説 <自分自身>であり続けないために」では、「言説の領界」と訳されていてL'ordreの訳として、「秩序」と「領界」とどういう違いがあるのだろうか、あるいはどういう違いを示そうとしたのだろうか、とまずそういうところが気になりました。そう思ってインターネットで検索してみると、慎改康之氏はフーコーのこの就任講演を自ら翻訳していて、2014年暮れに河出書房新社から出版されていたことを知りました。ネットの説明書きにはこうありました。 
 
 「没後三十年、フーコーの思想の画期となったコレージュ・ド・フランス開講講義『言語表現の秩序』を四十二年ぶりに気鋭が新訳。六十年代の知の考古学から七十年代の権力分析への転換を予示しつつ、言説の領界を権力の領界へと開くことで、その後の思想と政治に大きな影響を与えた名著。」 
 
  ここに書かれているように「言説の領界を権力の領界へと開く」ということが、「秩序」よりも「領界」という言葉をあえて使った理由かな、と思いました。そういう意味では、私は中村氏の翻訳を過去に読んでいますが、慎改氏の新訳を読んでみたいと思います。ちなみに慎改氏は2012年に「知の考古学」の新訳も出しています。しかし、フランスのフーコーの研究者であるマチュー・ポット=ボンヌヴィル氏から私は「『知の考古学』はなかなか難しいから、まずは『言説の領界』(あるいは『言語表現の秩序』)を先に読むことをお勧めします、と言われました。フーコーの読み直しはもうずっと前にコツコツ地道に行われていた、ということですね。 
 
  本書「フーコーの言説 <自分自身>であり続けないために」の中で、フーコーが用いた「セクシュアリティ」という言葉や「生権力」などは非常にわかりやすく説明されています。何より、フーコーの歩みが最新の研究成果を踏まえて、丁寧に綴られており、どのように「フーコー」という山に登っていったかの探査と問題意識の足取りが1つ1つ示され、その過程における慎改氏の読みが説得力を持ち、また面白い、というに尽きます。 


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